第2話

彼女は大学を卒業して大手商社の繊維課に勤め、バリバリ仕事をこなし、どんどん自分に自信をつけて行った。「でかい女」がもっとでかくなった気がした。

しかし、ちゃんと恋もするし、我が家の苦しい家計を助け、文句のつけようがない。母から聞いた子供の頃の話では、私の方がしっかりしていたと言う。買い物に行った時に店頭で「買い物が済むまでここで待っていなさい」と母に言われると、姉は私の手をしっかり握る。しかし彼女の愛らしい大きな瞳からは、ボロボロと大粒の涙がこぼれていた。母において行かれたので、泣いているのだ。そこで私が仕方なく姉の手を引いて、母の所まで連れて行ったそうだ。彼女にこんな弱虫の頃があったなんて、私にはどうしても信じられない。常に豊かな胸をはって、実にかっこよく生きているように見えた。だけどある日、姉が発熱した。五月病かもしれない。油汗をかいてウーウーと、うなり声をあげる。ハァハァ、ゼィゼィ苦しんでいる。普段のかっこいい姉の見る影もない。私は大学も自主休講して、姉の部屋にせっせと氷枕、タオル、おかゆを運んで看病した。父も母も仕事で留守だ。家族の一員でるテツも心配そうに姉のそばにくっついている。テツは、まだ目の開かないうちに我家へやってきた犬で、とても利口だ。父が「戦争ごっこ」をテツに教えた。バンバンとピストルで撃つ真似をすると暫く戦って、その内に力尽きてゴローンと転がって死んだふりをする。「大きい声は?」と言うと、本当に大きい声でワンと吠える。そして「内緒話は?」と言うと、声にならない小さな声でワンとやる。これは、私が教え込んだ技である。そのテツも苦しんでいる姉の様子を、じっと見つめている。可愛いもんだ。私もだんだん心配になってきた。

「ねぇ!大丈夫?」と声をかけてみるけれど返事がない。

「熱はかった?」

「・・・・・。」

「熱測ったの?ってばァ」

「ウーン・・・・」今にも死にそうだ。

「何度?」

「な、など・・」

「えーっ?三十七度?たぁいした事なーいじゃん!」

おったまげた。デカい女は、大袈裟だ。急に力が抜けた。そう言えば昔から、大袈裟だった。私が彼女の足をうっかり踏んづけてしまったら、もう大変な騒ぎ。とにかくオーバーアクションで「痛いなァもうー、気を付けてよーっ!」と足をさも痛そうに擦る。彼女が私の足を踏んづけた時は「あ、ゴメン、そんな所に足を出してるから・・・」と言ってスーと通り過ぎて行く。私は二十二・五センチの足で、体重は四十六キロである。彼女は二十四・五センチの足で体重は五十三キロぐらいだろうか、どちらが痛いかと言うまでもない。「三十七度」くらいの熱で、危篤状態になってもおかしくないのだ。実際バカを見た。可哀そうにテツは、まだ知らずにバカを見ている。二日程ウーウーが続いただろうか、そして又バリバリの仕事女キャリアウーマンに戻っていった。私が今度、三十九度八分の熱を出して寝込んだ。私は、布団の中で静かに静かに熱の下がるのを待った。負けてたまるか!

 学生時代に彼女は、勉強や習い事ばかりでなく、アルバイトをしながら社会勉強をしていた。彼女は、テニスやスケート等のスポーツも楽しんでいた。彼女の偉いところは、何に対しても一生懸命取り組み努力を惜しまない事である。私もそれに習って、バイトして社会勉強しながらスキーにでも行こうと思った。アルバイト募集の喫茶店を見つけて両親に話してみた。

