2-8 不可解な点
『その不可解な点というのを、詳しく教えてもらえますか?』
エレナの問いを受け、チェリーは一度手元に視線を落としたあと、静かに口を開いた。
「この事故は、本当に偶然起こったのかしらと……どうしてもそう考えてしまうの」
その理由として一点目にチェリーが挙げたのは、実習地の森の中で、マリナがただ道に迷ったにしては、見失った地点から距離が離れすぎていたことだった。
考えられるのは、何者かに連れ去られたとか、
──マリナが自らの意思で離れた、とか。
これはエレナの心の中で言うだけに留めた。
「それで、それ以外にも不可解な点が?」
訊くとチェリーは頷く。
「私の探知魔法が、一度目は失敗してしまったと言ったでしょう」
「ええ、そうでしたね」
「けれど、その失敗の仕方が今までになかったものだったから、違和感があって……学園に戻ってから何度か魔法を試してみたけれど、結局、まだ同じ現象は起きていないの」
通常、探知魔法に失敗をすると、そもそも何の反応も返ってこない。
チェリーの探知魔法は、探知対象の実体を目にしたことがあって、なおかつ、形状や姿を鮮明に記憶している必要がある。チェリーが探知魔法を得意とする理由こそ、映像を記憶する能力に長けているからだった。
中でも人物の探知が得意であるのは、人の顔を瞬時に、正確に記憶することができるためだ。
あの時、もしもマリナの頭部が残っていなかったら、二度目の探知が成功することもなかったかもしれない、とチェリーは低い声でつぶやいた。
もちろん、それは一度目の探知にも同じことが言える。──そもそも魔法反応が返ってくることはなく、通常の失敗に終わっていただろう、という意味で。
「一度目の探知では確かに反応があった。私自身、成功した感触もあったわ。……でも、魔法は途切れ、失敗してしまった。まるで、明確な意志をもった誰かに遮断されたかのようだった」
「明確な意志をもって遮断する、そのようなことが可能なのですか」
「分からない……けれど、魔力に敏感であれば、探知された対象は自分に魔法が掛けられたことに気がつくでしょうし、こちらの探知を弾くこともできるのかもしれない。だけど……」
言わんとすることは分かる。
マリナは小学校五年生。まだ初歩級の魔法しか教わっていない子供だ。
仮に、チェリーの探知魔法に何者かの妨害があったとしても、それがマリナ自身であるとはちょっと考えにくい。
ちらりとメイラの様子をうかがうと、先程と同様、緊張した顔でじっとチェリーの言葉に耳を傾けている。
この件は全員が同意か。
「ところで先生」と、エレナはチェリーの顔を見た。「マリナの一度目の探知において魔法が途切れた現象を再現するため、帰ってから何度か探知魔法を試した、とおっしゃいましたね」
「ええ、そうだけど……」
まだ、同じ現象は確認できていない。
「その中で、『マリナ』を対象に魔法を使ってみたことは?」
チェリーは僅かに目を見張った。それから眉根を寄せ、テーブルの上に視線を落とす。
「ないわ……」
「今ここで、試してみてもらえませんか」
チェリーはすぐに頷いた。
「わかった、やってみる」
両手を強く握り合わせ、チェリーは固く目を閉じた。
まるで神への祈りを捧げるかのような姿。
狭い会議室に、チェリー自身の魔力の気配がはっきりと感じられる。
エレナは無意識に身を乗り出した。
チェリーは学生時代から魔法の才能に優れ、学園職員としても期待の新人であると噂に聞いている。
マリナのことももちろん気になるが、チェリーの魔法の実演自体も貴重な体験に──
しかし魔力の気配は、蝋燭の火に息を吹きかけたかのようにフッと消失した。
ゆっくりと開かれたチェリーの瞳が小刻みに揺れている。
「……どうでしたか」
こわごわ訊ねると、チェリーは悔しそうに首を振った。
「だめだった……」
「だめだったとは?」
たたみかけるように問う。
チェリーはまぶたを伏せた。
「何も、反応が起こらなかったの」
つまりは通常の「失敗」というわけか。
エレナは下くちびるに手をやった。
「失敗の要因として考えられるものは?」
問うと、チェリーは虚ろに目を開き、独り言のように淡々と言葉を並べた。
「例えば、対象との距離が遠すぎる場合。私の現在の実力では、条件として半径5km以内に対象が存在していなければならない。その他には、対象の形状が記憶と著しく異なる場合が考えられる」
淡々と淀みなく紡がれる言葉から、自身の魔法について研究を重ねてきたであろうことがうかがえる。彼女以上に彼女の魔法を知るものは、少なくともこの場にはいない。魔法が失敗した要因は、チェリーの言葉を信用するべきだ。
すなわち、マリナが今どこにいて、どんな姿になっているのかが肝要になる。
「マリナの体が、今もまだソレナリス島に残されているということですかね」
チェリーは首を振る。
「それはないと思うわ。マリナが布製のケースに包まれて学園本島に転送されるところを見たもの。その後は、医療局預かりになったはず」
学園本島……天空に浮かぶ島にマリナの死体が存在するのであれば、ここ教育局本部から半径5kmの範囲に収まっているはずだ。
失敗した原因が距離でないとすれば、もう一つの『対象の形状が記憶と著しく異なる場合』を考えなくてはならないが。
──それは、この場で話し合ったところで、全て憶測にしかならない、か。
死んだ人がその後どうなるかなんて知らない。
学園の機密のうちの一つだ。
局長や副局長などの役付きなら知っていそうだが、若い職員が知っている可能性は低いだろう。
実際、チェリーも分からないと言って俯いた。
***
その後、チェリーには丁重にお礼を言って小会議室を出た。
別れ際、魔法に失敗したことなどを気に病んでか彼女はすまなさそうにしていたが、メイラのためになるならと、口止めされていた内容までも話してくれたのだ。チェリーは十分、協力的だった。
廊下に出たころには夕方になっていた。日の長い季節なので、窓の外はまだ明るかったけれども。
それからメイラとの約束どおり、職員名簿を貰いに一階の事務課の執務室を訪ねた。
「み、みんな忙しそうだね」
メイラの感想どおり、カウンターの奥にひしめく机に向かって、職員たちは忙しそうにそれぞれの作業に取り掛かっている。
と、ふとカウンターを見ると、上にメモの挟まったスタンドが見えた。
「メイラ、これ……」
エレナが指さしたメモには、『今年の職員名簿の配布は終了しました』と書かれている。
ちょっぴり残念、とメイラは小さくつぶやいた。
「まあ、見たい時に私が貸してあげよう。……たまになら」
そう言うとメイラは、「えへへ、ありがと」とくすぐったそうな笑顔を見せてくる。
マリナの事故の詳細な話を聞き、悲惨な光景をありありと思い出した直後だろうに。強いな、と素直に思う。
今日、教育局本部へ訪れてから、いや、事故のあった当日も、この同級生は気丈に振舞っていた。
知識や能力は年齢相応だとしても、そんな殻を破ろうとして、彼女はもがいている最中なのではないか。
「メイラ、きみに話しておくべきことがある」
本部から学生寮に戻る道の途中、エレナは静かに言った。
キョトンとするメイラに、表情を変えないままエレナは続ける。
「実は、私は事故の少し前にマリナから頼み事を受けていたんだ。──きみのことで」
メイラが息を飲む音がはっきりと聞こえた。
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