1-5 地下牢の女神

 レカ少女族魔法学園 防衛局本部──地下にて。



「やあ、見ない顔だね」


 黄金色こがねいろの美しい髪と緑色の瞳をもった妙齢の女性が、ノアーニを見てにっこりと笑いかけた。

 ノアーニは、本能的に、ぞわりとした恐れを抱く。

 彼女の身体は椅子に厳重に縛りつけられ、両腕はテーブルの天板の上にがっしりと固定されている。身動きなどできるはずもないだろう。

 けれども、本気であれば、いともたやすく拘束を解いてしまえるのではないかと思わせてくる、説明しがたい『なにか』があるのだ。


――この人物こそが、エリスファエア。


 約八年前、学園は、敵対する〈カリオガ王国〉から、このエリスファエアなる女性の奪還だっかんに成功した。そのようにノアーニは教えられている。同時に、この方は学園にとって特別な存在であるとも。


「はじめまして。……エリスファエア様ですね」

「エリスでいいよ。きみは?」

「ノアーニです」


 ノアーニ、ノアーニね、とエリスはたのしそうに繰り返した。


「ここに来るのは初めてでしょ。新人?」

「……そうなりますね」


 ノアーニは、地下牢に持ち込んだ藍色あいいろのケースを開けた。中から、採血セットを丁寧に取り出す。


「ねえ、せっかくだから仲良く話しながらにしない?」


 手際てぎわ良く採血の準備を進めているノアーニに、エリスはにこやかに話しかけてきた。


「見てのとおり、自由に動き回れないからね。誰かがこうしてここに来ない限り、退屈で」


 ノアーニは手を止め、エリスの方を見る。

 その顔には若々しく肌艶はだつやがあって、やつれた様子も一切ない。

 八年間も、このままの状態で拘束されているらしいのに。


「……業務に支障ない範囲であれば」


 それだけ言って、ノアーニは作業を再開した。

 何しろ、気さくに話しかけてくるエリスの得体えたいが知れなさすぎるのだ。

 特別な存在、とだけ教えられても、それが何者で、自分たちとはどう違って、どれほどの力を有しているのか、なにも知らない。

 それに、拘束されている理由も不明。

 敵対国から『奪還した』というならば、もともと学園側の存在だったのだろう。となれば、もっと丁重に扱ってもいいはずだ。それとも何か、縛り付けておかねばならない理由でもあるのだろうか。

 とにかく分からないことだらけだが、防衛局の上官から、エリスファエアについて、業務上必要のない情報の詮索せんさくを禁止されている。

 ……前任者が異動いどうを願い出たのも、頷ける気がする。


 エリスファエア。

 彼女の血を定期的に採取できるだけで、学園の資源問題の大部分をクリアすることができるそうだ。

 採取した血液は、そのまま魔法局まほうきょく管轄の研究センターに回され、そして多目的に利用される。


 ノアーニは、エリスの右腕にそっと触れた。

 やわらかな手。エリスの身体は程よく肉付いており、健康体そのものに見える。

 この白腕しろただむきに針を刺した瞬間、エリスに反撃されるのではないか――という悪い想像が頭をよぎり、思いがけずノアーニに緊張が走った。


「そんなに身構えなくてもいいよ」


 ノアーニを見透かしたように言うエリス。


「針を刺すの、失敗しても怒らないから。あいにく、傷はすぐに治る体質なもので。存分に練習するといい」

「決して、失敗が怖いわけでは……」


 ノアーニは、これが防衛局に異動してきての初仕事だというだけで、採血自体は、医療局に身を置いている間、何度も担当してきた――という旨を早口に話した。

 話してから、むきになって口走ったことを後悔したが、「そうだったんだ。それは失礼」とエリスはあっさりと謝罪した。


「きみたち少女族って、成人した時からずっと姿かたちが変わらないでしょう。新人も、ミドルも、ベテランも、みんな同じに見えてしまう」

「あの……エリス様、あなたは――」


 貴女あなたはやはり少女族とは異なる存在なのか、と聞きかけて、ノアーニははっと我に返った。

 情報の詮索は禁止されている。


「……採血に入らせていただきます」


 エリスは慣れきった態度で、自分の腕に採血針が刺される様子を眺めている。

 無事、細いチューブにエリスの血液が流れ出し、ノアーニはほっと胸を撫で下ろした。


「一発成功じゃない。なにをそんなに恐れていたの?」

「それは……」


 口ごもるノアーニに、エリスは勝手に「ああ」と納得したような顔をした。


「上の人からは、私について、詳しいことは何も教えてもらえてないんでしょう。それから慣例どおり、情報を詮索することも禁じられていそうだ。だから、恐れている。得体の知れない私のことを」


 つらつらと、しかしノアーニの反応を楽しむように、エリスは語る。

 ノアーニは固唾を呑んだ。


「そして今、きみはこう思っている。何故、私の心が手に取るように分かるのかと。もしくは、いつの間に、読心の魔法を掛けられたのだろう――とか。当たってる?」


 ノアーニは諦めたように肩を落とす。

 もうエリスを過度に警戒しても意味がない、と理解したからだ。


「ええ、完璧に当たってますよ。本当に手に取るように……全てお見通しなんですね」

「まあね」とエリスはご機嫌である。「でも、経験則から当てずっぽうに言ってみただけ。口から出まかせだよ」

「経験則ですか」

「そりゃあね。何年もこうして腕を差し出していれば覚えてしまう。ここへ私の血を採りに来る職員は、みんなはじめ同じような態度をとるから」


 ノアーニは少々複雑な気分で、エリスの新鮮な血液が溜まりゆく保存パックの具合を確認した。

 エリスを恐れているはずなのに、言葉でもてあそばれることにはどこか納得がいかない。そんな気持ちを抱いてしまった自分自身を、ノアーニは否定する。これは仕事なのだ。エリスの言葉に翻弄ほんろうされない心も持ち合わせなくては。


「もうそろそろ終わります」

「残念だな、もっとゆっくり話していたかったね」


 エリスは言葉どおり、残念そうに目を伏せた。

 そしてぱっぱと片付けを済ませたノアーニの去り際、その背中に向かってこう言った。


「次はもっと面白い話をしよう。――詮索が禁じられているとはいえ、不可抗力で降ってきてしまった情報は、きみは受け入れるしかないでしょう?」


 ノアーニは振り返り、「……それは困ってしまいます」と苦々しく笑った。


「ここでの様子は、もちろん監視されています。もし、行き過ぎた情報を得たと判断された場合、私は一生この地下から出られないか、記憶処理をされてしまいますよ」

「あー。みんなそうやって言うよね」


 エリスは素直に頷いた。

 だから、大人しく引き下がったかと思ったのだ。しかし違った。

 得体の知れない存在は、不敵に微笑む。


「けどさ、ノアーニ。それの何が問題なの?」


 ノアーニは思った。

 この部署に異動してくるべきではなかったのかもしれない――と。

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