第29話 加速
いつものように協会で仕事をしていると、ネフィスが声をかけてきた。
「アシュル、この前の仲裁は無事に解決したみたいだね。」
「はい。なんとか。でも、また仲裁申立を近々するかもしれません。」
「またやるのかい。1人の代弁者が公証場にいくのは年に2、3回くらいなものだけど。」
「介入ではとても解決できそうもない件が他にもありまして。」
ネフィスの言う通り、平民間の紛争は代弁者の介入でほとんど解決する。平民間の問題をわざわざプリビレッジに仲裁してもらうことを望む者はいないからである。
そのため、仲裁の申立をする案件はプリビレッジとの争いばかりとなる。
しかし、プリビレッジとの争いごとには及び腰で泣き寝入りする平民が圧倒的多数である。
また、無知な平民は公証場に行けば解決してくれるものと勘違いし、代弁者の相談を経ず、仲裁の申立をしてしまい、プリビレッジの返り討ちに合うことも多い。俺が昔そうだったように。
新たに仲裁の申立を検討しているのは、先日相談があった借金問題である。
ユージリスという平民の男性がオーラス・クダンというプリビレッジから3万キルスを借り入れ、魔術契約を結んだ。その条件は、返済ができない場合には15歳の娘を5年間奴隷落ちとするものである。これ自体はこの世界でよく見る内容である。
しかし、利息が10日で1割という条件であり、とても返済ができる金額ではなかった。複利で計算まではしないようなので、単純に30日で元本の3割が利息となる。
「なぜこんな条件でお金を借りることになったのですか。」
「妻が流行り病にかかり、命の危険がありました。高額な薬草がすぐに必要だったのです。お願いです。娘を助けてください。」
俺がユージリスにこう質問すると、彼は涙ながらこのように話していた。完全に弱みをつかれた格好だ。
しかし、利息を制限するような王令は存在しない。そのため、基本的には自由取引の範疇ということになる。
一体どうすれば彼らをプリビレッジから救ってあげられるのだろうかと俺は悩んだ。
しかし、ただ待っていては利息だけが膨れ上がってしまい、救いの道は完全に消えてしまう。一か八か、公証場で解決を図る他ない。そう考えるに至った。
俺は早速ユージリスに対し、改めて覚悟を問うことにした。
「一月いくらであれば返済に回せますか。」
「私と娘の賃金がだいたい1万4千キルスですので、家族4人の税金を除いて1万キルスほど残ります。生活費などを差し引くと、3千キルス、いや4千キルスは。」
「なるほど。息子さんは今11歳でしたか。」
「はい。後4年もすれば働き手にはなるのですが・・・。」
「どのような代償を払ってもやり遂げる自信はありますか。」
「はい。私の命をかけても娘を守りたい。」
賭けになるが、利息を下げさせる手段を考えてはいる。ユージリスの覚悟も分かった。さらに奥の手もある。
俺の気持ちは固まった。いざ公証場へ。
ユージリスの居住場所はナンダンだったので、ナンダン地区公証場に仲裁の申立を行った。初めて相対する公証人ということもあって懸念もあった。だが、いくらなんでもスレリル地区の公証人よりも酷いことはないはず。そう祈るばかりだ。
ナンダン地区公証場、法廷。そこに当事者全員が集まり、公証人が来るのを待っていた。
少しすると、公証人が奥の扉から入廷してきた。
「わしは、キース・ルーズベスじゃ。これより仲裁を始める。」
ルーズベスが高らかに開廷を宣言すると、スムーズに人定や宣誓などの手続きを行った。
そして、気づけば俺からクダンに質問を行う番になっていた。
俺は前に立ち、クダンの表情をよく観察できる距離まで近づいて、質問を始めた。
「クダンさんの認識を聞きたいのですが、あなたは平民労働者の所得がどれくらいだと思っているのですか。」
「せいぜい月1万キルスくらいじゃないか。」
「そうです。しかも、この家族の働き手は2人しかいないのですよ。さらに、その一人はまだ成人したばかりの娘です。月に1万4千キルスほどしか稼げないわけです。」
「お前は何が言いたい?こいつは返すアテがあるから条件を飲んで魔術契約をした。ただそれだけの話ではないのか。」
