第十七章 紫月様の労い

紫月様は、改築する建物の見取り図を広げ、体格の良い宮大工の男衆に囲まれていた。


「紫月様……!!」


はしたなくも廊下を走ってしまったと反省しながらも、気持ちばかりが前に行ってしまった。


紫月様は顔をあげ、ほっとした表情の後に、やはり思ったとおり、廊下を走るな!と注意した。


ただ、その口元は少し笑っていて、元気であったことを喜んでいるようだった。


私は跪き、何かすることはございますか?ときくと、男衆のためにお茶と鯛焼きを持ってきてくれと、仕事をくださった。


私は、さっそく廊下を渡り満月をみつけると、男衆の人数を言って、鯛焼きづくりの準備にかかった。


初めてのことで、皆様にお出しした鯛焼きの尻尾はすべて焦がしてしまったけど、紫月様はこんなのご愛嬌と笑ってくださった。


男衆も、鯛焼きは尻尾はもつところは食べないのが現世の江戸の風習なので大丈夫なのだと教えてくれた。


というのも、鯛焼きは、忙しい職人が手を洗わず、かつ食べる時に手も汚さずに、尻尾は持つ所として開発されたのが鯛焼きだからだそう。


持つだけで捨てる場所なら多少黒くてもなあ、と、フォローするように優しい男たちは笑う中で、紫月様だけは、クビをかしげていた。


「他は綺麗な狐色なのに、なぜ尻尾だけ狐を通り越してツキノワグマみたいな色になるんだ。機械は色むら出ないように開発されているんだがな」と、


私のある意味不器用通り越しての器用さに関心している様子だった。


「尻尾の部分に油塗り忘れていたからですかねぇ」


という満月に、それだ!!と面白そうに笑う紫月様は、湯船でみた時とは全然違う顔で、安心する。


ヴィナーヤカに襲われたことを隠してるいるようだし、よく笑い、わざと元気に振る舞っているのかもしれないが、彼の優しさと配慮はいつだって健在のようだった。


食べ足りないヤツはいるかー、なんて一人一人を名前で呼んで声をかけ、ちょっとした職人の擦り傷や変化にも気付いて、必要とあらば満月に手当てをさせていた。


職人たちの視線は、そんな紫月様を慕うように注がれていて、彼に敵など現れようも本来ならないと思えた。


歪んだ恋情による執着以外を除いては。


夕方になり、宮大工の男衆が帰った頃、紫月様は沈む夕日を背に、小さな小袋を渡してくださった。


中をみると、そこには、古銭、100文が入っていた。


幽世のお金の単位は現世の江戸のものに近い。


100文は現世に換算すれば、三千円くらいだろうか。


ちょっとしたことしかしていないのに、こんなにいただいて良いものだろうか。


私は古銭をみて、あることを思いついた。


「紫月様。ありがとうございます。これは正直もらいすぎだと思っている位です。ですが、こんな時に非常に差し出がましいようですが、200文前借りさせていただけないでしょうか」


紫月様は、少し驚いた顔で、何かなくて困っているのかと聞いた。


生活に必要なものは大抵のものは買ってやる、と。


確かに服や生活用品が足りないよな、と、ブツブツ独り言をはじめたので、私は慌てて弁明した。


「いいえ、生活用品が足りないなんてとんでもございません。良い服などもいただいて、とても贅沢をさせていただいてると思います。違うんです、私が借りたい理由は……」


私は少し早口で、お世話になった方にお礼をお渡ししたいと伝えた。


「自分は助けていただき、置いてもらっている身としては、金銭は一切もらわず、紫月様にお仕えすべきだと感じています。ですが、幽世では肉体を持ち生きている以上、お金はどうしても必要になるのでありがたい限りなのです。そんな中で、私には、できるだけ早く叶えたいものがありまして。それは、お世話になった湯女と風呂掃除を手伝った皆様に馬油をプレゼントしたいのです。皆様は今回、私が汚したせいで風呂掃除を念入りにしなくてはならず、手の肌に負担がかかっていたようにみえました。私はそれが申し訳なくて。痛みが出たならと考えると、いてもたってもいられないのです」


紫月様は、顎に手を添え考える仕草をし、


「さっき宮大工に塗っていたものと、その値段をみたんだな」


と、感心するようにため息をついた。


「よく見ているな。才能を感じる……」


前借りの提案したり、値段みたり、いやらしかっただろうかと、不安に思う中、紫月様は、財布から一両とりだし、これで買いたいだけ買ってこいと大金を渡してきた。


現世でいうなら10万円以上。なぜこんな大金を渡してくるのか。


そんなには借りることはできないと、慌てていると、


「神樂の思いついた配慮に乗っかるようで悪いが、俺も従業員皆に馬油を配るのは賛成だ。今日の風呂掃除を担当した湯女は10人、神樂の気持ちもしっかり乗せて直接渡したいなら、このうちの200文は俺に前借りしたと考えるといい。一両で90個くらいは馬油を買えるはずだ。在庫を仕入れるといった形で薬師に頼み、良い経験になるから彼らの買い出しについていくといい」


私は、紫月様の決断の速さと気前の良さに驚愕する。


紫月様曰く、従業員の健康、ましてや手を守るなんて当たり前だし、もしいらない者が多数いたとして、商品として店頭に並べておけば温泉施設なのだからすぐ売れる。


仮に売り上げがふるわなければ、俺が使ってると宣伝すればいい。


実際時々使っているし、気に入っていると語った。


私は、今日だけで、紫月様の色々な側面をみている。


好きな人を想って涙してしまう側面、リーダーとして、商売人として思い切りが良い側面。


そして何より私に経験させ育てようとする側面。


紫月様をよりたくさん知れたことは嬉しかった。

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