第23話 悪夢

「う……」


 目が覚めると、俺は再びベッドの上にいた。


 カーテンは開かれていて、窓からは冷たい風が吹いている。


 部屋には誰もおらず、とても静かだ。


 時計を見ると14時を指している。確か目覚めた時はまだ辺りが暗かったから、明け方くらいだろう。それから考えると、相当長い時間寝てたみたいだ。


 衣服は替えられており、俺の吐瀉物は綺麗に片付けられていた。


 何をしようにも、今はなんとなく誰とも会いたくない。


 原因はあの夢のせいだ。俺の心を直接抉ってくるような、そんな悪夢だった。


「恨みを忘れるな……か」


 アレは幻影に思えて、ある種俺の心の底を表していたのではないのだろうか。


 最近は矛盾する心があったのも事実。


 それに、前の世界の話を聞いたから、きっとあんな夢を見たんだ。


 大丈夫。今は冷静だ。


 馬鹿な真似はしない。




▷▶︎▷



「体は平気なのか?」


「ああ、今は大丈夫だ。ちょっと悪い夢見ちまっただけだ」


「念の為、今日は休んでおけ。メアにも言ってある」


「悪ぃ、そうさせてもらうわ」


 フリードの部屋を後にして、俺は自室に戻った。


 やることが特にないのだが、今は安静にしておくべきだろう。病は気からって言うしな。


 それに同調するかのように、腹が鳴る。


「そっか、もう飯の時間すぎてるもんな」


 朝、昼と抜かしたことになるので、流石に腹が減った。ティアは何か作ってくれているのだろうか。


 そんなことを考えていると、扉からノックが聞こえてきた。


 返事をすると、タイミング良くティアがご飯が乗ったお盆を持ってきてくれた。


「イスルギ、大丈夫か? 何でも急に吐いたらしいじゃんか」


「今は平気だ。念の為、今日はゆっくりするよ」


 ティアの顔を見ても何ともない。アレはうなされたから吐いただけだ。きっとそうだ。


「これ、おかゆな。多分胃が空っぽだからゆっくり食べろよ」


「悪い、助かるわ」


 料理は温かくて、俺の体を内側からあっためてくれる。

 だが、食べている最中でも夢の内容が頭から離れることはなかった。



「そういえば、シャロって今どこにいるか知ってるか」


 部屋を掃除してくれたのも、服を着替えさせてくれたのもきっとシャロだろう。一言お礼が言いたい。


「あー、さっき街に薬を買いに行っちまった。もうしばらくは帰ってこないと思う」


「そう、か……」


 シャロには悪いことをした。昨夜のアレ……は置いておいて、起きて早々吐いたんだ。あの時、ずっと背中をさすってくれていた気がする。感謝しかない。


 そう、感謝しかない……



 数時間後、シャロが俺の部屋に入ってきた。


「体調は大丈夫ですか?」


「ああ。色々とありがとな、シャロ」


「いえいえ。びっくりしましたよ、起きたと思ったら急に吐いたんですもん」


「はは、悪い。なんか調子が良くなかったみたいだ」


「気をつけなきゃダメですよぉ。これ、お薬です。吐き気とかにはこれが良いと思います」


 そう言って手渡されたのは紫色の液体。


 でも、ただの紫じゃない。グレープジュースとかの色合いならまだ分かるが、これは毒々しい色をしている。本当に大丈夫か?


 シャロはキョトンとした顔でこちらを見ている。


 うーむ、飲みたくはないが厚意は受け取るべきだろう。覚悟を決めて一気に飲み干す。


「…………んぐッ!?」


 喉が熱い!