この男は嘘をつかないように誤魔化すこともせず、平然と言ってのける。少々厄介なタイプだ。
「では、ユージリスさんがどういう返済のアテがあるのかあなたに話しましたか。」
「そんなものは知らん。聞いてもいない。」
「返済が滞ってあなたも困ることになるのではないですか。」
「別に。そんなことはどうでもいい。」
当初は平然としていたが、このあたりから表情が少しだけ苛立ちを見せてきたことがよく分かった。俺が代弁者であるとはいえ、平民に詰められるのは面白くないのだろう。
「彼が返済できないとすれば、娘が奴隷落ちするわけですよ。こんな無謀な借り入れで。何とも不条理ではないですか。」
「不条理であっても仕方がないだろう。それが契約というものだ。」
「そうですか。」
俺はここで少し間をとった。勝負どころに入るからである。
「あなたはこのような王令を知っていますか。『何人も他人を不当に貶めてはならない。』というものです。」
「それがどうしたというんだ?」
「あなたはとても平民が返せない利率の利子を要求している。これを返せなければ15歳とまだ右も左もよくわからない子女を奴隷落ちにさせようとしている。そして、あなたはこの状況を不条理なこととして認めている。」
「・・・・・。」
「つまり、あなたは不可能なことを求めて、不条理な結果を生じさせようとしている。これを不当に貶めると言わずして、なんと言えるのでしょうか。」
「平民風情がいい気になるなよ!平民を奈落の底に落としてなぜ俺が責められなければならない!」
プリビレッジはやはり平民から糾弾されることはどうも我慢できないらしい。案の定この人も怒りの感情を抑えられなかった。このこと自体、プリビレッジの平民に対する根強い差別意識の大きさを物語っているといえるだろう。
しかし、俺はクダンからなんとかこういう言葉を引き出したかった。王令と抵触することを半ば自白したような印象を与えるためである。
さすがにここまでくると、俺の尋問に静観していた公証人も口を挟まざるを得ない。
「おほん。少し落ち着きたまえ。クダン氏もユージリスが確信的に返済できないという認識ではなかったのじゃろ?」
「ああ。そうだ。」
「公証人、しかし、限りなく確信に近いものであったことは明らかでないでしょうか。」
公証人から出るいつものプリビレッジに対する助け舟に、俺もすかさず反論をいれる。
公証人は俺からの反論もあってか、右手で自身のほっぺの右側あたりをかきながら、少し苦々しい表情をする。
「どうじゃろう。ここは和解の方向で考えてみては。今回そこにいる平民家族の収入は分かった。和解して、この収入で返済可能な利息にまで減らすということで解決するというのでは。」
「じゃあいくらなら払えるんだ?」
公証人もこのまま仲裁で白黒つけるのは、プリビレッジ側にも傷がつく可能性を危惧したのだろう。まさに狙い通りの展開だ。
「公証人。よろしいでしょうか。この家族の収入と税金の支出を考えると、ただでさえ家族4人暮らしていくのは苦しいはずです。それを踏まえていただきたい。」
「それならば、利息はひと月あたり1割でどうじゃろうか。今の元本では3千キルスとなるが。」
クダンはイライラした様子で公証人の提案を検討している。しかし、妙案を思いついたのか、冷静な様子となり、その口を開いた。
「分かったよ。その代わり条件がある。支払いが滞った場合は、娘の奴隷落ちを10年まで延長するという条件だ。これ以上妥協するつもりはない。」
「こう言っているが、ユージリスはどうじゃ。」
「はい。その条件をお受けします。」
かくしてこの条件で新たに魔術契約を結ぶことになり、一応の解決をすることができた。
もちろん、現状のままでは返済が困難になる可能性もある。クダンはそれをきっと望んでいるだろう。
「ユージリスさん、あなたは娘さんのために、月4千キルスは返済に充てるといいましたね。本当にできますか。」
「は、はい。千キルスずつ返すということは30ヶ月ということですね・・・。」
