第二十八章 御狐神様の心

眩い光に目を開けると、空を貫くような高い木林に囲まれた鎮守の森に私と紫月様と蒼紫様は立っていた。


森の奥から、甲高い少年の声と木刀の素振りが聞こえてくる。


森の方へ行くと、小さな祠があり、その前で懸命に汗をかきながら、修行に励む、金髪のおカッパが可愛い狐耳の少年がいた。


おそらく、この子が幼い頃の御狐神様だろう。


その向かい側には、髪を結い長い木刀をもち、強く打ち込めと叫ぶ月読様の姿があった。


時々カンカンと攻撃を受け流し弾いては、踏み込みや脇の甘さを指摘している。


御狐神様の素早い剣捌きや身体能力は、月読様から伝授されたものだったことに私は驚く。


木々の間から差し込む光が月読様のしなやかで美しい筋肉の造形美を際立たせる。


この映像に付随するように、パラパラパラとページをめくるような音がして、恐ろしい数の過去の映像が背後から前へと走馬灯のように流れる。


剣術、弓、武芸から書道、笛や太鼓に踊り。そして積み上げられる大量の書物。


あらゆるものを教え込まれている御狐神様は、辛い場面でも涙ひとつ見せず、憧れの眼差しで月読様についていっていた。


「御狐神様の高い評判は、こういった努力と、月読様の徹底的な教育に裏付けされたものだったんですね」


蒼紫は、感嘆のため息をつきながら映像を見上げる。


紫月様も、腕を組みながらゆっくりと映像の間を歩き、小さく首をうんうんと縦に振りながらつぶやく。


「俺もさすがに、ここまではできんと、月読様に言った事はあったぜ。これでも御狐神様視点の思い出のほんの一部だと考えると、……圧巻。いや、脱帽だなあ」


私は、こんなにも努力する存在がいるのだと。


自分が小さなことで折れたり、すぐ嘆いてきたことが恥ずかしくなる。


「すごい……」


私が呟くと、背後から少し声の高い声がした。


「すごいなんて事ありゃしません。そないいうて、月読様はわろうてあらしゃらない」


振り返ると、十二歳くらいの姿の御狐神様が俯くように立っていた。


尾っぽは、今ある数と違って、フサッと太いのが一本あるだけだが、それがなんとも可愛らしい。


公家のような独特な喋り言葉を本人は気にしているようで、自らそれを禁じるように口を手で塞ぐ。


「御所言葉……。うちも……いえ、わたくしも、つい感情的になったときに、出てしまう。月読様は天照様を思い出すからあまりお気に召されない。変えなきゃ、……変えなきゃ。せめて私といる時は月読様には安らいでほしい……」


蒼紫様と私は、その健気さに愛しく思いながら、気持ちがよくわかると頷くが、紫月様は心配そうに頭をかく。


「この感じ……あまり良くねぇなあ……」


「そうなのですか?」


私が驚いたように聞くと、紫月様は今にわかるよと目くばせをし、まだ幼い御狐神様について行った。


しばらく歩くと、私達は月読宮の鳥居をくぐり、神殿にたどり着く。


神使らしい巫女姿のお狐さまが、せわしなく掃除をしており、御狐神様はというと元服がすんでいて、尻尾は四本に増えていた。


「そこ、何をぼーっとしてるんですか、月読様が帰るまでに全て完璧に美くしく、すべて整ってなくてはならないのに!そこの貴方も、ふき方が甘い!」


御狐神様の怒号が響く中で、怯え新人の神使が、手を滑らせ、白磁の酒器を落としてしまう。


器は粉々に砕け散り、新人の巫女姿のお狐は、獣の形をした手を切り、ポタポタと血を流してしまう。


周りが心配して寄ってくる中、御狐神様だけが激昂し、その狐をひっぱたいた。


「神殿を、あろうことか月読様がゆるりと過ごされるこの場所を汚すとはなんと、……なんとけがらわしい!ましてや、獣の血など!我々は決して怪我などしてはいけない」


御狐神様は牙をむき威嚇すると、白い布を別の巫女から奪い必死に血のついた床をゴシゴシと何度もふく。


その目は、一切のミスや穢れを許さない、狂気すらはらんでいて、周りの神使たちは恐れおののき、震え上がる。


床が削れるのではないかと、思うほどふいた後、月読様の帰りを知らせる鈴の根がなり、御狐神様は周りに姿を消すよう命じる。


月読様が現れた瞬間に御狐神様はにこりと微笑み、足早と月読様の上着を受け取ろうと近づき、月読様の動きにあわせ、流れるように背後にたち、くつろがれるまで完璧なサポートへとまわる。


「今日は何かあったか?問題は?」


「何も問題はありません。つつがなく」


月読様の望みをすべて叶え、好みの茶やお香でもてなす。


月読様は、お茶を楽しむ前に、何か用事を思い出したのか立ち上がった。


「すまぬ御狐神。確か、素戔嗚に呼ばれていたのを思い出した。今また出てくる」


いってらっしゃいませと深々とお辞儀をする御狐神様は、月読様の姿がみえなくなるまで決して頭をあげたりはしない。


そして、気配が完全に消えると、陰鬱な表情のまま、顔をあげ、呟いた。


「ああ、今日も笑ってくださらなかった。淹れたてのお茶が冷めてゆく。」


「どうしたら笑顔にできるのでしょう……」


この呟きに至るまでの一部始終を見ていた私は、決して幸福そうにみえない御狐神様をみて、口元をつい手で覆ってしまう。


紫月様の言う通り。


あまり良くない状態を目の当たりにする。


私は不安げに蒼紫様をみると、蒼紫様は切なそうに目をふせていた。


「御狐神様は、月読様を誤解されていますね」


紫月様も、蒼紫様の発言に小さく頷いた。


紫月様と蒼紫様は、私よりも先に何を察知していらっしゃるのだろう。


私は、なぜ御狐神様がこんなにも変わられてしまったのかを理解できないまま、次の場所へと移動をはじめた紫月様たちについていったのだった。

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