2-3 幼少期の思い出
メイラは、小学生になるよりも前――幼少期のことをほとんど覚えていない。てっきり周りのみんなもそうなのだと思っていたのに、どうやら記憶がうすぼんやりしているのはメイラだけらしいのだ。
メイラたちが五年生になってすぐのこと。
その日は幼児期の少女族についての授業があって、話の導入として、教壇に立つ先生が『生まれて初めて目覚めた時のことを覚えていますか?』と教室の子供たちに質問を投げかけていた。
まずエレナが、『目覚めなさいと言われて目覚めたら、目の前に白衣の先生がいました』とスラスラ答えて、続いてミルクが、『目覚めた日だけは、個室の白いベッドで寝ていました』だとか答えていて、メイラにしてみれば中々に衝撃的だった。
生まれて初めての『目覚め』。全ての少女族の子供は、この『目覚め』を経験してここにいる。
先生の話によれば、少女族は眠ったまま生まれてきて、その眠りから覚めるまでの間に、簡単な言葉だとか、基礎的な生活ルールだとかを学ぶそうだ。
だから『目覚め』を迎えた時には、すでにちょっとした会話ならできるようになっているし、当時の記憶がハッキリしているのも普通のことらしい。
メイラがその普通に当てはまらないのだとは、授業中にはついぞ言い出せなかったけれど。
「目覚めの記憶なんて、なんにも覚えてないよ。わたしって忘れっぽいのかなぁ」
授業が終わってから、メイラは隣の席のマリナにそんな言葉をこっそりと吐露していた。
対するマリナはというと、眉尻を下げたかと思えば、「そ、」と口ごもった。
「そんなことないんじゃないかな?」
「むぅ……」
妙な間のあるフォローに、メイラはちょっぴりくちびるを尖らせて拗ねてみせる。本気で拗ねたのではなく、普段から慣れ親しんだマリナ相手だからこそ見せる、甘えたしぐさ。
それはマリナもお見通しのようで、「ふふ」と困ったような顔のまま笑った。
「目覚めの記憶じゃなくても、小さい時のことで、なにか、思い出せることはないの?」
ゆっくりと鈴を転がすように問い掛けてくるマリナの声が、メイラの耳を甘やかにくすぐる。
いつも、この穏やかな声を聞くとなんだか安心するのだ。
マリナは引っ込み思案で怖がりなところがあるため、クラスの中では妹分のような立ち位置になっているのだが、メイラからすると、マリナはいとけない中にも大人びた気配が見え隠れしていると感じる。
「思い出せること、かあ……」
メイラは軽く目を閉じて、記憶の海の中から、幼い頃の思い出を探る。小学校に入る直前のエピソードくらいなら思い出せるかもしれない。
――記憶のカギとなるのは、やはりマリナだろうか。
周囲からの証言からするに、マリナとは幼少期から一緒に過ごしていたようだ。メイラのおぼろげな記憶の中にも、ぼんやりと幼いマリナの姿があるから、食い違いはない。
小学校に入学する前は、『幼年教育センター』という施設の中で暮らしていた――らしい。
みんながその施設で『目覚め』を迎え、小学校で学ぶための準備をするのだと言うから、記憶がはっきりしないにしろ、メイラも例外ではないのだろう。
センターの中にも学校のように教室があって、各教室には担任の先生がついていたそうだ。教室の内装は、小学校のシンプルな教室よりもカラフルで、床も壁も、色とりどりのクッションタイルが敷き詰められていた、と。
「そんな場所に心当たりはある?」
「う〜ん」
言われてみれば、そんな場所にいた気もしないでもない。
カラフルな教室。
マリナ。
「あっ」
メイラはぱっちりと眼を開いた。
ぼんやりした記憶が、初めてピントの合った像を結んだのだ。
「わたし、そこでマリナと一緒に何かの本を読んでいなかった?」
「本?」
「ええと、どんなお話だったっけ……」
手探り、記憶を手繰り寄せる。
「たしか、レカニア様について書いてあった気がするんだけど――」
「そのお話、私、覚えてるかも」
「ほんと?」