「喫茶店なんてとんでもない。お姉ちゃんのようにスイミングのコーチや、家庭教師とか真面目なバイトをしなさい」と言われた。でかい女は通称「真面目」なバイトを選んでいた。家庭教師、有名な日本画家の自宅でのへルパー、そしてスイミングクラブのコーチ。両親は、こういう仕事が「真面目」で、喫茶店は「不真面目」と決めているらしい。私と姉とでは、性格も考え方も違う。何でも同じ様には行かない気がした。喫茶店に失礼きわまりない気もした。悪い男に引っ掛かるとでも思ったのかもしれない。なぜ「喫茶店」ではダメなのかと相当ごねたけれど、そこで働いても得るものは何も無いから「もっと自分の為にプラスになるようなアルバイトをしなさい」と、とうとう許してもらえず不本意ながら私は、父の紹介で家庭教師をすることにした。私立中学志望の小学校四年生の女の子についた。二年生の弟がいた。その母親から弟も一緒に教えて欲しいと頼まれた。当然二人分の手当てがつくものと喜んで引き受けたのだが、「小学校二年生なら遊びと同じネ」と一人分の手当てしかつかなかった。そのあつかましさには、途方にくれた。ある時、あまり二人とも言うことを聞かないので、「括!」を入れたら、翌日クビになってしまった。別に暴力を振るった訳ではない、ちょっとゲンコツを振りかざして威嚇しただけなのに。

 今度は母の紹介で家政婦を始めた。身体の弱い奥さんの居る家のヘルパーである。家の隅々までピカピカに掃除したり、洗濯をしたり、「働いている」という実感が湧いてきた。得意な料理にも腕を振るった。だが・・・、年期の入った大切なフライパンをピカピカに磨いていしまって、二か月目にしてクビになった。フライパンというのは、焦げ付いてしまうから「磨いてはいけないんだ」という事をここで学んだ。でも私はバイト代が良かったので、フライパンを恨まずには居られなかった。クビにするほどの事かと腹も立った。

 次には、姉の紹介でスイミングクラブのコーチを始めた。彼女が学生の時にアルバイトをしていたスイミングクラブである。初めは、コーチの助手をしながら仕事を覚えていく。その内、自分のクラスを持たせてくれるようになった。受持ちのクラスは幼児と児童のビギナーで、みんな私に懐いてとても可愛かった。仕事がおもしろい。子供達の上達が目に見えて、それが嬉しい。

 ところが、「水泳をろくに勉強せずに、コーチなどもってのほかだ」と目の引っ込んだ大阪弁に説教された。彼には例の更衣室のワイワイが縁で何度かお茶に誘ってもらった。悩んだ挙げ句に、せっかく一年間続いたアルバイトもやめる羽目になった。でかい女の口利きだったので、彼女は怒ってしばらく口を聞いてくれなかった。

 それからペットショップで小鳥の世話をする仕事をしたり、ケーキ屋さんでも働いた。そのケーキ屋さんの奥が、喫茶店になっているのだけど、「そこでは仕事はしない」と約束をさせられてのアルバイトだった。母はどんな所なのか、喫茶店で本当に働いていないか、その店に様子を見に現れた。私は信用されていないらしい。いつもチェックが入る。母は奥で「クリームあんみつ」を食べて帰ったりした。黒蜜ではないので、口に合わなかったそうだ。

 スキー場のゲレンデにあるロッヂや、食堂でも友達と一緒にバイトをした。さすがにここまでは、母も追っては来なかった。当時の女の子でスキーの上手な人が少なかったので、必死でうまくなろうと休憩時間には相当努力したものだ。お金がたまると学費には一銭も費やすこと無く、仲間とあちこちのスキー場へ遊びに行った。志賀高原、岩岳、苗場、六日町、中里、菅平、栂池、石打丸山と滑りまくった。スキーが上達してくると「目立とう精神」が身に着いてもっと上手くなりたいと努力する。仲間三人で、あるゲレンデの大きな食堂でバイトした時のことは、生涯忘れることは無いと思う。

