1話 消えた子供

1-1 空と潮風


 子供たちの眼前に広がるのは、どこまでも澄み渡る青空と、美しいエメラルドグリーンの海。

 それは、絶景の小島だった。

 燦々ときらめく太陽の光が、海に浜に降り注いで、宝石のような輝きを放っている。


「わぁー!」


 白浜しらはまに走り出した子供たちから、大きな歓声かんせいが上がった。


 少女族の子供たちにとって、初めての経験であった。

 海を見るのも、島に来るのも、それから、学園の外に出るのも。



 海抜およそ千メートルほどの空中に浮かぶ島を領地とする、〈レカ少女族魔法学園〉。


 約五年前、学園は、地上拠点の候補地として、温暖な海上に位置する小さな島を所有した。ソレナリス島という、美しい景観を誇る自然豊かな無人島である。

 それにともない、学園の最高組織である理事会より、『ソレナリス島を子供たちの学習に活かしたい』という意向が示された。

 そこで事前調査が行われた結果、安全性が認められたため、四年前から、小学五年生を対象に、この〈校外自然学習〉が実施される運びとなったのである。



 現在は、思い思いの水着に着替えた五年生の児童二十四名が、先生たちの監督のもと、ビーチで海水浴体験を楽しんでいる最中である。


 燃えるような赤い髪の少女、メイラもその中のひとりだ。

 ふくらはぎの下ほどまで海水に浸り、目を閉じて、すう、と潮風しおかぜの香りを吸い込む。


「すごーい! 本物の海だよ!」


 ぱっ、と目を開けて、かたわらのパールホワイトの髪の少女――ミルクに顔を向けた。

 と同時に、ぱしゃっと水しぶきが飛んできた。


「うわ! ちょっとミルクったら!」


 顔を手で拭いながら言うメイラに、ミルクは「えへへっ」といたずらっぽく笑う。


「だって、メイラ隙だらけなんだもん」

「もー、こうなったら……」


 メイラも負けじと海水をばしゃっとお返しすると、ミルクは一層けらけらと楽しそうに笑った。


「マリナもこっちにおいでよ! 楽しいよ!」


 浜の方へ振り返って、メイラが大きな声で呼びかける。

 呼びかけられたスカイブルーの髪の少女・マリナは、びくっと肩を震わせた。


「でも、波が怖くって……」


 そう言っているそばから、マリナの方へと波が押し寄せてきた。

 マリナは「きゃっ」と小さな悲鳴を上げ、海水を踏まないよう逃げ惑っている。

 メイラとミルクは一度顔を見合わせ、マリナのもとへと駆け寄っていった。右からメイラが、左からミルクが、マリナの手を取る。


「ねえマリナ。三人で手を繋いだままここに立っていよう。それなら安心でしょ?」


 ミルクがおねえさんぶった声で言って、反対側のメイラも同調して笑顔で頷いた。

 二人に挟まれたマリナは、顔を赤くしてうぅ、とうめいたあと、「……ちょっとだけなら」とおそるおそる海に向き合う。


 ザァ、とまたも波がせまってきた。

 ぎゅっとマリナの手に力が込められるのがわかり、緊張がメイラにも伝わってくる。


 ざぱん、と音を立てて、手を繋いだ三人の細い足に海水がぶつかってきた。

 マリナは「うひゃっ」と声を上げつつも、今度は逃げ惑うことなく身を固くして踏ん張っている。

 しかし波が海へと引き返すのにつられて、両足が海の方へと引き寄せられる感覚がする。


「も、持ってかれちゃうよ!」


 切羽詰まったように慌てるマリナの様子に、メイラはくすっと吹き出してしまった。

 いつものほほんと、おっとりとしているマリナがこんなにもあたふたしているのが可笑しくて。

 左側にいるミルクは「ここの穏やかな波じゃ持ってかれないって先生言ってたよー」なんて笑いながらも、ぴったりと身を寄せながらマリナの左腕をしっかり抱き込んだ。ちょっとだけ出遅れてしまった気持ちになりながら、メイラもいそいそとそれに倣ってマリナの右腕にくっつく。