マリナはゆっくりと頷くと、メイラにあらすじを聞かせてくれた。
***
むかし、カリオガ王国というところに、レカニアさまとエリスファエアさまという二人の姉妹がいました。
レカニアさまとエリスファエアさまは、すばらしい魔法をあつかうことができたので、お二人は、その力を王国のために使い、国民たちから「大賢者さま」として広く親しまれました。
あるとき、レカニアさまは、魔法の力を今よりもさらにすばらしいものにしたいと考え、魔法技術研究所を設立することを王様にお願いしました。
王様は、いつも国のために頑張ってくれているレカニアさまのお願いならばと、こころよく受け入れました。
こうして、レカニアさまは魔法技術研究所の所長になり、世界をより良くするための研究を始めることとなったのです。
エリスファエアさまも、レカニアさまの研究を助けながら、より一層の活躍をしました。
レカニアさまは、研究のかたわら、魔法をあつかえる人々がもっと増えてほしいと考えました。
そこで、レカニアさまは、ご自身の子供たちのほか、才能のある子供たちを見いだし、魔法の使いかたを教えるために、研究所の一室を使って塾を開きました。
このレカニアさまの塾が、のちの〈レカ少女族魔法学園〉へと発展してゆくこととなったのです。
現在、母なる神レカニアさまは、学園の理事長として、ひきつづき子供たちのためにお力を尽くしてくださっています。
レカニアさまの妹であるエリスファエアさまも、レカニアさまとこころざしを同じくし、今もわたしたちを見守ってくださっているのです。
***
「こんなお話だったと思うんだけど……」
マリナが話してくれたのは、この〈学園〉の発足に関わる話であった。
小学校でも、おおむね同じ内容を教わっている。
この学園が元々は〈カリオガ〉という国の一部であったこと。レカニア様が学園を創立した歴史。それから、今はカリオガ王国との関係が上手く行っていないこと。
ただ――
「やっぱり、内容を聞いてもはっきりとは思い出せないなぁ。それに、レカニア様に妹がいるだなんて、授業では教わってないよね。エリ……なんだっけ」
「エリスファエアさまだよー」
えらい人なのだろうけれど、長いし、覚えづらい名前だ。メイラは「えりす……ふぁえあさま」とぼそぼそ復唱する。
「マリナは本当にすごいよ! 小さいころに読んだ本の内容をこんなにしっかり覚えてるなんて」
褒められたことが照れくさかったのか、マリナは「えへへ」と笑った。
「私、ほかにも、メイラとの思い出ならいっぱいあるんだよ」
例えば、メイラが間違えてプラムの靴を履いちゃったことがあってね。
そんな風に、メイラの知らないメイラのことを語って聞かせるマリナの柔らかな声色や瞳の動き、くちびるの動き、しぐさ、揺れる空色の髪――まるで映像を見ているかのように、はっきりと思い出せる。
ほとんど残っていない幼少期の記憶のぶんを取り返すように、目に焼き付けたものだ。
メイラの隣に、マリナはもういない。
学校という閉ざされた空間のなかで、二十三人の同級生の存在は大きい。中でも、過ごす時間が一番長かったマリナは、メイラの世界の全てのような存在だった。
ミルクは──マリナの死体を見たあの日以来、あんなにも取り乱してしまっている。泣きじゃくるミルクをメイラが宥めることになるだなんて、普段なら考えつきもしなかったことだ。
マリナの死がミルクにとっても相当なショックとなったのは確かだ。
けれどやっぱり、マリナの名前をタブーみたいに扱うことは、メイラにはどうしてもできない。
エレナがミルクと言い争ったときにはヒヤヒヤしたけれど、一人になって冷静に考えてみれば、エレナはメイラの代わりに怒ってくれたのかもしれなかった。
今はそう――素直にエレナに協力してもらうべきなのだ。
マリナのためと言うよりは、メイラ自身のために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます