第4話

でかい女の人気は凄いもので、会社でも一目置かれていたようだ。

彼女と個人的に付き合いたくて、アピールする男性が何人もいた。月に一度は花束を抱えて帰ってくる。豪華版だ。自宅にもしょっちゅうデラックスなプレゼントが送られてくる。いいなァと横目で見る。高価な装飾品をくれる人、洋服を買ってくれる人、毎日電話をかけて来る人、それがみーんな別人だというから信じられない。プレゼントされた二百万もする毛皮を、盗まれたことがあった。でもすぐ代わりの、もっと高級な毛皮をプレゼントされたのだ。「凄いっ」の一言しかなかった。本人の気に入らない人からも、頂く事がある。くれた男性ひとには申し訳ないと思いながら、すかさず私がそのおこぼれを頂戴する。何しろ私にはとうてい買えない代物ばかりだ。しかし何人の、どんなひとと、どんな風に付き合っているんだろうか?本命はどの人?とにかく彼等との付き合いがどの程度かは知らないけれど、私は時々心配になった。よくテレビの「サスペンスドラマ」で三角関係のもつれで、殺される話がある。相手が色々で三角関係どころではない。問題が起きない方が不思議である。もしそうなったら「私が犯人を突き止めるぞ」と思った。その為に、その日のスケジュールをちゃんと記録しておくように姉に言った。彼女は、冗談だと思って例によって美しい顔をしわくちゃにして「ウヒャッ、ウヒャヒャヒャ」と髪を振り乱して身体全体で笑っていたけれど、私は本気だった。彼等は一生懸命彼女に接近し、まめに出来る限りのサービス精神を発揮するのだけれど、可哀相に大半は姉に適当にあしらわれてしまうらしい。

 しかしでかい女は、失恋で泣くこともある。百年の恋も冷めてしまうかのように、豪快に泣く。それを見る度に、私は「絶対に、男ごときで泣くもんか」と思う。いつ頃からだろう、彼女は「結婚は、しない」と言うようになった。私が「後がつかえているんだから、早く結婚してくれなくちゃ」と言うと、「先に行けば」という具合だった。そして私は結婚した。しかし二年後には一歳になったばかりの息子「U太」を連れて出戻ってしまった。男ごときで泣いたのは、他ならぬ私だった。また、でかい女の下で生きて行かなければならないのかと思うと気絶しそうだ。就職口を捜していると「しばらく育児に専念する方がよい」と家族みんなに言われてありがたかった。

 母が定年になるまで、同居している祖母(母方)の面倒を見ながら実家で家事手伝いをすることになった。学生時代のフライパン事件を思い出していた。ある時、父方の祖母も身体を壊して我家に同居することになった。つまり我家には「おばあちゃん」と呼ばれる人物が、三人もいる訳である。私達姉妹の祖母二人とU太の祖母である。「ばあば」がいっぱいでややこしい。U太は、父方の「あばあちゃん」を「ひいばあば」と呼び、母方の「おばあちゃん」を「大きいばあば」と呼び、母を「ばあば」と呼ぶ。ひいばあば、大きいばあば、父(じいじ)、母(ばあば)、でかい女、そしてU太と私である。四世代の大家族だ。ここでの生活は、とてもとても一口では語れない。

 その上、テツの他にもう一匹「ケメ」という犬が居る。めだかは二百匹ぐらい居る。水槽やバケツには鯉や金魚、どじょうまでが、二十数匹。樽や洗面器の中にはザリガニやカメまで居る。U太の大好きな、くわがたやかぶと虫も居る。勿論これはU太が捕まえたものである。おまけに、めだかの水槽にはU太と私とで近くの田んぼで捕まえて来た、雨蛙が数匹住みついている。卵を産んで、夏になると、「おたまじゃくし」がたくさんかえる。佃煮が出来るほど水面が真っ黒だ。それが蛙になって、あちこちピョッコラする。近所に住むチビッコ達は「めだか」や「おたまじゃくし」をもらいに来る。

