2-6 甘く、甘く、甘い!

「ごめんごめん、遅くなったー」


 シュガーはヘニャッとした笑顔を浮かべて小会議室に戻ってきた。その手には、三つのカップが乗ったトレイ。

 チェリーが慌てて席を立ち、「シュガーさん、すみませんでした」と両手を伸ばすと、シュガーは「悪いねー」とねぎらいつつトレイごと手渡した。


「いやー、参った。お子様にあげるコーヒーって、どう調合すればいいんだっけ、とか悩んじゃってさぁ」


 調合、という単語にエレナは引っかかりを覚える。シュガー先生はいったい何を作ってきたと言うのだろう。

 訝しく思いながら目の前に配膳されたコーヒーカップの内側を覗くと、ベージュの液体がたっぷりと見える。


「子どもでも飲めるようにあま〜くした、シュガーちゃんオリジナルカフェオレだよー。さぁさぁ、遠慮なく」


 わあ、いただきます。と目を輝かせ、メイラは勧められるままにコーヒーカップを手に取った。エレナは動けず、その様子を横からじっと見守ってしまう。

 メイラがカップに口をつけた。そして中の液体を口に含み、ごくりと嚥下するのが見てとれ、エレナは僅かに目を見開く。


「お口に合いますでしょうか」


 妙にかしこまったシュガーの台詞。この場が、僅かながら緊張感を孕んだ。

 エレナはますますメイラに注目する。

 カップを口元から離したメイラは、笑っているのか、泣き出しそうなのをこらえているのか──一言では表し難い、複雑な表情をしていた。

 その顔から、いったいどんな感想が述べられるというのか。

 メイラは何とも言い難い表情のまま、くちびるを開く。


「おいしいです」


 それが本心からの言葉だとはエレナにはとても思えなかったが、対してシュガーはパァッと顔をほころばせた。


「ほんとー? よかったー!」


 その様子にメイラは安堵したらしく、詰めていた息を吐き出すように「うへへ」と笑った。

 シュガーも空気が抜けたバルーンのように、くにゃっと姿勢を崩す。


「実はねー、ボスはねー、コーヒーは自分で淹れるからやらなくて大丈夫、だなんて言ったんだよ? 失礼しちゃうのよー」


 シュガーの口から自然と零された愚痴を、エレナは「ふうん?」と拾い上げた。


「シュガー先生の上司ボスと言うと?」

「ロマちゃんだよー、もちろん」


 エレナは口を噤んだ。

 異動してきて新しく上司になったばかりの人物のことを、気安くロマちゃん呼ばわりするものだろうか。

 しかも、小学生と研修生の前だ。というか小学生など部外者だろう。それを、なんの躊躇もなく。


 そういえば、教育局へ来る以前のシュガー先生の経歴を知らない。

 総合管理局で働いていたと言うが、それが何年間で、どんな役職だったのかエレナは知らないのだ。


 成人した少女族は、皆が年齢不詳だ。

 それもそのはず、成人するともう外見が変わらないのだから。

 実はかなりの年長者だということも十分に有り得る。またはロマ先生とは旧知の仲だったり?

 いや、単にシュガー先生がざっくばらんな性格というだけ、ということもあるが……。


「どうかした?」


 シュガーからの問いに、「いえ」とエレナはかぶりを振った。


「先程まで、私たちもそのについて話していたものですから」

「へー、そうだったの?」

「ええ。まあ、校長先生のことをメイラに訊かれて──」


 言いながらメイラを振り向くと、当人はハッとしたように身を固くした。


「えっと、こ、校長先生って、ロマ先生ってお名前があったんだなあって、わたし、しらなくて……」


 たどたどしい口調で説明するメイラ。

 シュガーはそんな赤髪の少女を見て、軽快な声を上げて笑った。


「わかるー! 校長先生は校長先生っていう生き物だったよね。あー、なつかしー」


 本人が聞いたらどんな顔するかなーと笑って、シュガーは続けた。


「これからはロマ先生って呼んであげなよー。てか、そのほうが個人が特定できて、本人にも周りにもありがたいかな。ロマちゃんの肩書きっていっぱいあるからさ、本人ですら即座に反応できるかどうかアヤしいんだもん」


