強引にマイウェイ

こてまり ししゃも

第1話

 寝返りをうって横を向くと、赤ん坊のほっぺたの肉がたるんで移動し、人相が変わってしまう。赤子の姉はそれ位肉付きが良く、お世辞でも可愛いとは言えぬ顔だったそうだ。

 昭和二十七年生まれの姉は現在、百七十四センチの長身でかなり「でかい女」だ。

小学校で背の順に並ぶのが私は嫌いだった。

前から二、三番目をうろうろしていたからだ。

姉はいつも一番後ろで、私たちチビを見下ろしていたような気がする。

彼女はよく勉強して真面目だったので、私の勉強嫌いの暴れん坊が目立ってしまって、いつもいつも比較されている私は少し、まいっていた。

 二人の共通点と言えば、かけっこが速かったことぐらいだ。共に運動会では、いつもかっこよくリレーの選手だった。しかし彼女はそのまたアンカーで、学校や近所でも評判の華やかなスターだった。私たち姉妹は、顔も似ていないと思う。何しろ大きさが全部違う。彼女は背も鼻も高い、目も大きく美しく輝き、バストもかなり豊かで足もうんと長い。スタイルが抜群で、ファッションモデルにスカウトされた経験も豊かである。

 それに引きかえ私は背も鼻も低く貧弱で、目も糸のように細く、捜さないと無いくらいだ。私は、中学の時の英語の先生に「スルメ」とあだ名を付けられた。どうして「スルメ」なのかと聞いたら、バストが「スルメ」の様に薄いからだと言われた。どこを見てるんだろうあの先生は…。

 階段で後ろから来る人に「お尻を引きずっているよ」と言われた。確かな指摘だけに、その度にたいそう傷ついた事ったらない。

本当に私達は姉妹なのかと真剣に悩んだのを覚えている。彼女は水泳が得意で、学生時代は結構活躍していた。彼女の泳ぎはまるで「鯨」である。しかもその水泳部の厳しい練習の合間に、茶道や花道あげくに琴までこなしていた。でかい女はそつがない。

 私は中学から器械体操を試みたが、一度も花を咲かせたことは無い。小さな試合での入賞は幾つかあったけれど、国体へも行けなかったミソッカスだ。苦しいだけだった。そして痛い思いばりかで辛かっただけだ。しかし一緒に苦しんだ友人には恵まれていて、未だに付き合いが続いている。私は高校二年生の春、平均台の練習中に足を踏み外して落下した。そんな事は日常茶飯事。…だが平均台を跨いだまま落ちたらどうなるか、想像していただきたい。まぎれもなく私は平均台に処女を捧げたのだ。地獄のような体験である。悲しい青春を送ったものだ。 

 想像するに姉は、明治大学のジミーに処女を捧げたのではないだろうか。だとすれば、この差が何とも堪え難い気がした。明治大学のジミーに出会うずっと以前、初めて姉が家にボーイフレンドを連れてきたことがあった。「何て趣味が悪いのか」と母と首を傾げて笑ってしまった。姉をバカにする材料が出来たと「にんまり」したのも束の間、なんとジミーことジェームス・ディーンそっくりな彼氏が出来てしまったのだ。私の男性の好みはジェームス・ディーンではなくて「風と共に去りぬ」の今は亡きクラーク・ゲーブルである。ビビアン・リーとの濃厚なキスシーンが忘れられない。今の若い子は知らないかもしれないけど、そこいらのラブシーンは問題じゃあない。そして、あの逞しさと裏腹な甘いマスクと精悍なお髭がたまらなく好きだ。

明治大学の「ジミー」というのは私が勝手につけたもので、姉と私が愛称でそう呼んでいた。彼はかっこが良くて、誰もがボーっと見つめてしまう様な人だった。彼は意外にも庶民的な「カツカレー」が好物だった。

 ある時、神宮のプールに水泳の試合を見に行った。こんなに沢山の男性を目の当たりにしたのは、生まれて初めての事だった気がする。しかも水着姿でセミヌードだ。唖然とした。姉は自分が水泳界で生きているものだから、男性のセミヌード等全く気にならないし、自分も平気でパッパカ水着で走り回る。平気でなかったら、水泳部は務まらないだろう。その頃私は、どこでどうして知り合ったのか覚えてないけれど、中央大学の水球の選手と付き合っていた。よく試合も見に行ったけど、あまり男性のヌードに意識をした事が無かったように思う。それよりも激しい水球のゲームそのものが面白くて、足の立たないプールであんなに飛び上がれるものかと、びっくりするばかりだった。しかしどういう訳かその競泳の試合では、やたら恥ずかしくて、試合の内容なんて全く記憶に無い。でも試合が終わってから、ワイワイおしゃべりしたのはよく覚えている。

 更衣室の前にスノコが敷いてあって、そこで大勢の選手がたむろしていた。でかい女は「これ、ウチのチビ」と私を皆に紹介する。いつもそうだ。私は犬ではないし、決してチビじゃあない。「自分がデカすぎるくせに…」と舌打ちする。その中に目の引っ込んだ大阪弁のおかしな人がいて、みんなを笑わせていた。この更衣室でのワイワイは、当時ウブだった私にとって刺激的だった。

 例えば「目の引っ込んだ大阪弁」の話である。彼は当時、学生寮で生活をしていた。寮で先輩に勧められるがままに、ウィスキーのボトルを一本開けたことがあったそうだ。「サントリーレッドやった」と言う。もともとお酒は弱いほうで、ぐでんぐでんに酔っぱらって天地がひっくりかえったらしい。急性のアルコール中毒だ。救急車で運ばれなかったのが不思議なくらいだったという。そしてどこをどう通って行ったか覚えていないけれど、トイレに駆け込んで大量に「血便」が出てしまった。そこで彼は「俺は…女やったんかー?」と真剣に思ったという。彼は自分の前に、ちゃんと一物がるかどうか探って確かめた。ホッとする暇もなく吐いて吐いて、また血便の繰り返しだった。便器を抱えてしばらく動けなくなってしまい、意識の無いまま友人にベッドまで運んでもらったらしいが…。朝起きてみると、そこは汚物の海であったと言う。関西弁独特の「まんがな」「でんがな」スピーチで上手にみんなを笑わせていた。彼はきっと大学を卒業したら、まっしぐらにお笑いの道に進むんだろうなーと思った。

 その年のインカレ(日本学生水泳選手権)は、代々木のオリンピックプールで行われた。その頃、どうも「ジミー」と姉の仲はしっくりいってなかった様だ。私はブレストの百メートルに出場するでかい女の応援に行った。目の引っ込んだ大阪弁も百メートルのフリースタイルに出場する。大阪弁の母親も、応援にわざわざ大阪から上京していた。小柄で上品なお母さんで、とても彼の母とは思えなかった。…失礼。ふと客席の入口を見ると、ジミーが可愛らしい女の子と立ち話しをいているではないか!姉とは正反対の小柄でおとなしそうな子だ。仲むつましく会話をしている。私はそっと近寄って、いやみったらしい目で「こ・ん・に・ち・わ」と声をかけてみた。ジミーは、バツが悪そうに赤面していた。こりゃあ、姉はふられる……と確信した。二、三日後、姉は豪快に泣いていた。でかい女の泣き方は、すこぶる派手だった。


 

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