 まるで食道を焼き払われているみたいだ。


 味も辛味と苦味が合わさったようなもので、未知の味覚に混乱する。


 良薬口に苦し、だと言い聞かせるが、全身が拒否反応を示して、汗が吹き出る。


 一言で言うなら不味い。

 これ以外に言い表せないだろう。


「……はぁ、、はぁ、、飲みきった……」


 せっかくシャロが俺のために、わざわざ買いに行ってくれたのだ。それを無下にする訳にはいかない。男を見せたんだ。


「それ、美味しくないですよね……」


 シャロはどこか虚空を見ている。きっと経験済みなのだろう。分かるぞ、その気持ち。


「すぐに眠くなってくると思います。そのまま寝ていてください」


 たしかに猛烈な眠気が急に来た。些か即効性がありすぎるのではないか?


 そんな疑問をかき消すかのように意識が飛んでいく。


「ではでは、シャロは添い寝をさせてもらいますねぇ――」


 眠る直前、そう聞こえた気がした。




▷▶︎▷




「また……かよ……」


 目に映るのはあの夜の業火。


 ヘルドが横にいて、あの夜の再現が開始する。


 どうすればいい……


 逃げる、わけにはいかないか。


 それならば、


「ヘルド、村の中央に向かうぞ」


 ヘルドはポカンとした顔をしているが、すぐに俺の言いたい事を理解したのか顔つきが変わった。


「逃げなければいいんだろ。悪夢を終わらせてやるよ」


 村の中心にはやはり、あの死体の山と白髪の吸血鬼が立っている。


 俺は因子を意識するが、いつものように体が熱くなる気配がない。


「くそッ、ここまで再現されてんのかよ……」


 だが、そんな恨み言を言っている暇は無い。気づかれた。


 ヘルドは俺に逃げるよう言ってくるが、それを無視して真っ向から向き合う。


「右腕ないけど、こうするしかねぇ」


 腰に巻いてあった、素材を取る用の短刀を左手で構える。


 相手はユラユラと近づいてきて、そのねっとりとした視線に鳥肌が立つ。


 でも、二人がかりなら可能性はある。

 俺が無理やりにでも押さえて、ヘルドがその首を切り落とせば俺らの勝ちだ。


「……よし、行くぞッ!」


 そう高らかに開戦を宣言した瞬間、頬に何かが飛んできた。


「え?」


 血だ。血飛沫が飛んできた。


 その飛んできた場所は―――


 横を見ると、ヘルドの首から上が無くなっていた。切られたことに気づかず、体だけが棒立ちしている。


「は?」


 そこで初めて、黒髪の吸血鬼が背後まで来ていることに気がついた。


「なッ―――」


 俺が言葉を発するのと同時に視界が回りながら落ちる。


「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 あの時の再現が止まらない。


 両足を再び切り落とされたのだ。


 夢のはずなのに、痛覚が、焼け付くような痛みが脳を打ちつける。


「ぐぁ……うぅ……」


 悶えて動き回ることができない。


 そうやって横たわる俺の目の前に、ドスンと何かが飛んできた。


「あ……あぁ……」


 視界に入ってきたのは紛れもない、あの老夫婦の首であった。


「な……んで……」


 実際とは違う結末だ。だが、それよりも遥かに残酷で俺の心の傷を更に深く抉りとる。


「あぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 今度は残った腕の方を切られた。


 身動きが完全に封じられる。


「何で……うぅ……俺がこんな目に……」


『迷っているからさ』


 そう、黒髪の男が俺に話しかけてくる。


『これはお前自身が作り出した幻影。お前の迷いそのものが表れているのさ』


「俺の……迷い?」


『分かるまでこの悪夢は続く。せいぜい苦しめ』


「待ッ―――」


 視界に刃の先端が近づき、俺はその時、紛れもなく殺された。





▷▶︎▷




「あぁぁぁぁぁぁ!」


 意識が急に覚醒した。

 あまりにも絶望的な目覚めだ。


「ご主人様!? 大丈夫ですか!?」


「はぁ、はぁ……しゃ、しゃろぉ」


震えている俺をシャロが心配しながら、必死に抱きしめてくれている。


 情けないのは百も承知だ。


 けれど今は、涙が止まらない。


 恐怖が明確に刻まれて、植え付けられて、脳を蝕んでくる。



 ―――分かるまで、この悪夢は続く―――

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