1-3 どうして

 結果として、チェリーの判断は間違いであったと言わざるを得ない。多少時間を取ってでも、メイラとミルクは他の教員に任せてくるべきだったのだろう。


 チェリーたちが降り立った視線の先に、少女それは横たわっていた。

 露出した木の根が、少女の小さな身体を覆い隠すかのようにうねり、折り重なっている。その隙間から覗くのは、特徴的な色の髪。

 晴天の空のような、鮮烈な青――

 スカイブルーの長い髪が、根っこだらけの地面の上にばらっと広がっている。

 チェリーはそちらを凝視しながら、子供たちを抱えていた腕をゆっくりと離した。


「マリナ……?」


 呼びかけるが、声は返ってこない。

 よろり、とチェリーは右足を踏み出した。そのつま先が、ごつんと樹根にぶつかる。まるで、これ以上マリナの元へは近付かせまいと阻んでいるかのようだった。


「……少し待っていて」


 低い声で囁くと、チェリーは不安定な足場の上を、慎重に一歩、もう一歩と進める。

 そしてその歩が、動きが、ピタリと止まった。


「先生……どうしたの……?」


 静止するチェリーの背後に向かって、メイラが震える声で問いかける。


「マリナは、マリナは無事なの?」

「戻りましょう」


 チェリーが振り返って言った。ひどく硬い声だった。


「今すぐここから離れるのよ」


 その言葉が合図となった。

 メイラとミルクは、チェリーの言葉とは真逆の行動を取った。

 横たわるマリナの元へと、二人同時に駆け出す。


「来ては駄目!」

「いやっ!」

「マリナ!!」


 チェリーの制止を振り切り、走る。

 メイラは突き出た根に足を取られ、前につんのめって派手に転んだ。


「っ……!」


 胸と腹を堅い根に強打し、あまりの痛みに声も出せずメイラはもだえた。

 その時、鉄のような、酸っぱいような臭いを鼻先が捉える。

――なんだろう、このにおい。

 メイラは、「ぐ……」と歯を食いしばりながら体を起こす。

 途中、目が合った。

 生気のない、虚ろな薄青の瞳。

 その瞳を囲うまぶたは、ぴくりとも動かない。


「嫌ぁぁぁぁああ!!!」


 森の中に悲痛な声が上がった。

 メイラのものではない――ミルクの悲鳴。

 ミルクはメイラが伏している横に、震える脚で立っていた。


「うそ、嘘よ! マリナ……そんな!!」


 メイラはミルクの顔を仰ぎ見た。

 パールホワイトの髪のすき間から覗く双眸が、ある一点を見つめている。その表情は、驚愕と悲しみが混ざったような色をしていた。


 メイラは体の動きこそ緩慢だったが、その息使いはとても荒かった。徐々に呼吸の間隔が早くなる。

 自分の呼吸がうるさい。

 心臓もばくばくと大きく鳴っている。


 メイラは、ミルクが見つめる先へと意識を向けた。

 まず、目線のみを動かす。

 それから小刻みに震える体の向きを、おもむろに目線に追従させ――

 そして、ひ、と息を飲んだ。


「マ……リナ…………」


 視界に入ったのは、メイラがよく知るマリナからは変わり果てた姿だった。

 自分と同じ運動着を着た、同じくらいの背丈の少女族。

 幼い頃からずっと同じ環境で育ってきた、一緒にいるのが当たり前な友達。

 そう――青空の下で青い髪を輝かせるマリナを見て美しいと感じたのだって、ついさっきのことだった。これから先も、忘れることのできない思い出を積み重ねていくつもりだった。