 波が通り過ぎてゆくあいだ、マリナは小さく声を上げながらぎゅっと目を閉じていた。

 その様子を真隣で見守りながら、メイラは足元の砂を足指でしっかりとつかむ。足指のすきまを流動する砂のこそばゆい感覚は、怖くはないけれど、不思議な心地がする。

 

 こそばゆい感覚が消えたころ、「もう波行ったよ」と声を掛けると、マリナはおそるおそる目を開けた。目線の先には、濡れた砂浜の上にぴったりくっついて立つ三人の子供の影。


「マリナ大丈夫だった?」


 メイラの問う声に、マリナは「えへへ」とはにかみながら頷いた。


「うん……。怖がり過ぎてただけみたいだね……」



 その後もマリナは波が足に触れる度に逃げ回ってはいたが、「みんなのおかげでけっこう慣れてきたかも」と口にする様子は、普段の教室でのマリナに近いように見えた。


 海水浴体験も終わり際に差し掛かって、はしゃぎ疲れた三人は横一例に並んで砂浜に腰を下ろした。

 しばらく波の音を聞いたり、他の同級生が遊んでいる様子を見たりしながら取り留めもない話をしていたが、そのうちマリナがぽつりと独りごちるように言葉をこぼした。


「メイラとミルクと同じ班になれて、いっしょに海を見られて、本当に良かったな……」

「どうしたの? 急に遠い目しちゃって」


 ミルクが茶化ちゃかすと、マリナはふふっと困ったような笑みを浮かべる。

 マリナがたまにする、ちょっぴり大人びた笑顔だ、とメイラは思った。


「いいじゃない。本当に思ったんだもん。これって一生の思い出だな、って――」


 それからマリナは立ち上がって、三歩ほど海の方へ進み出ると、くるっと二人のほうへ振り返った。


「二人も同じように思ってくれてたら嬉しいなって、そう思う」


 そのやわらかな笑顔から発せられる言葉が、どうしてか重要な意味を持つように感じて、メイラはマリナから目が離せなかった。


 マリナの青い空が溶け込んだように鮮やかなスカイブルーの長髪は、まばゆい太陽の下できらきらと眩しくて、どこか現実味がないくらいに綺麗きれいだった。


 海で遊んだのが初めてだからだとか、今日が初めて学園の外に出た日だからだとか、この景色が特別であるもっともらしい理由なんて簡単に付けられるはずなのに、どうしても、奇跡だとか神秘だとか運命だとかって理由を探してしまう。


 ずっとずっとこの先も、今日のマリナのことを忘れることはないのだろうな、とメイラはぼんやり思った。



 **



 気持ちよく晴れた空に、子供たちのきゃあきゃあとはしゃぐ声。

 とても平和な時が流れている。

 今回、引率の教師の一人として校外学習に同行しているチェリーは、自分の担当するメイラたち三人のむつまじい様子を見守りつつ、顔に当たる爽やかな潮風に目を細めた。


 チェリーは、まだまだ若者である。

 レカ少女族魔法学園〈教育局きょういくきょく〉に在籍する職員だが、その身分は研修生であった。


 しかし、この学園の深刻な働き手不足という背景はあるにしても、チェリーは優れた探知魔法を扱える人材として、研修生の身ながら引率役に抜擢ばってきされた有望株である。

 探知魔法の中でも、チェリーが最も得意とするのが人物の捜索だった。島で児童がはぐれた場合など、万一の事態において役立つと評価されたのだ。


 ただ、校外学習は何事もなく終わってくれるだろうと、チェリーは願望も込めてそう思っている。

 少女族の子供たちはみな素直で、聞き分けが良い。これは、幼年期から学園で施される高度な教育の賜物たまものでもあった。

 とりわけ、当該の学年は優秀な子供の多い粒ぞろいであると聞いているし、校外自然学習が教育プログラムに入って四年になるが、過去に何かトラブルが起きたという例も聞かない。


 チェリーは、高く青い空を見上げる。

 すがすがしく澄み渡る青。

 この島では、子供たちが良い経験、そして良い思い出を得られるに違いない。

 ここに暗雲あんうんが立ち込めることなど、あるはずもないのだ。

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