第9話 根底にあるトラウマ

 翌日


 天気は生憎の雨だ。そういえばこの世界の雨は初めて見るな。窓の外を眺めると、雨粒がまるで銃弾のように降り注いでいる。それに雷が5秒に1回くらいのペースで落ちている。


「異世界の悪天候ぱねぇ……」


 とてもじゃないが傘をさして外になんか出れるわけがない。昨日は途中で降られなくてよかった。


 思いがけない異世界要素を感じつつ、俺は今、フリードの部屋の前に立っている。何でも、教師役が決まったらしい。

 一体どんな人なのだろう。年の功を感じさせるような老人か、はたまた若くして教職を得るくらいに天才の子供だろうか。そんな予想をしながら俺は思いきってドアを開けた。


「おぉ、おめぇが例のニンゲンか!」


 入るなり豪快な声が俺を歓待する。


 年齢は50代くらいだろうか、黒髪で髭を生やしていて、いかにもオッサンって感じだ。


「紹介しよう。こいつは―――」


「待て待て!自己紹介くれぇ自分でさせろよ。オレの名前はソルヴァ・サルディッシュだ。今日からおめぇに勉強を教えてやる。よろしくな!」


「あっはい。よろしくお願いします」


「なんだなんだ、声がちっちぇなぁ!こんな奴がホントに使えんのかよ?」


「そこに関しては問題ない。お前は口を挟むな。ただ命令通り教えれば良い」


「はいはい、わぁってるって。与えられた仕事以外はしねぇよ。殺されたくねぇからな!」


 あのフリードに物怖じせず話しているところを見るに、この男も相当強いのだろうか。


「じゃあ言われた通り、早速お勉強タイムといこうか。なぁ?」


「え、あ、はい。お願いします」


 俺が自己紹介をする間もなく、勉強の部屋へと連れられたのだった。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「レイズ、ロイド。お前たちはあの男が不審な動きをしないか監視しろ。」


