2-9 マリナのお願い
それは校外自然学習前の最後の休校日のこと。
エレナが図書館のテーブル席で静かに資料をめくっていると、その真横の席に座ってくる者があった。
小さめの雰囲気からして、自分と同じ学童か。
他にも空席は沢山あるだろうに……と忌々しげに顔を向けると、揺れるスカイブルーの長い髪と、のほほんとした顔立ちが視界に入った。
……知っている顔だ。
「こ、こんにちはエレナ。ごきげんいかが?」
スカイブルーの髪の同級生・マリナが、ぎこちない笑みを浮かべて挨拶をしてくる。
「…………」
なおも
「さすがに無視するのはひどいんじゃないかな……」
「これのどこが無視なんだ。さっきからきみの顔を見ている」
「えっ。言われてみれば、たしかに……そう、なのかなぁ……?」
マリナが頭上に「?」を浮かべている隙に、エレナは物音一つ立てず席を立った。読んでいた資料を手に、そのまま図書館の入口付近にあるカウンターへと直行する。
「……あっ」
気付いたマリナが慌てて追いかけた時には、エレナはさっさと資料を持ち出すための手続きを進めていた。
「もう、なんで置いていくの〜っ」
マリナからの抗議に、エレナは「声が大きいよ」と眉根を寄せる。
「嫌いだからだ。読書スペースで喋る行為が」
「……それは、ごめんなさい」
「きみも図書館ではなるべく息を殺し、余計な音を立てないよう一挙一動に気を遣うべきだよ」
そこまでするの……とこぼすマリナを尻目に、エレナは手続きを終えた資料を脇に抱えた。
「では」
短く別れを告げ、図書館の玄関扉を開けて外へ出る。とりあえず静かな場所へ行きたい。タイルで舗装された道の上を急いだ。
──が、何故か付いてくる者がある。
「これからどこへ行くの?」
当たり前に隣を歩くマリナに、エレナはじっとりとした目を向けた。
「しつこいな……」文句を言ったあと、「私に何の用だ? マリナだろう、きみ」と問いかける。
「うん、そうだよ。同級生のマリナだよ」
「もう一度訊こう。普段ミルクたちとつるんでいるきみが、私に一体何の用がある?」
そこまで言われて、マリナは「あちゃ……」と気まずそうに頭をかいた。
「そういえばエレナって、ミルクのこと苦手だったよねぇ……」
その知ったような口振りにムッとして、エレナの表情が少々険しくなる。
「別に私がミルクを苦手なのではないよ。向こうは一方的に私のことを毛嫌いしているようだけど」
「あー、あの子は、負けず嫌いなだけで……」
ほら、エレナって成績が良くて、みんなの憧れの的だから……とふにゃふにゃ続けるマリナ。一体どちらの味方をしたいのか。エレナはため息を一つ吐き出した。
「で、きみはそれを言うために私を追ってきたの?」
「あ、ううん、そうじゃないの」
慌てて否定して、マリナは「実は」と切り出した。
「エレナ、あなたにメイラのことをお願いしたくて」
「メイラ?」
一体何の話だ。エレナは訝しげに歩みを止める。
「あのね、近い未来、メイラが独りになってしまいそうになった時、気にかけてあげてほしいんだ」
「……はあ?」
思わず顔をしかめた。
「そういうのは、きみやミルクの役目だろう」
確か、マリナとメイラは幼年時代から片時も離れたことがないほどベッタリだったか。そこにミルクを加えた三人が、近頃は校外学習の行動班が同じこともあって一緒に過ごしている面子だったはず。
仲良し同士、仲良くし続ければ良いだけの話だ。わざわざ私を頼る必要がどこにある。
「もちろんメイラのそばに誰かが居る限り、私のお願いは忘れててもらって構わないよ」
でもね、とマリナは続ける。
「この先何かが起きてしまった時、冷静な思考ができる人は、エレナ、あなたしか居ないと思って。だめかな?」
何を言いたいのか要領を得ない言葉。
「意味が分からない」と、エレナは苛立ちごと言葉を吐き捨てた。
「でも、同級生の中で一番頼りになるのはエレナなんだもの」
マリナは「だからね、お願い聞いてくれる?」とエレナの手を取って両手で包んでくる。
「お断りに決まってるだろう」
エレナはマリナに握られていた手をぐっと自分へ引き寄せた。エレナの手はマリナの手からすっぽ抜け、残された両手は所在なく空中に留まる。
「何が『だから』なんだ。そもそも他人への頼み事にしては抽象的すぎる。もっと意図が伝わるように話せないの」
