2-5 コーヒーを待つ間

 それからシュガーは、「さーて、シュガーちゃんはコーヒーでも持って来てあげよっかなぁ」と言いながら、腕や膝を曲げ伸ばす準備運動を始めた。


「なぜ、そこで準備うんど」


 エレナの率直な疑問を遮って、先程から落ち着きない様子のチェリーが「あの、コーヒーなら私が……」と割って入った。

 エレナは反射的にチェリーへと物言いたげな視線を投げたが、シュガーが「チェリーちゃん」と諭すように彼女の名を呼ぶのを見て、口を噤む。


「この子たちはチェリーちゃんのお客人なんだから、チェリーちゃんが相手しないとダメでしょー?」

「しかし……」

「いいのいいの。それに、わたし暇人だし。ねー、エレナ?」


 シュガーは当て付けのようにエレナに向けてウインクをすると、鼻歌を歌いながら小会議室を出て行った。

 その背中を見送ったエレナがげんなりとした顔でつぶやく。


「……シュガー先生に、あんな子供っぽいところがあったなんて」


 隣でメイラが「まあまあ……」となだめた。エレナがこれほどまであからさまに表情に出すのは珍しいかもしれない。

 メイラは少し考えてから、うつむくチェリーに向かって明るい笑顔をつくる。


「えっと、チェリー先生は、シュガー先生とは仲が良いんですか?」

「……っ」


 チェリーが肩をびくりと震わせ、息を飲むのがわかった。

 メイラもさっと不安そうな表情になり、ピタリと動きを止める。

 チェリーは慌てて「あ、ご、ごめんなさい」と早口に謝った。


「せっかくメイラが話を振ってくれたのに、私……」


 言葉を詰まらせながら、チェリーは自分の胸元をきゅっと握る。

 気に病まないでほしいと言うように、メイラはぶんぶんと大きく首を横に振った。

 チェリー先生は、ひどく緊張している。あまり意識していなかったが、自分たちは一般的な小学生の行動範囲から出てきて、わざわざ先生の職場まで押し掛けてきているのだ。

 先生でも不安になることはある。考えてみたら、それは当たり前のことなのかもしれなかった。


「先生、とりあえず座りませんか。ゆっくりお話ししたいので」


 エレナが口を挟んだ。言い聞かせるような落ち着いた口調だった。


「あ、あなたは――」


 チェリーが悩む様子を見て、エレナはわざとらしく「あれっ」と口もとを押さえる。


「そういえばすっかりシュガー先生のペースに飲まれてしまって、ご挨拶もまだでしたね」


 そう言うとエレナは恭しく視線を下げ、軽く膝を曲げた。


「私はエレナ。そこにいるメイラと――事故に遭ったマリナの友人です」


 そして顔を上げ、チェリーをまっすぐに見据える。


「本日は、突然来てしまってごめんなさい。しかし、どうしてもお聞きしたいことがあるのです。マリナの事故について、先生の知っていることを教えてはくださいませんか」



 **



 そうは言っても、シュガー先生がコーヒーを持ってここへ戻ってくるのなら、いきなり本題に入るわけにもいかないか。

 エレナは、角テーブルの向こうに座るチェリーを眺めた。

 背筋を正し、思い詰めた顔で、じっとこちらの言葉を待っている。

 少しばかり身構えすぎではないだろうか。

 校外自然学習当日の取り乱しようから見ても、こちらはこちらで、あまり大人らしくは感じない。


 チェリーが、まだ研修生という立場の若い先生であることは知っている。

 少量の血液を多量の水で薄めたようなピンクの髪に、色素の薄い灰色の瞳。

 燃えるような真っ赤な髪をしたメイラと比べると、どこか儚げな印象があった。


「シュガー先生って、なんだか不思議な人ですよね」


 エレナは何気ない口ぶりで話を振る。

 本題に入る前に、メイラが振って、チェリーが途切れさせてしまった話の仕切り直し。

 チェリーはハッとしてから、少し気まずそうに口を開いた。


「……ごめんなさい。私、シュガーさんとは知り合ったばかりで、あまりよく知らなくて。シュガーさんはロマ先生の補佐のお仕事をしているから、お世話になる機会もあるけれど……」

「ほう。シュガー先生って、校長先生の補佐だったんですか」


 その情報はすでにエレナの知るところではある。

 が、それをあえてチェリーに言う必要もないかと考えていると、


「あのぉ、エレナ。校長先生って……」


 隣に座るメイラが遠慮がちに腕をつついてきた。

「ん?」とエレナは首を傾げる。今の会話にどこかおかしいところはあっただろうか。

 その様子を見かねたチェリーが、こそっと補足をする。


「校長先生は、ロマ先生というお名前で……」

「な、なるほど、そうだったんですね」


 メイラは照れくさそうに髪の毛をクルクルといじった。

 数瞬遅れて、やっと合点の行ったエレナが「ああ!」と手を合わせる。


「メイラ、きみは、校長先生は校長先生という名前の人だと思っていたんだね!」

「うやぁ……」


 メイラは返す言葉もなく、顔を赤くしてうつむいた。

 ただ個人名を覚えていなかっただけなのでは……というチェリーの小声のフォローは、エレナの耳に届く前に、虚しくくうに消える。


「ついでに豆知識でも語ろうか。ロマ先生は他にも色んな役職をかけもちしているから常に校舎にいるわけじゃないけど、実はかなりすごい人だから」

「すごいひと?」


 メイラがくりかえすと、エレナは頷いた。


「数年前、小中学校の先生になるための専門教育ってものが新しく作られたんだけど、それにはロマ先生の尽力が不可欠だったらしいね。

 教育そのものについて勉強するには、まず専門学校を出て、教育局に配属されてから研修するっていうのが常識だったんだけど、また別のルートを選べるようにしたんだ。より早く、専門学校から深く教育について学べるようにね。

 その立案や、要件の定義に携わったのが、私たちの校長先生であり、教育推進部門長でもあるロマ先生なんだよ。

 あと、本人みずから教壇に立って、専門学校の生徒たちに直々に教えているっていうから驚きだよね」


 エレナが語り終えると、それにいち早く反応を見せたのはチェリーの方だった。

 重たい息を吐き出すチェリーに視線を向けると、彼女は観念したようにぽつりとつぶやく。


「あらためて聞くと、ロマ先生はとんでもないお方よね……」


 つぶやいたあと、更に表情を暗くするのをエレナは見逃さなかった。


「校長先生と何かあったんです?」

「あ……いいえ、逆に……何も……」


 チェリーは言葉を迷うように、手元をじっと見つめている。

 エレナは無言でそれを見守った。またもホコリ臭い部屋に静寂が訪れる。

 やがて、チェリーの口から震えた声が絞り出された。


「……マリナを守れなくて、助けられなくて、本当にごめんなさい」


 その言葉のあと、室内に沈黙が戻った。

 エレナは、隣で息を詰めているメイラに視線を向ける。するとメイラは「――えっ」と声を出し、慌て始めた。チェリーの謝罪が自分に向けられたものだと気付いたようだ。


「そんな、チェリー先生にあやまってもらいたくて来たわけじゃないです、わたしたち……」


 言いながら、助けを求めてエレナを見る。エレナはそれを受け、「まあ……」と濁しながら引き継いだ。


「メイラがこう言うのですから、私も同意見です。それと、失礼ですが、今の先生の謝罪が、校長先生の話とどう繋がるのかが見えないのですが……」


 その前に――と、部屋を見回して時計を探す。


「シュガー先生、遅いな……」

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