「理解。仰せのままに。」


「…………」


「殿下は何か気になることが?」


「あぁ、少しな。性格はアレだが、能力は申し分ない。しばらくは様子を見る。もし、何かあればあの男とそれを推薦した者を―――」


「わかりました。そうならないと良いのですがね」



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「うーんそうだなぁ。何から始めるか……」


「俺はほぼ何にも分からないんで任せます」


「おし、じゃあまずは実力が知りてぇ。簡単なテストからだ!」


 そう言ってソルヴァは紙を5枚俺の目の前に置いた。


「1枚あたり大体10分ってとこか?」


「え、俺ほんと全然勉強してなくて―――」


「いや、それでも出来なくはないはずだ。何せお前にはフリード様の因子が入ってるんだからな!」


 そういえば前にも同じようなことを言われたな。アイツの知識が適合率が上がる度にインプットされるみたいな。


「よし、じゃあ始めろ」


 そう言われ、目の前のテストに向かう。


 科目名は王国史、魔法理論、生物学、数学、音楽。


 音楽?国語とかではなく音楽が入るのか。やはり異世界、不思議だな。


 まずは手始めにその音楽から目を通す。


 これは……。内容は簡単な記号暗記問題やコード進行だ。俺の元いた世界と遜色はない。


 よし、これならできる。俺が唯一やっていた習い事はピアノなのだ。三つ上の姉に憧れ、3歳から始め、辞めたり始めたりを繰り返して合計10年以上はやっていたと思う。


 つまづくことなく、音楽のテストを終え、次は数学に入る。


 やっぱりあるのか……。内容は数ⅠAだろうか。遠い記憶を頼りに解き進める。だが、1番めんどくさい証明問題なんかが無いだけマシか。


 一通り埋めたが、自信はない。切り替えて俺は次の科目に取り掛かった。


 数十分後


「おし、終わったか。じゃあ採点するから見せてみろ」


 ずっと静かだったからてっきり寝ているかと思っていたが、立ちっぱで俺の解く姿を見続けていたらしい。案外ちゃんとしてるんだな。


 生物学、魔法理論、王国史は全く分からなかった。だが、フリードの知識なのだろうか、パッと言葉が浮かんでくる問題もあったので0点はない、と思う。思いたい。


「ほぉほぉ、なるほど。音楽は満点だ!数学はぼちぼちだが、問題は残り3つだな、正直小学生の方が全然マシってレベルだ」


「やっぱりか……」


 分かってはいたのだが、小学生以下か。言われると結構傷つくな。


「まぁ最初はこんなもんだ、オレに教われば王国のテストなんざ簡単すぎて破りたくなるぜ??」


「おぉ、マジか……!」


 1時間前の悪印象から一転、今はとても頼もしく見える。


「今日は王国史を教える、いいな?」


「はい!よろしくお願いします、先生」


 こうして毎日の勉強がこの日からスタートした。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




「そっちの調子はどうだ?」



「――――――――――――」



「へっ、相変わらずのポンコツか。ならさほど脅威じゃねぇな。」



「―――――――――」



「まだだ、もう少しで全ての段取りがいく。それまでは報告を続けろ、いいな?」



「―――」



「くくく、アイツはオレに注視しすぎている。俺は気長にその時を待つとしようか……」




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 季節は変わらず、あれからもう1ヶ月。


 午前は勉強、午後は訓練の毎日を過ごしてきた。勉強は我ながら才能を開花させていると思う。因子のお陰っていうのもあるかもしれないが、どの分野においても6~70%くらいは答えられるようになったのだ。もちろん先生の教えあってこそだが、想像以上に順調だ。


 訓練は……まぁぼちぼちだ。フリードにガードの形をとらせるくらいにはなったのだが、それは相手に反撃する気がないからで、一度その気になれば情けないくらいに叩きのめされる。


 それでも一個成長したことは魔法を補助なしで使えるようになったことだ。とはいっても、放電をしてそれを引っ込めるだけしか出来ないのだが、今はそれを塊にして放つ練習をしている。これが本当に難しく、未だに成功したことはない。


 今日も練習で傷だらけになり、今は夕食前の風呂に入っている。


「はぁぁぁぁ、風呂だけが俺を癒してくれるよ……」


 この風呂には何度お世話になったことか。フリード以外に誰も入らないし1人でのんびりできる。まぁシャロがたまに紛れてくるのだが、1週間に1度あるかないかくらいだ。

 フリードと風呂の時間が被ったことがないのだが、アイツは一体いつ入ってるんだ?まさか入ってないなんてことは無いとは思うが。


「おお、こっちの風呂はめっちゃ広いな!」


「なっ、先生!?なんでこっちに……」


 ソルヴァはズシズシとこちらへ歩いてきて、俺の入っている風呂に浸かる。


「まぁ、細かいことはいいじゃねぇか!それよりどうだ、魔法訓練は順調か?」


「いやぁ、まだ全然ですよ。ロクに発動出来なくて……」


「ふぅん、そう、か。なら良かった」


「よかった?」


「いんや、こっちの話だ。気にすんな。それより、ここの風呂は豪華すぎやしねぇか?使用人の方なんて2種類しかねぇぞ??」


「ここと結構差がありますよね」


「ホントだよ、まったく。使わねぇと勿体ねぇよなぁ!使用人達だってそう思ってるはずだぜ?」


「否定。私たちは衣食住が与えられているだけで満足です」


「うわぁっ!なんでお前もいるんだよ!」


 ソルヴァと話していたらいつの間にかロイドも入ってきていた。初めて裸体を見たが、筋肉のつき方が俺とまるで違う。


「説明。特に理由はありません」


「入るんならせめてちゃんと体洗えよな……」


 ロイドは何も言わず、そのままソルヴァのことを凝視している。


「……ふん。落ちぶれた王の狂信者が」


 ソルヴァはそう、誰にも聞こえない声で呟いた。


 2人は黙ったまま、しばらく睨み合い続けていたが、


「のぼせた、オレは先に出るぜ」


 そう言ってソルヴァは早々に出ていってしまった。


 俺は2人のこのやり取りにただならぬ雰囲気を感じたが、そこに踏み込みはしなかった。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「どうやら聞いてた通りだったみてぇだな。オレは役目が終わり次第接近出来ねぇから、不安要素が多くて困るよ。」



