第六章 私の主

御簾みすからこぼれる日の光に薄目をあけると、私のあるじは寝息をたて、穏やかな顔で眠っていた。


髪だけではなく、まつ毛まで紫陽花色なのかと、その艶やかな色香すら漂う寝顔を見つめると、私の視線に無意識に気づいたかのように彼は眉をひそめ、小さくうめいた。


「ん……」


私の「あるじ」が目を覚ます。


なんということだ。身体が痛くて身動きがとれないのに。


おそらく、私は主より早く起きて、銀の髪をとかし、一糸乱れぬ姿で命を助けてくださったお礼を申し上げなくてはならないのに。


紫月様は眩しそうに薄っすらと目を開け、小さく瞬きをする。


ああ、なんてだらし無いヤツだと叱責しっせきされる。どうしよう。どうしよう。


予想外にも、紫月様は目をあけ、私の顔を見ると、小さく微笑み、手を伸ばしてきた。


「銀の髪は、朝日を浴びるとかくも美しいのか。まるで朝露あさつゆまとった蜘蛛の糸の様だ。この感触、なつかしいな」


寝ぼけて犬か何かと間違えていらっしゃるのだろうか。


微笑を浮かべながら愛しげに髪をなで抱き寄せる手にびっくりすると同時に、恥ずかしさに顔を赤らめてしまう。


紫月様はしばらく髪に触れた後、ハッとした顔で私を見やり、一気に目覚めたかのように、咄嗟に身体を離し起き上がると、御簾みすの向こうに控えていた満月みつきという式神に声をかけた。


満月みつき、白湯をふたつ」


「かしこまりました」


巫女の格好をした小狐の妖怪の満月みつき


ピンク色の毛並みとあおの瞳の可愛らしい小さな獣人は、風貌を裏切らない鈴のような声で答え、パタパタと足音をたてながら廊下へと走り出した。


「ははは、廊下を走るなと教えているのになかなか覚えないなぁ、満月みつきは」


本当につくづく不思議な方だ。


裁判であれほど果敢に戦い、弁舌を振った人物とは思えない程穏やかな声で紫月様は笑う。


ドキリとするほどの甘いマスクの、人ならば十六歳頃にみえる美少年だが、悟りを開いた者だけが持つことのできる独特の目力と、憂いを帯びた深い眼差しが、彼を何倍も大人に見せる。


気づけば私はこの方の顔をずっと眺めていた。


助けていただいた恩義以前に、純粋に好きな顔なんだな、と自覚する。


そう思うのは私だけではないようで、紫月様の目覚めを聞きつけた眷属の妖怪たちが、自分の主を一目見ようと集まってくる。


はだけた着物からのぞく、鍛え抜かれた身体。そこに刻まれた民族的な刺青模様と数々の傷。

たくさんの戦をくぐり抜けてきたのだろう。


私の知らない紫月様の歴史。

彼の凛とした立ち振る舞い、厳しいながらも思慮深く温かな言動。


彼を慕う精霊や妖怪、神々がなぜ彼を敬い平伏するのか、見ているだけで簡単に想像がつく。


周りからの視線に気づき、私は咄嗟に恥ずかしくなる。

というのも、私は昨日の白装束のまま。肩が出るまではだけて、髪も乱れている。


物珍しそうにこちらを見る妖怪たちの視線をかいくぐろうと、私は布団を顔からかぶり、うずくまった。


紫月様はそんな私を見て、布団を引きながら覗き込み、呆れた顔で注意する。


「こら、また寝るのか、だらしのないヤツだな。ほら、風呂を早めに用意させるからとっとと入りに行け。あ……一応白湯を飲んで、俺の分もな」


そっと白湯を渡してくる。手つきも凄く優しい。


だけど気になるのは、起きたばかりの時とは違う、素っ気なくあまり合わされない視線。


それよりも近寄ってくる妖怪たちを抱きしめたり、なでたりするのが忙しいのだろうかと考えようとはすれど、私の思い違いでなければ、紫月様はやはり私に興味はなく、何か別のものを私に見ているのではないか?そう思えてならない。


というのも、考えてみれば、こんな立派な方が私なんかを突然、愛玩あいがん対象のように愛でたり微笑んだりするだろうか。


あの、ハッとした後からの視線のよそよそしさ。引き寄せられたかと思えば、距離をとられて。


この独特な距離の取り方が単純にこの方の癖ならば、この方は天然のタラシか何かで、なおのことタチが悪い。

というのも、私の心臓は案の定、鳴りっぱなしだ。


ただでさえ命の恩人で、強く、優しく、カッコいい。

頼もしいだけでなく、声も顔も身体も、生き様も、どこをとっても美しい。


微かに香る蓮のような花の甘い香りは、この方のフェロモンなのか。


その腕に顔を埋めたくなるし、それが鼻をかすめれば頭がぽうっとして、安堵と共に変なところが微かに反応してしまいそうになるのも察して欲しい。


この方は一体何なんだ。


身が持ちそうにない、と思いながらも、チラリとその瞳を目で追いかけ、少しもこちらを向くことがないのを確認してしまう。


キュッと締め付けられた胸を隠すようにえりをギュッと合わせると、私は足早に風呂へと向かった。

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