 それが、どうしてこんなことに。

 どうしてマリナの体のほとんどが、抉りとられたように失われているの。


「マリナ、返事してよ、マリナ……マリナ……」


 何度呼んでも、マリナの返事が返ってくることはない。

 メイラとミルクの後ろで、チェリーがどさっと膝を付く音だけが聞こえた。



 **



 校外自然学習は、ただちに中止となった。

 現在、緊急避難と称して、島にいる児童全員が、開けた丘の上に集められている。引率の教員は全員が揃っているわけではないらしく、その数はまばらだ。

 集められた子供たちの間には、『事故が起きたらしい』という情報だけが広まっていた。


「ねえ、事故って、なにがあったか知ってる?」


 プラムが、たまたま近くにいた他班の児童にこそっと小声で尋ねた。


「ああ、詳しいことはわからないけど、事故に遭ったのはマリナで間違いないね」


 尋ねられた少女――エレナがプラムの問いかけに答えると、それを聞いた周囲の児童たちにも、ざわめきが波及した。


「なぜそう断言できるの?」


 重ねての質問に、エレナはすんとすまして答える。


「メイラとミルクの様子を見れば分かる」


 それを聞いた誰もが、エレナが向いた先を目で追った。

 メイラとミルクの二人は、ここに集まる児童たちの塊からやや離れた場所で、ベテランの教師と二対一で何かを話している。


「メイラたちの班。あそこにいないもう一人が、マリナなのね」


 エレナは頷く。


「実は、フィールドワーク中、メイラたちの班が私たちの班の先生のところに駆け付けてきたんだよ」


 そう言って、エレナはプラムとは反対側の隣にいる二人に目配せをした。その二人は、眉尻を下げてゆっくりと頷く。同じ班のメンバーなのだろう。


「駆け付けてきたって?」


 プラムが続きを急かすように訊いた。


「ああ。もう少し正確に言うと、メイラたちの班の先生が、メイラとミルクを抱えて、魔法で飛んできたんだ。ひどく狼狽した様子でね。それから先生同士、声をひそめて話しこんでいた。まあ、会話の内容は聞き取れなかったにしろ、察してしまうことはあるよ」


 エレナはそこで言葉を切った。

 プラムは「え?」と首を傾げる。

 この同級生、いや、プラムだけではなく大抵の同級生たちは、あくまで好奇心で事故の内容を知りたがっているのだ、とエレナは解釈をした。


「きっときみが思ってるほど、これは軽いトラブルなんかじゃないと思う」


 しかしエレナの口調は淡々とすましたまま変わらないので、プラムは「つまりどういうこと?」と無邪気に聞き返した。

 エレナは、ふう、と一度息をつく。


「向こうの先生はひどく狼狽していたんだ。わかるだろう? 先生が私たちの前であんなにも取り乱すなんて、滅多にないことだ。……それに、メイラとミルクはずっとしゃくり上げながら大泣きしていて、とても話しかけられるような状態になかった。

あげく、班は三人編成のはずなのに、メイラたちは二人――つまりマリナが居ないとなれば」


 気付けば、プラムは表情を暗くしていた。


「……マリナは、ただの怪我とかじゃないのかな……」

「それには答えられない。私は実際に現場を見たわけではないからね」


 エレナは腕を組む。


「けど、先生たちの騒然としているさまを見るに、生命にかかわることかもしれない。極端な推察をすれば――

もう既にマリナは死んでしまっている、とかね」


 プラムは、ばっ、ともう一度メイラたちの方を見た。

 よく見ていれば、もっと早くに二人の様子が尋常でないことに気付けたはずだ。

 ミルクは頻繁に顔を手で覆って泣きじゃくっており、隣のメイラはそんなミルクを気遣って背中をさすっているものの、その表情は虚ろで、いつもの溌剌はつらつたる性格は、完全に影を潜めてしまっている。


「ああ、なんてこと……」


 プラムは口もとをおさえ、それ以上は何も言わなかった。

 周囲の子供たちも同様に押し黙り、それが伝播して、メイラの班を除く二十一名の子供たち全員が沈黙した。

 皆がうつむく中、エレナはじっとメイラたちのほうを見ていた。

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