「ごめん。でもその時が来れば、エレナなら自ずと意味もわかってくると思うから」
チ、と舌打ちが出る。
あくまで具体的な話はしないつもりらしい。
「私がきみの頼みを引き受けるメリットは?」
「んー、どうだろ……」
どうだろうと来た。
不機嫌なエレナに対し、マリナは困ったような顔でふにゃっと笑う。
「それはエレナ次第だから」
そんな無責任な話があるかと思っていると、マリナは意味深に話を続けた。
「でも、もう聞いちゃったんだから、エレナは無視することなんて出来ないでしょ?」
「……何が」
「きっと何かが起きた時、あなたは私の話を思い出す。あなたなら、そこに関連性を見出してしまう。そして、浮上した疑問を解消するために行動してしまうの。メイラと一緒にね」
「へえ、恐ろしいね。暗示でもかけているつもり?」
エレナが挑発するように片眉を上げると、空色の髪の少女は「そんなんじゃないよ」と笑った。
「ただの切実なお願いだもの」
どうだか、という言葉がエレナの口からこぼれた。
「友達想いは結構だけど、私は興味の持てない人間とは行動しない」
「うん、それで構わないよ」
メイラは特別だから。
きっと興味を持つことになるよ。
最後にマリナはそう言っていた。
***
「それであの事故が起きた。メイラは事故の状況が不自然だったと言って孤独になりかけるし──結局、マリナの予言めいた言葉の通りになった」
小学校の校舎の裏手にある小さな公園のベンチに座って、エレナは空中を睨むように言った。
「そして思ったんだ。もしかしてマリナは、自分が死ぬことを予見していたんじゃないかって」
エレナの隣に座るメイラは、膝に置いた両手をぎゅっと握った。制服のスカートにくしゃっと皺が入る。
「そんなの、悲しいよ……」
つぶやいた声は震えていた。
「自分が死ぬのが分かってるなんて、そんな怖くて悲しいことないよ」
エレナは口を噤み、静かにメイラを見守った。
なんで、とメイラの震え声が続く。
「なんでわたしには何も言っておいてくれなかったのかな。エレナと違って、頼りにならないからなのかな」
「……メイラ」
「自分が大変な時だったなら、なんで、わたしのことなんか……」
そしてメイラは黙り込み、下を向いて必死で涙を堪えていた。
エレナはそんなメイラから視線を外し、「泣けばいいんじゃない」とぽつりと言う。
「ずっと泣かないように我慢していたんだろう。──きみのことは気にかけていたから、そのくらい分かる」
メイラは一度大きくしゃくり上げた。うう、と喉から漏れた声と共に、握りしめた手の甲にポタポタと雫が落ちる。
「マリナ、どうして……」
とめどなく溢れる涙を手で拭いながら、メイラは幼少期から共に過ごした友達の名前を呼んだ。
「どうして死んじゃったの、マリナ」
その問いを最後に、メイラは声を上げて泣き出した。
エレナは隣でじっと座っていたが、そのうち立ち上がって公園を去ってゆく。
一人残されたメイラは、その場に留まって泣き続けた。
本当はずっと、悲しかったのだ。
マリナがもういないことを頭では分かったつもりでも、心の奥底では認めていなかったのかもしれない。
こうして泣いていると、マリナが死んでしまったことを心から認めることになってしまいそうで怖かった。泣き止みたいのに、しかしどうしてか、今まで堰き止められていたはずの涙を止めることができない。
こんなにも苦しいのはどうして。
「メイラ」
そんな時ふと声が掛かって、メイラは泣き顔を上げた。
見るとエレナが手に二人分のパンを持って立っている。
「食堂でパンをもらってきた。このままだと晩ご飯の時間が終わってしまうから」
手渡されたパンを受け取る。ありがとうと言いたいが、上手く声が出せない。
エレナはメイラの隣にすとんと腰を下ろした。
「気が済むまで泣いていいよ。私はここに居るから。あ、ただし門限を破らない程度で……」
柄にもなく言葉尻を濁し、エレナはそれを取り繕うように続けて言った。
「それと、あまりまぶたを強く擦らない方がいい。いや、もう遅いか」
そうしてくちびるを弄るエレナに、メイラは「もう大丈夫だよ」と告げる。
「え、もうって?」
聞き返され、
「エレナのおかげで泣き止めたから、もう平気」
涙でぐしゃぐしゃの顔で、メイラはにっこりと笑った。
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