U太が二歳の時、公園で犬の子供を拾って来た。一度、近所の子供がその子犬を拾って家に連れて帰ったが、親に叱られて再び寒々とした夜の公園に捨てた。だからこの子犬は、寒空に二度も捨てられて二度も怖くて寂しい思いをしたのである。そこを私達親子に助けられたものだから、その犬は家に誰か人が来ると気が違ったかのように吠えまくった。我が家の人間以外には敵対心や警戒心があり、決して懐かなかった。信用してないのだ。柴犬系統の雑種でその子犬は「ケメ」と名付けられた。「ケメ」は、すくすく育っていった。物凄い頭が良くて素晴らしい運動神経だった。外から家族が帰ってくると喜んで飛び跳ねるのだが、小型犬のくせに立っている「でかい女」の顔にケメの顔がくっつく位ピョーンピョーンと繰り返し跳びはねる。走るのもびっくりする位速くて、カモシカbのように美しいフォームである。「テツ」と「ケメ」を連れて温泉旅行にも行った。そんな優秀で可愛い「ケメ」が、ある時車にひき逃げされた。跳ねられて直ぐに獣医に運び込んだ。キャーン、キャーンと鳴き通しだ。獣医は足の骨折だと言い、入院することになったが、場所が悪くて手術は出来ないから、自然に回復を待つしかないと翌日には退院して家に戻ってきた。しかし可哀相な事に「ケメ」は、食欲が全く無くなってぐったりしている。二・三日後、私が台所で炊事をしていたら急に「ギャーン、ギャーン、ギャーン」と吠えたかと思ったら、今度はのた打ち回って「コッコッ、コココ、コッコッ」と鶏のように鳴きながら私の足下へ転がって来た。「ケメッ、ケメッ、どうしたのケメッー」「コッコッ、コココ、コッコッ」と鳴いて苦しんでその上、涙がいっぱい出ている。助けを求めている「ケメ」を慌てて車に乗せ獣医に連れて行った。獣医は、乱暴にあちこち触診してから「虫がいるかもしれない」とか言いながら注射や点滴を射った。その点滴のやり方が実に乱暴で、薬がなかなか体内に入っていかないので、無理やり液の入ったビニール袋をギューッと絞るのだ。獣医がビニール袋をギューッと絞る度に「ケメ」の体は「ビクッ、ビクッ」と痙攣した。その様子を見て一緒に行った父も私も震え、涙が溢れた。「まだ原因ははっきりしないが様子を見よう…たぶん大丈夫だろう」と点滴が済むとあっさり帰って良いと言われた。「ケメ」は父に抱かれて車に乗った。家に着いた「ケメ」はやっぱりぐったりしている。翌日また「ケメ」は苦しみ出した。父と私とでまた獣医へ連れて行った。車の中で「ギャン」と一声鳴いた。そして「ケメ」はそのまま動かなくなった。診察台に乗せたケメを診て、「あー?もうダメだな、死んでるよ」と獣医が言った。「どーしてよっ。ケメッ、ケメッー」父の目も涙でいっぱいになった。あの点滴の仕方を見た時、他の獣医を捜せばよかった。獣医は「どーします?このままこっちで処分しますか?」とすまして言った。私は完全に頭に血が上っていた。冗談じゃない。「何で足の骨折ぐらいで死ぬの?」と獣医を睨みつけた。獣医は「いや、骨折が原因ではないでしょう、時々あるんですよポックリ逝くことが」「どーしてっ」と声が詰まる。「原因が知りたければ、解剖して調べますよ」何という獣医だろう…私は獣医に飛び掛かりそうなのをぐっと我慢した。父は「今更調べても遅いですよ」と静かに「ケメ」を出して車に乗った。帰り際に私は、自分がどんな恐ろしい顔で獣医を睨んでいたか知っている…。その晩お通夜をして、翌日「ケメ」を焼き場に連れて行った。人間の葬式と全く同じ扱いでケメは灰になっていった。父もU太も神妙い手を合わせる。泣きながら骨を拾っている時に、焼き場のおじさんが出て来た。「随分ひどく頭を打ったんだね。交通事故かい?」父も私も絶句した。「頭?…」息を飲んで、「どうして頭を打ったと判るんですか?」と父が聞く。

「相当大きな衝撃で頭をやられてるよ。」「どうして判るの?」と私。

「人間と同じで動物を焼く時も一度途中で中を覗くんだよ、どの程度焼けているかね。その時は普通、どの亡骸の頭もまだ残っているだ。でもこの犬の頭の骨はバラバラに砕けてたよ。よっぽど酷く頭を打って穴が開いていない限り、頭蓋骨は残っているからね。」獣医だっ、やっぱりあいつが誤診したのだ。可哀そうな「ケメ」新たに涙が溢れてきた。他に獣医を知らなかったとはいえ、あいつの所へ連れて行った事が悔やまれてならない。そんなに酷く頭を打っていたとすれば「ケメ」はやっぱり助からなかったかもしれない。でも誠意のある獣医だったら、いろんな手を尽くしてくれたかもしれない…。獣医が許せない、死んでしまえと思った。が…もう何をぼやいても「ケメ」は帰らない。それから何日も何日も不憫な「ケメ」を思い出しては、家中で泣いていた。本当に可哀相だ。生まれてまもなく二度も捨てられ、五カ月で死んでしまった「ケメ」。父は「ケメ」が死んでそして「テツ」が死んだら「もう二度と犬を飼うまい」と言った。何日も、夜になると「ケメ、ケメ」で、家の中が涙で染まっている。随分長い事続いた。これではいけないと、ついに姉と相談して二代目「ケメ」を買ってきてしまった。それが今いる血統書付きの「ケメ」なのである。父は子犬の顔をみて苦笑していた。「もう犬を飼うまい」の気持ちだった父も、子犬の可愛さに負けてしまった。それからまた、大家族の珍道中が戻って来た。

 ある晩でかい女が、風呂場ででかい悲鳴を上げた。「キャーッU太ぁ、U太ぁ助けてぇ、速くっ速くー、ちょっと来てキャーッU太ぁ」何事かと思って風呂場へ駆けつけたら、可愛い雨蛙が彼女の背中にへばり付いていた。泡だらけの頭に手を乗せたまま彼女は動けないでいた。雨蛙は、高い所い登っていく習性がるというから笑っちゃう。何にしても、これらが一つ屋根の下で暮らすのだから大変な騒ぎである。全部家族だ。もっとも私が赤子の頃は、父の両親、兄弟、居候と十五人以上の太家族でそりゃー大変だったらしいけれど。まあそれなりに、人手もあったのではと勝手な推察をする。大家族でありながら「ひいばあばと母」は世間でよくある嫁、姑の争いは全く無くて、共に苦労を分け合って暮らしていたようである。二人の努力が伺える。

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