第二十九章 私に向かない笑顔

紫月様の後をついていくと、私たちは月宮殿の前にいた。


御狐神様の記憶の中での月宮殿だったので、私が知っている湯屋とは違い、まだ建物は新しく規模も小ぶりだった。


「昔はじめた頃はこんな小さくて可愛いもんだった。懐かしいな。蒼紫よ」


「はい。でも私からすれば今も昔も、大きく立派な建物にございます」


紫月様は足元でうごめきながら移動する蟲を確認するように覗き込み、ふむふむと頷く。


「やはり蟲がこちらにめがけて移動していたから、きてみて正解だったな。やはりここがトラウマのうまれた場所のようだ。しかし……」


紫月様は複雑そうな顔をしながら、ポリポリと長い紫の爪で頬をかく。


「月宮殿てことは俺が御狐神様の心の闇の理由のなのか?見たくないなぁ……。あ」


私たちは、御狐神様を発見する。そして、その視線の先をみやると、そこには、談笑する若かりし頃の紫月様と蒼紫様がいた。


東屋で涼みながら、互いの話に夢中になり、時には紫月様が腹を抱えて笑う。


遠くからでは何を話しているかまではわからないが、たまにリラックスした様子で肩を寄せ合うところをみると普段から仲睦まじいことが伝わってきた。


そして、そんな二人に近寄る神がいた。


温泉を楽しむために訪れた月読様だった。


月読様は二人と合流すると、しばらくは話を聞くように頷いていたが、徐々に自分からも話すようになり、最後には楽しそうに笑っていた。


これをみた私たちは、恐々と御狐神さまの方を振り向いた。


すると、御狐神様は目を見開き、信じられないものをみたかのように、少し後ろによろけながら、談笑する紫月様たちを凝視している。


「……どう……して?」


御狐神様の瞳は動揺に揺れる。


「あんな笑顔……うちには……」


次の瞬間、我々の横をぎり、長い砂利道を御狐神様は走り出す。


後を追うように我々も走ると、走馬灯が流れ、たくさんの画像の中では夜な夜な紫月様や蒼紫様について調べている御狐神様の姿があった。


ヴィナーヤカと十一面観世音が交わり、歓喜天となるといった神話や、二人の噂まで、ありとあらゆる情報を取り入れようとする健気な姿が映しだされる。


そして、御狐神様はある結論に辿り着く。


「紫月様と蒼紫様は、性的な関係で繋がっておいでなのだ。だから、私と違うのだ。うちも、そのように月読様と繋がれたらばきっと……」


私は咄嗟に、んん〜!?と、つい目玉をひんむき、顎が外れたような驚ろきの顔をしてしまう。


背後では紫月様がズザっと少しズッコケるような音がし、それに対して小声で大丈夫ですかと心配する蒼紫様の声がする。


「いやいや、絶対に違うだろうがよ。御狐神様は天然なのか……!?月読様が笑ったのはたまたまだ!俺がいつものごとく寒い冗談かダジャレを言って、それが月読様にたまたまヒットしただけだ!」


御狐神様には絶対に届くことないツッコミを紫月様は早口でする。


御狐神様の手元には、数々の春画や江戸四十八手などの性にまつわる資料が抱えられ、ファイリングされている。


「真面目か!!なんか、そんなところ蒼紫みたいで可愛いけどよぉ!」


「し……紫月様。この誤解は絶対ダメなやつです。未来絶対に事故るようにしかみえません!!」


「俺たちの噂や風潮はあの頃、とくに烏兎の野郎のせいで最悪だったからな!絶対これ、変な瓦版みて誤解したよ。月読様は元々あんまり笑わない、仏頂面ぶっちょうづら朴念仁ぼくねんじん。これが通常運転なんだ、伝われ!」


「紫月様、月読様も今水鏡を通して聞いていらっしゃるのをお忘れなく。後、これ過去なので御狐神様にはどんなに叫んでも伝わりませんよ」


紫月様のツッコミや蒼紫様との夫婦漫才が繰り広げられている中、私も絶望に手で顔を覆う。


コミュニケーションの大切さと、物事の受け取り方は、常に気をつけなきゃいけない。


これを学ばされる瞬間でもあった。


御狐神さまの誤解が加速するエピソードが多分もうひとつある。


私が朧車でみたビジョンだ。これは紫月様も蒼紫様も、月読様にとっても、共通認識されて誰も幸せにならない。


私の心配が的中したのは、この十秒後。


大きなスクリーンで、月読様が泣きはらし眠る紫月様にキスをしているシーンが映し出される。


「うわぁぁ、月読様最低。俺、多分この時は蒼紫を亡くして毎日泣いて泣いて泣き腫らしていた時期なのに…。寝ている時にするとか」


「こ……これは、紫月様が魅力的だからいけないのです。抗えません」


「いやいや蒼紫よ。月読様のフォローをしているがな。俺の唇安くないのよ。後でたんまり請求する。ではなくて、そんな事よりも御狐神様が、いらぬ学習をしている。問題はこの後だ。俺はだいぶ展開がみえてきた。蟲の移動をみてると集まり方がどんどんと濃厚になってきている。これは核心に近いぞ」


私は黙って終始、ことの展開を見届けている。


御狐神様は、おそらく月読様との距離が縮まらない理由が、性的な関係にないからと誤解しているが、実際は、御狐神様は充分すぎるくらいに愛されている。


ただ、一緒にいすぎて、それが当たり前すぎて、受け取れなくなっているだけなのだ。


実際、たくさんの画像を見ている中で、月読様が笑っていないわけではない。


口角を紫月様みたいにものすごくあげるわけではないから分かりにくいだけで、本当は笑っている。


御狐神様を見守る目が、どれも優しい。


成長する我が子が愛おしくて仕方がない。


だからもっと色々教えてやりたい。


そんな父性を感じる。


でもきっと、これは、私が神樂として紫月様にかくまわれて、育てられてといった経験があるから感じとったり受け取れる感謝なのかもしれない。


私にみえているこの愛を、うまく御狐神様に伝えられたならいいな。


私はそう思いながら、先へと進む紫月様たちの後を追った。

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