第十一章 私と似た銀髪の青年
沈んだ先は、冷たく、音もしない。このまま永遠の闇が広がると思えた。
しかし、ある瞬間、私の身体は突然の浮遊感と眩しい光に襲われ、気づけば衝撃と共に身体ごと硬い地面に叩きつけられた。
痛みに目を開けると、そこら中にゴツゴツとした灰色の岩が並ぶ山岳風景で、寒さの原因はその標高の高さによるものなのではないかと思えるほどの圧巻の景色だった。
まるで、中国の水墨画のような美しくも冷たく、幻想的な景色に、私は不安と驚きを隠せなかった。
ーーここは?
坂の先から声がした。私は恐る恐る坂を登り、声がする方へと歩いてゆく。
岩場に隠れるようにして声がする方を覗くと、そこには銀の髪の少年と紫月様がいた。
二人は、囲碁を打っているようだった。
紫月様は、銀髪の少年が出した一手に困惑する表情をし、その後すぐさま、やられた!といった表情で嬉しそうに大笑いをしている。
そして、銀髪の少年の髪がその視界を覆うように、前側におちて、流れ落ちるのをみて、
紫月様はそっと手を伸ばし、その長い銀の髪を指先ですくっては、少年の耳にかけてやるような仕草をした。
優しく微笑みながら、今度髪をくくるものでも買ってやらなきゃな、と囁く姿は、まるで愛しげに恋人をみつめているようで、私はドキドキしてしまう。
少年との顔の位置も近く、引き寄せたなら唇がふれてしまいそうな距離ではあった。
だが、触れるようで触れない、絶妙な距離感と、互いの伏せた目が、この二人は互いの唇を重ねることを躊躇い《ためらい》ながらも、崩れれば一気に雪崩れこんでしまいそうな、そんな危うさをもわかった上で共にいるのを物語っていた。
こんなエロティックなことはあるだろうか。
紫月様には、常に謎の色気が漂っていることは知っていた。
だから、私まで不思議な気持ちになるのだろうと思うのだけれど。
私は、自分がその少年の立場を羨ましがっていたことに気づく。
というのも、気づけば、私は拳を強く握り、瞬きもせず魅入ってしまっていたのだから。
「蒼紫……おまえの賢さには目を見張るものがある」
銀髪の少年の名前は「そうし」というのか。
「紫月様の教え方が良かったからでございます。こんなのは、まぐれ。頭の回転に関しては紫月様には遠く及びません」
髪を耳にかけ、おっとりと笑う銀髪の美少年は、すっと碁盤に手を伸ばし片づけはじめる。
「この後はお茶はいかがですか?お客様からいただきものがあるのです」
紫月様の唇を避けたわけでもない。距離をとったわけでもない。
なのに、互いがこれ以上触れることが許されない暗黙の空気にみている私が切なくなる。
ーー愛慾は天界では御法度なのです。
背後から声がして、私は慌てて振り向く。
聞き覚えのある声。それもそのはず。先ほど、私に潜在意識奥深くに潜ると言ったのは、この声だった。
私は、背後から声をかける。その人物を見たとき、驚きに声が出そうになる。
私の背後に立っていたのは、私が先ほど見ていた銀髪の少年の少し大人になった姿だった。
「声を出しても大丈夫ですよ。出したところで目の前の紫月様や、もう1人の私には聞こえません。これは過去の映像ですから」
私は、過去を見せられているのか。
「貴方も「蒼紫」ですか?」
私の質問に、背後にいた青年は小さく頷いた。
「あお、むらさき、とかいて、蒼紫です。紫月様から名前を賜りました」
「私はなぜこのような……夢?過去をみせられているのでしょうか?
貴方は私に自分の慾に気づけとおっしゃいました。私の欲……」
私は言いながらハッとする。
私は何を羨ましがったか。それは、紫月様から発せられる、「特別な関心」だ。
「仏教では愛は罪なんです。なぜかわかりますか?」
蒼紫の質問に首を振る。
「相手を欲しくなる慾が生まれるからです。
自分だけのものに。独占欲、支配欲、そして……愛慾、執着」
その言葉と共に、私は頭上から不穏な気配を感じ見上げた。
高い岩壁から見下ろす、別の人物がいた。その少年は褐色肌で、こちらも、見覚えある人物だった。
「ヴィナーヤカ……!」
憎々しげに紫月様をみつめるヴィナーヤカの漢服の間からは瘴気と、数々の蟲が蠢きながら這い出していた。
愛られる蒼紫を羨ましいと思ってしまった私は
同罪なんだろうか。
私も欲にかられ、あのようになってしまうのだろうか。
でも、いいな、と思ってしまうものは思ってしまう。私はどうしたら良いのだろうか。
私は助けを求めるように成年蒼紫をみつめる。
銀髪の青年は優しく私の頭を撫で、私の目の訴えを理解したかのように答えた。
「もし、紫月様が貴方ではない誰かを恋慕っていたとしても紫月様を許せますか?」
「そもそも、許すも許さないも、私にその権利がありません。私は、紫月様にとって何者でみもないのに……」
何者でもない。それを言った瞬間、私の胸はひどく痛んだ。
私は、紫月様にとっての何者かになりたい。
変えがたい特別な存在になりたい。これが私の欲望だと気付かされた。
「まだ、知り合って間もないというのに、なんて欲深い」
私の中で、私自身をいさめる声がした。
「でも、無理もないんです。あんな助けられ方をしたら。あんなに優しく微笑まれて、触れられたら。酷い人生、ひどい仕打ちしかされてこなかった私にとって紫月様は眩しくて。
暗闇から、綺麗な光をみてしまったら、太陽をみてしまったら、焦がれないわけにいかない」
責めてませんよ、と言わんばかりに、蒼紫は少し困り顔で微笑む。
ひどく気持ちがわかると共感するような、そんな頷き方をされて、私は、少しでも肯定されたような気持ちになって、安堵する。
好きになってしまうのは無理もない。恋愛感情かどうかはまず置いておいて。
私にとって、紫月様は、親そのもの。卵から孵ったヒナが、親鳥の後を必死についていくように、私も、本当は片時も離れたくないし。私の世界は紫月様でいっぱいになる。
会って間もないかなんて関係ない。
私の魂はもうあの方に完全に引き込まれてしまったのだ。
「強い愛着。それが貴方のカルマ。その強い想いが忠誠になるなら良い。だけど、愛慾は一歩踏み間違えれば嫉妬の刃に、そして狂気となる」
仏教だけでなく、天界でも御法度とされる理由を私はこの説明で想像がついた。
強い愛着は、恋慕は、感情を揺さぶり、蟲が巣食うきっかけにもなり得るのだ。
「貴方の紫月様への強い想いがヴィナーヤカの入り込む隙となってしまったのです」
紫月様にとっての何者かになりたい。
その中に、劣等感までもがあったから、それが悪霊に心に滑り込む隙を与えてしまったのがわかった。
守護神も人と同じで隙あらば悪霊に心を乗っ取られることくらいはあると、昔親に教わっていたことがあった。
それってこういうことだったのだ。と、改めて考えさせられながらも、紫月様を傷つけたくはないと言う意図だけをはっきりしなくてはならないと思い、口を結んだ。
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