 それだけの肩書きがあるロマならば、多忙であるのは想像に難くないし、シュガーのように仕事のサポートをする人員が付くのも当然なのだろうか、とエレナは聞きながら考えた。

 しかし、その割に、


「そんなロマ先生の補佐についているシュガー先生が、なぜ、いつもヒマなのです?」


 エレナがストレートな問いをぶつけると、シュガーはぷくっと頬を膨らませた。


「ボスがなんでも自分でやっちゃうからだよー」

「?」

「ボスからの仕事は、雑用くらいしか渡されないの。補佐と雑用係を勘違いしてるんじゃないかな。ほんと失礼しちゃうのよー」


 どういうことなのだろう、とエレナは首を傾げた。

 ロマは、部下であるシュガーを信用していない?

 先程「ロマちゃん」とシュガーが気安く呼んだことと、今の発言とが、どこか腑に落ちない気がするのだが。考えすぎだろうか。


「んじゃ、そろそろわたしは戻りますかー。ヒマジンとはいえ、いつまでも油売ってるワケにもいかないし」


 シュガーはうう〜んと伸びをした。

 それから、それまで息をひそめるように佇んでいたチェリーに近付き、肩にポンと手を置く。


「チェリーちゃん。忘れてないよね?」


 チェリーは一瞬目を見開き、「はい……」と消え入りそうな声で返事をした。


 ──なんだ、いまのは?


 自分とメイラが小会議室で待っている間、二人の間で何か約束でもしていたのだろうか。それとも仕事の話か?

 むみゅ、とエレナは自分のくちびるをつまむ。そのまま、小会議室から出ていくシュガーの背中を見送った。


 シュガーと、その上司であるロマ……。

 ロマは一応、自分たちの通う小学校の校長でもあるので、直接会って話を聞くタイミングが作れるかもしれない。


 しかし今は、チェリーだ。

 エレナは手を机の上に置き、息をついた。

 これでやっと本題に入ることができる。

 メイラの言葉によれば、あの事故には、マリナには、何か不可解な点があったのだ。それをチェリーの言葉でも聞きたい。


 ──まったく、マリナはとんでもない宿題を置いていってくれたものだ。


 今思うと、私がこうしてメイラと共に行動する未来すら、あのとした顔の青髪のクラスメイトには、きっとお見通しだったのだろう。

 本当、本人の口から全て語っておいてくれたら良いものを。


 エレナは目の前に置かれたカップにそぞろに手を伸ばした。

 手に取ってから、それがシュガーちゃんオリジナルカフェオレであることを思い出す。

 同時に、メイラのあの、なんとも言えない表情が目に浮かんだ。

 美味し……くはないのだろう。

 いや、喉を潤せたら何でもいいか。既にけっこう喋って口が渇いたし──

 そう思って、一気に喉に流し込んだ。


「ンんッ?!」


 すぐに逆流しそうになって、慌てて口と鼻を押さえる。

 なんとか吐き出すのをこらえてから、ゲホ、と何度か大きく咳き込んだ。

 喉がヒリヒリと痒い。痒いと言うか痛い。


 ──これは、これは……これは……。


 攻撃的な甘さ。

 口の中がジャリジャリする。砂糖の塊?

 ふと、背中に手の温もりを感じた。大きさ的にチェリーだろうか。背中をさすってくれる手が心地よい。


「泣かないで、エレナ!」

「な゛い゛て゛な゛い゛よ゛」


 涙声で返事してから、それがメイラの声だと遅れて理解した。

 メイラは、この──砂糖が溶けきらない程入れられた激甘の液体を飲み込んで「おいしいです」と言ってみせたのか……。


 思っていた以上にメイラは我慢強かったのだな、と身震いをするエレナであった。


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