2-2 朝の嵐
“チェリー先生に会いに行く。……”
エレナは余裕綽々の態度だが、対するメイラは少々戸惑ってしまった。
子供どうしで話していたって得られる情報には限界があるので、いずれ大人に話を聞かねばならないことは、メイラにも気付けないではなかった。ただ、それは最終手段くらいに思っていただけで。
実は少女族の子供にとって、身近な大人というのは数えるほどしかない。いつも授業をしてくれる学校の先生と、学生寮でお世話になる寮の先生。そのくらいである。
だからエレナがこうもあっさりとチェリー先生に目を向けたことに、メイラは戸惑ったというわけだ。
それと、ひとつ問題がある。
「会いに行くって言っても、まずはどこで会えるのか調べないと駄目かも。学校の中では、チェリー先生を見たことがないし……」
チェリー先生とは、校外自然学習の当日に初めて顔を合わせた。そもそも、直前になるまで各行動班の担当の先生は決まっていなかったらしい。
実習の班の先生は、小学校の中で働く先生とは限らないようで、校外学習当日、メイラの見たことのない大人がちらほらいた。そのうちの一人が、チェリー先生だったのだ。
だから普段、どんな場所でどんな仕事をしているか分からない。チェリー先生のことをもっとよく知っておけばよかったと、今になって悔やまれる。
しかし、そんなメイラの不安と後悔を、エレナはあっさりと解決した。
「ええとね、チェリー先生に会える場所は、教育局本部にある、教員養成センターというところに尋ねれば分かるはず」
エレナは小冊子に視線を落としたまま淡々と言った。
「教員養成センター?」
「うん。チェリー先生は研修生。言ってみれば、チェリー先生は先生のタマゴなのさ。つまりは、本部で先生になるトレーニングをしてるんだよ。それをサポートしているのが、教員養成センターっていうところ」
へえー、とメイラは素直に感心した。
「エレナは、先生のことにも詳しいのね」
「メイラも調べ方さえ知っていれば、このくらいは簡単に分かるようになるよ」
「ほんと?」
エレナは頷き、顔を上げる。
「例えば……まず、教育局本部、管理部門のフロアにある、事務課というプレートが掛かった部屋を訪ねるんだ」
「ジム課」
「そこで、誰でもいいんだけど、近くにいる大人に声をかけて、『職員名簿をもらいに来ました』と伝えれば、先生たちの所属と名前が一覧になった冊子をもらうことができる」
「えっ、子供でももらえるものなの?」
「もらえるものなの。あえて学校では教えてくれないだけ」
そう言って、先程から手にしていた小冊子の表紙を見せた。
「その職員名簿というのが、これだよ」
メイラは「あ」と声を出す。
さっきからエレナは何を見ているのだろう、と気になっていたのだが、これが、その。
職員名簿は、メイラたちが普段使っているテキストやノートよりも小さい、ハンドブックサイズの本だった。エレナから手渡され、じっくり見せてもらうと、意外と厚みがある。
表紙には、二つの紋章が並んで描かれていた。左側が〈学園〉の紋章、右側が〈教育局〉の紋章である。
学園の紋章は、向かい合う
これは教育局内のみの職員名簿で、他の四つの局も、それぞれに取りまとめている、とエレナは付け加えた。
「ありがとう。先生たちの名簿があるなんて知らなかった」
「メイラも欲しくなったのなら、今日のついでに事務課に顔を出して、まだもらえるかどうか聞いてみよう」
「ついでって?」
「放課後に行くだろう、教育局本部」
エレナはメイラから返却された職員名簿を受け取り、テキストの山の上に重ねた。そして続ける。
「チェリー先生に会うために、まずは教員養成センターを訪ねると、そう言ったじゃないか」
そうだった……。
メイラは恥じらい混じりの苦笑いをする。
もちろん、チェリー先生に会いに行く約束は忘れていないのだが、それが『本部を訪れる』のと同じ意味になる、ということには、あんまり結びついていなかった。
基本的に、メイラたち小学生は、学生寮と校舎との行き来しかしない。校舎の中には職員室があるし、先生に用がある場合でも、職員室を訪ねるだけで用が済んでしまう。