 冬休み中、社員寮に泊まり込んでの大掛かりなアルバイトであった。そこでは休暇が無く、毎日九時間びっしりの労働であった。スキー場でのバイトだから、今までの経験上、開いている時間はたくさん滑れると思っていたのだけれど、それは大きな間違いだった。とにかく朝から晩まで変わらぬ忙しさである。昼の休憩はたったの十分間しかない。五分間で昼食を取り、五分間で立ったままコーヒーを飲む。そして走って仕事場へ戻る。「おしるこ」と「カレー」の大きな鍋を焦げつかないように四時間位かきませたりする。三人交代でかきまぜるけれど、臭いで気持ち悪くなるし、目も回る。当時ゲレンデにはその食堂ぐらいしか無かったので、凄まじい勢いで午前中から人が押し寄せて来る。カレーライス、ラーメン、ビールがよく売れた。お客さんが食べた後の食器を下げるのがまた大変で、ラーメンのどんぶりを左手に五鉢くらい重ねて持って、右手にカレーライスのお皿を十枚くらいまとめて洗い場まで運ぶ。三人とも手慣れたもんだ。一日中大きな食堂の中を休み無く、朝から晩まで駆け回るようにして働く。半袖のTシャツが、汗びっしょりになった。お客さんの中には、うら若き乙女をからかう者がいて「おねーさん、半袖で寒いでしょう?暖めてあげようかー」「仕事なんて止めて一緒に滑ろうよー」と来る。こういう類のお客には初めの頃は「お・・おかまいなく。」と返答に困ったりしていたけれど、ついには「このクソ忙しいのにからかうな!」と三人とも負けてはいない。

 しかし、調理場の隅で三人で「帰りたいよー」と泣いた。救いは仕事を終えてナイターで滑り、近くのディスコで閉店まで踊って「ウサ」を晴らした事と、バイト先の従業員が皆、楽しい人達ばかりでずいぶんと励まされた事だ。売店で「スキー饅頭」を「スキーまんじゅう」と読めずに「スキーまんとうください」と言ってきたお客に、すまーして「はい、かしこまりました、スキーまんとうでございますね」とユニークに返答する従業員には大笑いした。おでぶちんで三回の社食だけでは足りず、おやつや夜食に「カップヌードル」にマヨネーズをたっぷりかけて食べる女性従業員がいた。「君達疲れただろう」と「味の素入り」の日本茶を入れてくれる従業員。ろくに口も聞かず、ひたすら「ラーメン」をゆでているニコニコおじさん。長靴を履いて、鍋や釜ばかり洗わされているアルバイトの汗だく高校生。カウンターの中にいるお兄さんは、よく隠れて「ソフトクリーム」を食べさせてくれた。調理場の仕事を終えてから、ナイターでスキーのコーチをしてくれるニヒルなお兄さんは、私達三人があまりに熱心に習うので感激して懸命になって教えてくれた。そんなこんなで、笑いもしばしば与えてくれる。しかしとんでもない忙しい所に来てしまったものだ。段々疲れがたまって、口数も減ってきた。そんなある日私達の努力を認めてくれたのか、バイト代もベースアップしてくれると言うし、休暇も丸一日くれたのだ、ヤッホー!その日は久しぶりの雲一つ無い晴天だった。一日中スキーを履いて遊びほうけた。

食事もゆっくり時間をかけて食べた。優雅な気分でソファーにもたれて美味しいコーヒーも飲んだ。毎日のあの貴重な五分間飲むコーヒーとは違って格別だった。それ以来私は、日に七杯飲むコーヒー党だ。三人は水を得た魚か、糸の切れたタコの様にゲレンデを滑りまくった。山頂から見た美しい景色が、私達三人の為にあるように思えた。この時の様な解放感は、かつて味わったことがない。もしかすると、刑務所から出所したばかりのチンピラはこんな気持ちなのかもしれないなんて思った。

 その楽しさがまずかったのか、真っ青な空がいけないのか、美しい山々が悪いのか。もう、あの苦しい仕事に戻るのがイヤになって、その日の晩三人で「夜逃げ」した。いつまでも泣き笑いが止まらなかった。それにしても今考えると、その食堂では三人いっぺんに辞められてさぞかし困った事だろう、それでなくても想像を絶する忙しさなのに・・・。食堂の皆さん、ごめんなさい。絶対楽しいからと、無理やりスキーに「でかい女」を誘って一緒に行ったことがある。でも「私にはスキーは肌に合わないみたい」とそれっきり行かなくなってしまった。私には、かなわないと思ったに違いない。彼女へのコンプレックスをもって以来初めての優越感だった。だから私はスキーを止められない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る