第二十四章 ガネーシャ

月読様の朧車が仏具店に辿り着いたのは、黄昏時。


町の灯籠が灯り始め、薄暗い町はぼうっと無数の淡くも赤い光に照らされ幻想的な光景が広がる。


この地域は、江戸というより京の町に似せて建物が建てられているのだろうか。


濃い茶色の木造建築に瓦屋根が立派な店が立ち並ぶ中、ひときわ大きく立派な老舗があり、それが、月読様が目指していた仏具店だとわかった。


仏具店の周りにいたお客様達は、藤の花が揺れる立派な朧車が近づいてくることも、店の前に止まったことも驚いた様子で、皆は一気にこうべを垂れ、降りてくる貴人を決して見ないようにと全員深々とお辞儀しながら目をふせていた。


小さな窓から少し覗くと、祇園を模したこの街はとても気品があり、裕福で、比較的に高位の神しかいない様子だった。


朧車が停まると、お付きの神使のお狐様たちがささっと店の前に移動すると、神楽鈴のついた錫杖の底を石畳にトントンとつく。  


シャンシャンと鈴がなる中御狐神みけつかみ様が店の扉の前に立ち大きく息を吸った。


二階建ての立派な瓦屋根が特徴の大きな老舗、その奥の奥にまで声が届くよう、鈴の音を背後に御狐神様が声を張り、店主を呼ぶ。


「頼もうーー!月読命つくよみのみことでおはします」


その声を聞いて、奥から少し慌てるようにして出てくる神がいた。


朧車から降りた私たちを迎えいれたのは、身体が私の2倍以上あるガネーシャという神。


朧車を降りた月読様が、その姿をみるなり、ガネーシャと少さく微笑み呼んでいたので間違いないだろう。


急いで店の前にお迎えに出るも、貴人を前に、ゆっくりと丁寧にお辞儀するガネーシャ様の姿の貫禄は凄まじく、丸みをおびた立派な男の風格に、白く美しくも渋いほど立派な皺が深く刻まれた老象の頭の神を私はつい凝視してしまう。


お辞儀と共にふわっと舞う白檀と桂皮シナモンの香りになぜかホッとするような懐かしさをおぼえる。


ほんのり甘くもスパイスの効いたこの香りを、私は初めて嗅ぐはずなのに。


象の頭をした神様にはじめて会うはずなのに、私の目には涙が浮かぶ。


ーー大叔父様……。


気づけば小さくつぶやいてしまう。


もしかすると、蒼紫様に関係があるのだろうか。


ガネーシャ様は一瞬私の方を見やると、少し驚いた顔をみせる。


しかし、やはり、月読様を前にして早くおもてなししなくてはならないと、深々と腰を低くしながら、裏門へと誘導するようにその手を左へと流す。


「ようこそおいでくださいました、月読様。御狐神様みけつかみさま、そして、お初にお目にかかるお客様。お名前は後ほどに。さあ、さあ。貴賓室はこちらでございます。足元にはおきをつけてどうぞこちらからお上がりくださいませ」


他のお客様が恐縮する中で、お互いがどちらも邪魔にならないように店の中は通されず、店の裏の小さな門を通される。


「狭い通路で大変恐縮でございます。この店は京の作りでして」


門をくぐると、長い砂利道が続いていたが、京都の和風庭園な風情と綺麗に整えられた植木や植物が目を楽しませる。


よくみると、要所要所には、日本の植物ではなく、熱帯睡蓮、月下美人、インド菩提樹等の南国の植物がさりげなく植えられていて、奥に進むほどに少しずつエキゾチックな雰囲気へと変わっていく。


灯籠により美しくライトアップされた庭が砂利の細道を超え、一気に広がりを見せた時、なんて、楽しい場所だろうと私は感嘆の声をあげてしまう。


目前には、東洋の美を凝縮したような、大理石の水塔とそこから流れる水を糧に咲く亜熱帯の花や睡蓮などの美しい花々に囲まれた大理石寺院があった。


そして、空をみると、ドームのような形でほとんど透明に近い膜のような結界が張られている。


おそらく、紫月様の屋敷と同じで、この庭も外からはみえず、表の京の街の外観を損なわないつくりになっている。


防衛もかねているのだろうが、さすが、八百万の神々は、お互いの世界観や文化を尊重することに慣れていて、各々が自分にとって一番心地よい文化や建築様式を心得、楽しんでいるのだ。


私は、寺院に入ってからも、天井一面に描かれた華やかな天井絵に気をとられ、貴賓室にある特大のエスニックのクッションソファに座るよう促されていたのに気づかず、恥ずかしくも、口をポカンとあけ、見入ってしまっていた。


私がハッと気づいた時には、月読様も、御狐神様も先に座られていて、しかも、ガネーシャ含め三柱とも、装いが建物にあわせたかのようなアラビア風の衣装に変わっていた。


「あ……あ、あ、申し訳ありません。どうしましょう、どうしましょう、お着替えは用意しておりません!!」


私が咄嗟にパニックになり、自分が口を開けたままボーっとしてしまっていたことも恥じて、袖で口元を隠す。


ガネーシャ様は、私のそんな子供のような挙動が面白かったのか、吹き出すように笑う。


ガネーシャ様もツボにハマってしまったのか、月読様を気にして必死こらえようとしているようだったが、よほど新鮮だったのだろう。


月読様は無礼講だと言わんばかりに小さく瞬きながら微笑み、どうぞひとしきり笑ってくださいと促した。


御狐神様みけつかみさまはというと少し呆れた様子で私を見上げながら囁いた。


「幽世はイメージの世界。装いなど自分の神気を練って操ればいくらでも変化できますよ。参考にできるデザインが自分の中にあればですが」


参考にできるデザイン……。


「御狐神様、もしイメージして衣装をまとったとして、今着ているものはどうなるのでしょうか?破損したりはいたしませんか?これは紫月様からいただいた大切な衣装なのです」


「破損はしません。変化がとければ元にもどります。ですが、変化中にイメージの甘い部分は肌が露出したりしますよ。……何も無理しなくても。確かに出かけた先の文化の郷に従うのは神々のマナーではありますが、貴方は幽世に来たばかり。我々も大目にみますよ」


「いえ、ご迷惑でなければ挑戦させてください」


御狐神様は困った様子でさっと月読様の方をみると、月読様は優しい声で指示をだした。


「恥をかかせないよう手伝っておあげなさい」


御狐神様は、月読様に小さく頭をさげると立ち上がり、私の前に大きな布を出す。


次の瞬間、それを広げ、万が一私が失敗して肌が露出しても大丈夫なようにカーテンの役割をしながら話しかけてきた。


「そういえば、貴方のお名前を聞いていませんでしたね」


「神樂と申します」


「神楽様、東洋の民族衣装がどのようになっているかご存知ですか?」


「皆様が着ていらっしゃるものを参考にできますし、上に良い資料がございます」


御狐神様が私の視線を追うようにサッと天井をみると、小さくなるほどと呟き笑った。


天井に描かれているのは、ヒンズー教の英雄たち。


その中でも一番素敵だと思う衣装を、私は目を左右に動かしながら選び、自分なりに組み合わせてイメージしてみようと考えていた。


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