「―――――――――――――――」



「元よりそんな気にしてないけど一応な。どこでミスるか分かんねぇからよ。」



「―――――――――」



「白黒の奴らはどうとでもなる。1番ネックになるのはあいつだな。その為にここまで丁寧にやってきたんだ。」



「―――――――――」



「もうしばらく待て。あと少しで終わる。」




 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 午前の勉強も終わり、また模擬戦なのだが……


「おいフリード、なんでそいつがここにいるんだ?」


 俺はそう言いながら黒髪の男、ロイドを指さす。


「今日は俺の代わりにロイドと戦ってもらう」


「な、なんでコイツと!」


「ここ数日、適合率の伸びが著しく落ちている。それに関連して気づいたことがある」


「気づいたこと?」


「その原因……それは恐らくお前の中にある恐怖、敵に立ち向かう際に生じる、根底にある恐れだ」


「そ、そりゃ戦うのが怖くたって仕方がないじゃねぇか!」


「戦いに対する恐怖だけならまだいい。問題はそこじゃない。もっと別の、ある種のトラウマによるものだと、俺は感じた」


 俺の……トラウマ……。


「その顔、、薄々考えてはいたようだな」


「…………」


「イスルギ、お前にはそのトラウマを払拭してもらいたい。その為にこの場を用意した」


 フリードの言いたいことは分かる。だが、それでも俺は、


「無理に立ち向かえなどとは言わない。そんな事をしても無駄だからな。あくまでお前自身が奮起して、どうにかしようと思い、挑まなければならない。それは分かるな?」


「……ああ」


「もう一度言うが、これは強制ではない。嫌なら逃げるんだな。だがもし、今のままでも良いのなら、な」


「……今の……俺、か」


 俺のトラウマ……あの時の恐怖は今も鮮明に思い出せる。大切な物が全て奪われ、俺は何も出来なかった。俺はあの瞬間、その全てを放り出して逃げたのだ。

 出来ることならば永遠に逃げていたい。だが、今は違う。立ち向かうだけの力がある。あとは俺の心だけだ。


「わかった、やる。やってやるさ。立ち向かってやるよ」


「……それでいい。ロイド、位置につけ。剣は抜くな、あくまで素手だけだ」


「理解。剣は預けておきます」


 そう言って剣をフリードに手渡すと、俺の正面に立った。


 俺も覚悟を決めて向かい合う。


 今一度、深く深呼吸をする。


「俺ならできる。大丈夫だ」


 俺は意識を集中させ、いつも通りのルーティンを行う。体中に血が巡るのがわかる。準備万端だ。


「よし、いくぞ!」


 俺は走り出す。相手にまだ動きは見られない。近づいて、洗練された右ストレートを繰り出す、が相手の手に受け止められた。


「チッ、このクソがぁ!」


 すかさず、左脚で蹴りをお見舞いするが、またこれも腕で防がれる。


「くっ!」


 急いで立て直し、状況を把握する。向こうに動きはまだ見られない。完全に舐められている。

 蹴りはやはりまだ慣れない、ならば次は拳中心でいく。

 再び走り出し、殴りかかる。だが、全て避けるかいなされて、空いた胴体に蹴りを入れられ、そのまま慣性に従って俺は吹き飛ぶ。


「がぁっ!」


 壁に打ちつけられ、衝撃が内臓に響いているのが分かる。体中の血が沸騰しているかのように熱い。


 ロイドは追撃をしてこない。俺は傷を治しつつ、次の動きを考える。


 正攻法でやっても勝てない、ならば捨て身で一撃を入れるべきでは無いのだろうか。


 そう思い立とうとした瞬間、体から力が抜ける。


「っっ?体がっ!?」


「……やはりそうなるか」


 そこで初めて、自分の足が、手が震えていることに気づいた。

 そう、この数回のやり取りで本能的に悟ってしまったのだ。決して勝てないと。


 そして思い出される、あの夜の記憶。暗闇で赤い眼が段々と近づいてくる様子、それと今目の前の光景が重なる。


「くそっ!とまれっ!とまれって!」


震えが止まらない。ロイドはこちらの様子を見てだんだんと近づいてくる。


