第二十章 特別な寵愛


ホホロさんは眉を八の字にし、少し困った顔をみせながら答えてくださった。


「実は紫月様にとっては、こういった噂は痛くも痒くもないんです。というのも、紫月様は昔から性に奔放であるイメージがもうすでについているから、というのがわかりやすいでしょうか。紫月様は、花柳界、湯屋等の水にまつわるお商売を取り仕切っています。その上にあの端整で妖艶な顔立ち。もうすでに浮世話が絶えないお方なのです」


ホホロさんは、商店街を通る異形の者たちを一瞥いちべつすると、ため息をついた。


「紫月様が誤解される理由は、その容姿と、その早すぎる出世にございます。それは彼の聡明さ、実力によるものですが、下級の者からは、ヒガミ、妬みで、紫月様の出世理由が、高位の神々による「特別な寵愛」を受けているからとも言われてしまっています。

高位の神々が紫月様を穢すなど絶対にありえないはずなんですけどね。神は、高位であるほど品格や礼儀を重んじるもの。祭礼儀式でもない限り、そういった行為には及びません。ましてや、紫月様が所属されているのは仏教界。愛慾は御法度なのですから」


「紫月様は、皆様につけられた勝手なイメージを払拭しようとは思わないんですか?」


ホホロさんは、私の疑問に優しく答えてくださった。


「紫月様は、まず、放っておけというでしょうねぇ。彼らは受け取りたいようにしか受け取らない。わかって欲しいなどと、執着しないことだ、と」


ホホロさんがこんなにすぐ答えられるということは、仲間の中でも紫月様が誤解されるのが嫌で、その不快感を訴えた者がいたのだろうか。


私にとってこの話題は大きな学びだ。考えてみれば、人の悩みの大半は、こう思われたい、ああ思われたい。または、思われたくないという『人の目を気にすること』だ。私の両親なんていつもそうだった。


確かに恥をかかないように努めるのは、ルールやモラルを守る動機にもなり、人々が品位を保つ上で良い部分もある。しかし、気にしすぎれば、それは不要な不安やストレスの原因になる。


私はとくに親の目を過剰なくらい気にする方だった。しかし、私は自らの評判をどこまでも落とすことで開き直った今では一種の「楽さ」を感じている。


前の私だったら、誰かと色恋の噂をされようものなら、恥ずかしくて恥ずかしくて、逃げ出すか引きこもるかしたかもしれない。でも、今は、紫月様の意図のもと動いている。これが紫月さまが仕掛けた「演出」ならドンと来いとまで思っている。


今、改めて考えると、他者の目は気にしたら気にしたでキリはないし、ましてや不特定多数の存在に理解を求めるなんて無理だ。紫月様は、正しく諦めているのだろう。でも私は、紫月様が誤解されているのは本当に悔しく思う。


「ホホロさん。私が立派であれば、それだけ紫月様の真意は伝わりますかね。色恋の繋がりではない。紫月様への誠の忠誠があってのこの小姓の身分だと。蟲に侵された罪人でも、紫月様の慈悲により救われ引き立てられた。誠実であれば、出世できるのが天界であると。天とは、高次元とは何か。その品性を私が普段の振る舞いから証明しなくてはならない。そういうことですよね」


ホホロさんは、驚いた顔でこちらをみた。

私の中で何かがスパークしたのを感じた。


「私が生かされている理由は、天の慈悲の証明。

紫月様の崇高さとその慈悲の証明。だから私たちはいつだって、その体現者でなくてはならないのです」


ふわりと、身体に何かが触れ、入ってくるのを感じた。この穏やかな氣を知っている。蒼紫様だ。


ホホロさんも、私の異変に気づいたようだった。『私たち』と呟いた時点で、何かに憑依されたのは明らかだった。ホホロさんは口をあんぐり開けたまま、こちらから目が離せないようだった。


私は気づけば、腰をおとし、右半身と右足が、左半身と左足が一緒に出る姿勢で歩き出していた。しっとりした滑らかな動きに、私は驚愕する。道ゆく人のかわし方も道の譲り方も、優雅で、私の知らない動きだった。


「ナンバ歩き……。所作も完全に武士の動きだ」


ホホロさんは、その答えをくれた。

私の口は、勝手に動き、気づけば話し方も声も、蒼紫様のものとなっていた。


「どんな心の持ち主も、隠れたもの、怪しいもの、秘密めいたミステリアスなものほどみたがり、知りたがる。ましてや色事などは、皆様の興味を最もそそり、憶測やゴシップとして瞬く間に広がる……。皮肉にも、それは下世話なほど大衆に効果がある。高潔で品行方正な神であるというプライドをお持ちな方でもない限り、ほとんどの者はこのようであると。これが、紫月様のかつて出した結論です。かつての私はこの『諦め』を悲しく思いました。……だから、せめて私だけでも、紫月様を最も理解する者となろうと決意しました。その後、ホホロ様をはじめ、紫月様を理解する方が現れるようになりました。……嬉しかった」

にっこりとホホロさんに微笑む私をみて、ホホロさんは涙を流していた。


「もしや……蒼紫様ですか?」


蒼紫は答えないまま、すっと目を伏せた。


「神樂と呼び続けてください、ホホロ様。ホホロ様……私は紫月様がいささか心配でございます。紫月様は、自分の公的なイメージが性的に奔放と捉えられてるなら、それを大衆心理を動かすのにおおいに利用してやろうくらいに思っていらっしゃるのはわかるのですが、この行為は、敵を調子ずかせ、煽るのではないか心配です。……やり方も実に派手で、紫月様らしいといえばらしいのですが」


あの豪華な朧車から降りた時から、紫月さまの「計画」は始まっていたことを、蒼紫様との感覚共有で理解した。そう思うと、目的のためなら手段を選ばない紫月様の潔さと覚悟に尊敬の念を抱かざるを得ない。


蟲に侵されたとしても、月宮殿、紫月様のところでは「救済処置」のシステムがあり、治療、そして努力次第では出世することだってできることを、幽世の皆様にアピールするためのシナリオ。小姓の立場を賜ったことだけはお披露目されているが、性的関係かは、あくまでゴシップ。民衆のうがった憶測だ。本人たちはそうは認めていない。


非常に巧妙に練られたシナリオだし、紫月様のことだから、その更に先まで戦略があるかもしれないと、蒼紫様は予想している。ただ、この計画に不可欠なのは、いかに神樂が毅然きぜんとして、美しく堂々としていられるか。


私は感覚共有の中で、並々ならぬ責任とプレッシャーを感じるのだった。

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