だから、メイラの知らない様々な大人たちも働いている教育局の本部に行く機会なんてなかったし、子供が行ける場所であるとすら思っていなかった。
またしても、エレナに遅れを取ってしまっている。
「もう少ししっかりしてくれなきゃ困るね。マリナの件について真実が知りたいと意気込みを語ったのは、メイラ、きみ自身だろう。それとも、私の見込み違いかい?」
「うう……」
返す言葉もなかった。エレナは賢く、小学生離れしているとはいえ、自分と同い歳の子供なのだ。得られる情報の範囲で言えば、メイラと同条件だろう。
しかし、ひとつ気になる。『私の見込み違い』とはどういう意味なのだろう。というか、なぜエレナはメイラの話を聞き、そのうえ協力までしてくれるのだろう。
「あの……。エレナは、どうして――」
訊きかけた、そのときだった。
教室の前の出入口から、二人分の足音が入ってきた。
その片方は、パールホワイトの髪の少女――ミルクだ。
「やあミルクにフレア! 早いね!」
その場でエレナが大きな声を出して二人に呼び掛けたので、隣のメイラは身をすくませた。ミルクとは、やはり気まずい。
呼び掛けられたミルクは、返事をする代わりに、エレナの座る『マリナの』席を見つめていた。
目が据わっている。
怖い目だ、とメイラは思った。ミルクの隣にいる大人しい同級生──フレアもおろおろと二人の顔を交互に見比べている。
ミルクが怖い顔のまま、エレナの方へと一歩を踏み出した。フレアが「あ……」と手を伸ばして引き留めようとしたが、その手は虚しく空を切る。
ミルクはエレナの元へツカツカと歩いてくると、「やめて」と詰め寄った。
「やめるって、何を?」
「その席に座らないで。そこは気軽に座っていい席じゃない」
エレナは「へえ?」と片眉を上げる。
挑発的な態度を取るエレナを見て、メイラがさらに縮こまった。
「そうやってクラスの全員を巻き込んで、マリナを腫れ物にしたいわけ?」
「なによ」とミルクは声を荒げた。「私が悪いの? なにか間違ってるとでも言いたいの?」
「逆に質問するけど、自分は間違ってないと思ってる? マリナのことに一切触れず、タブーのように扱っているのは誰のため? きみの我が身かわいさのためでしかないんじゃない? マリナが可哀想だとは思わないの?」
そんなことを矢継ぎ早に言われ、とうとうミルクは激昂した。
「エレナは、あれを見てないからそんなことが言えるの!」
メイラは、白と黒、対照的な髪色の二人が言い争う現場を前に、オドオドとしていた。
マリナの事件をきっかけにミルクとは溝ができ、気まずくなってしまったが、決してミルクのことを嫌いになってしまったわけではない。仲直りしたいと思っている。
ミルクの気持ちも理解できるからだ。
今はまだ、負った傷が新しすぎるから、誰もマリナの名を出さず、そっとしておいてほしいという願いも痛いほどわかる。この教室の中で、ミルクと傷を分け合う理解者となれるのはメイラだけだ、ということも、わかっている。
「ミルク……」
しょぼくれた声で名を呼ぶと、ミルクはメイラの方に顔を向けた。その目は怒ったままだった。
「メイラもメイラだよ。何すんなりマリナの席に座らせちゃってんの?」
メイラが返答できずにいると、ミルクはふん、と鼻を鳴らしてエレナに向き直った。
「とにかく、ここからどいて。今すぐ」
エレナは涼しい顔をしたまま「はいはい」と返事をした。椅子から立ち上がり、メイラの肩をポンと叩く。
「メイラ、短い時間になってしまったけど、きみと話せて良かったよ。それじゃ、放課後にまた」
聞こえよがしな台詞にミルクは眉をひそめたが、ぐっとくちびるを噛んで
ミルクがフレアの傍らに戻るのを見届けてから、メイラはエレナへこくこくと頷いて返す。エレナはニッコリと手を振ると、荷物をまとめて自分の席へと去っていった。
メイラはあっという間に一人になる。
五年生の教室は、嵐のあとのような静けさに包まれた。
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