 俺は震えた手足を無理に動かし、大声を上げながら飛びかかるが、顎に掌底を喰らい、浮いた体に肘を入れられた。


「ぐぁっ!がはっ!」


 そこからはあまりに一方的だった。震えのせいか因子の力が上手く引き出せず、向こうの反撃に為す術なく打ち倒された。

 途中からはもう立ち上がることも出来ず、馬乗りになられて、拳を何度も何度も打ち込まれた。口の中からは血の味がし、腕があがらない。


 フリードがその姿を見て止めに入った。


「お、れは、まだ、」


「いや、これ以上は止めよう。ロイド、ご苦労だった。一旦下がってくれ」


「承知。仕事に戻ります」



「く、、そ、、」


 やっと、、、終わった。


 俺の心に残ったのは、負けた悔しさでも、歯が立たなかった不甲斐なさでもなく、終わったことに対する安心感だけだった。


 そんな自分に嫌気がさす。


「やはり、そう簡単にはいかぬ、か。どうだ、明日からもやれそうか?」


冗談じゃない。あれだけ好き放題されて、またやりたいなんて思うわけがない。だが、そんな気持ちとは裏腹に別の言葉が自然と飛び出す。


「ああ、、今日は、、負けたけど、まだ、やれる、、大丈夫だ」


 嘘だ。本当はもう戦いたくない。殴られ、蹴られる度に、傷が増える度に敗北を刻まれていく感覚を覚えた。逃げ出したい。


だが、俺のちっぽけなプライドがそれを邪魔する。


 傷はフリードが治してくれた。体は平気だ。でも、心はもう―――



 その日から3日間、また惨敗した。負け続けた。トラウマを克服するどころか、更に深く沼にハマっていっている。


「またこんなに怪我して、シャロの魔法も万能じゃないんですよぉ」


「悪いな……。」


 戦いが終わる度、毎回シャロが俺の傷を治してくれている。かっこ悪い姿を見せてばっかだ。


 今更やめたいなど言えず、かといって逆転出来ることもない。似たような毎日を繰り返している。先が暗くて見えない。


 夕飯を食べ終えて、横になったがいまいち寝付けなかった。


「風呂でも……入りにいくか」


 戦いの後入ったのだが、今は汚れを落とすというよりかは別の目的だ。


 風呂の中でも一番お気に入りの風呂にゆっくり入る。


「そういや、浪人生のときも風呂であれこれ考えてたっけか」


 あの時は紛れもなく、人生で最大の絶望を味わっていた。思えば今の状況はあの時と似ている。そして立ち向かうか、逃げるかで俺は逃げを選んだ。


「根っこの部分は変わらないってことか。はは、、、笑えねぇ」


俺はまた、同じ選択をするのだろうか。


 何も変わらない。変わっていない。


 俺の根底にあるのは、自分可愛さで自分の現状を誰かのせいにして、被害者ぶりたい。


 そんな弱くて醜い心だ。


 あの時のトラウマ、きっとあれは皆を殺されたことでも、脚を斬られたことに対することでもない。


 そう、あれは―――


 恩人が死んでも、自分が生き残ったことへの安堵感に溢れた俺自身の


 皆を置いて逃げても、自分だけが助かればいいと考えた俺自身への


 どうしようもない位の自己嫌悪だ



「……う、うぅ、ぐすっ、はぁ、ぐすっ」



 静寂に包まれた風呂の中、自分から聞こえる、嗚咽のような何かだけが響いていた。




▷▶︎▷



 スッキリはしてない。だが、のぼせてきたので風呂を出た。濡れた体をタオルで拭いて、持ってきていた服に着替える。鏡を見ると目が腫れている。


「なんて顔してるんだよ」


 自分の目で見ても、目に光が宿っていないのが分かる。数ヶ月前に何度も、何度も何度も何度も見たあの顔そのものだ。


 汗を流し過ぎたせいか喉がカラカラに乾いている。そんな喉を水道水で無理やり濡らし、更衣室の外に出た。


「え?」


 俺が出たのと同タイミングで、横からピンク色の髪の女の子が出てきた。


 あまりに急なことで、何も言葉が出ない。俺が固まっていると、向こうの方から話しかけてきた。


「あ、あのっ。よっ、良ければ、私の部屋、来ません、か?」

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