「いいえ、違います。別の仕事をしてもらいます。その仕事をこなせば月2千キルス稼ぐことができます。そうすれば、元本にも3千キルスずつ返済が可能です。それに元本を返済すればその分利子も小さくなります。早ければ8ヶ月で完済できます。」
俺はこうなった場合の腹案を持っていた。それはこの家族にオリーブの実を集めさせ、ユリウスに販売し、収入を増やすことだ。
ユージリスの息子は11歳なので時間もある。俺やユリウスが当時オリーブオイル作りに必死だった年と同じだ。
それに病気の母親はともかく、父親と娘も休みの日は手伝うことができる。
家族の危機を一丸となって乗り越えるという作戦だ。ゴールがはっきりと見えていればどんなに苦しくてもモチベーションを維持できるはず。
結果として事がうまく進んだと思う。もちろん、この家族の今後の奮闘が前提となるが。
ただ、公証人が比較的まともだったということもこの結果につながったのではないかと思う。
公証人のルーズベスにはなんとなく理屈が通じる。このことは今後の活動にあたってよく覚えておこう。
俺はこのような形で、その後も公証場に紛争を持ち込み、あるいは公証場に至らない形の介入をして、プリビレッジに何度も挑んだ。
とりわけ、プリビレッジによる平民に対する暴行事案はよく発生しており、その相談は定期的に協会に持ち込まれており、積極的にこれを受けていた。
どの事案も正義からは著しく反する内容ばかりだった。平民は手を出すことができないと分かって暴行をしているのだから。
中には目と目があっただけという平民に何の落ち度もない暴行事案すらあった。
プリビレッジとの揉め事が協会に持ち込まれる度に、俺はやれる限り、正義を守るため突っ走った。
もちろん、最終的にプリビレッジから謝罪や賠償金の支払いをさせるなどもできず、また、プリビレッジに非を認めさせることができずに終わってしまうことも多かった。
しかし、相談者はたとえどのような結果でも、俺が全力で平民の代弁者として立ち向かっていく姿を見せると、いつも「よくやってくれた。」「勇気をもらった。」などと言ってくれる。
少なくとも俺の平民の立場を守りたいという気概だけは依頼者に十分に伝えられている。
だが、他の代弁者の活動は俺とは異なり、低調な印象を覚える。
「パリシオン、そういえばこの前来てたプリビレッジの相談はどうなった?」
「僕ではまだ手に負えないからチューターに回してもらったんだ。」
「そっか。ジムトリィさん、結構見た目が怖いからプリビレッジにもうまく立ち向かえそうだね。」
パリシオンは一瞬下を向いて浮かない表情を見せ、声のトーンを少し落としてこう続ける。
「それがジムトリィさんはその平民の人がこれ以上嫌がらせをされないように、プリビレッジに抗議など何もせずに大人しくするのが得策って説得したそうなんだ。」
「それでその人は納得できたのかな?協会にわざわざ相談に来ているのだし。代弁者に最後の望みをもっていたはずだよ。」
「まぁ、怪我をするほどのものじゃなかったというのもあるのかな・・・。」
半年以上協会に所属して分かってきたが、代弁者といえどもプリビレッジに平気で向かっていける人間はごく少数という印象だ。
代弁者といっても平民は平民。プリビレッジの非道があっても多少ならば我慢する他ないという意識を持っているのかもしれない。
そうだから、多くの代弁者はプリビレッジ絡みの相談に対しては、その平民をなだめ、できる限り穏便な解決法を模索する。
「パリシオンはその件が穏便に解決されてどう感じたの?」
「うーん。僕はやっぱり納得できないというか。そんなことで本当によいのかなと思ったよ。平民の人、すごく悔しそうな顔で僕に相談してきていたんだし。無念だったのではないかと思う。僕が先輩に意見を言える立場ではないけど。」
「パリシオンの心はしっかり代弁者なんだね。」
「なにそれ?」
本当のところ、代弁者の仲間に対して少し不満な気持ちが生じていたが、パリシオンのような代弁者もまだいるんだと思うと、これから皆で変わっていけばよいと気持ちを新たにすることができた。
根源的なところにあるのは、プリビレッジと平民の間にある強い差別意識だ。そして、平民には何をしても許されるという風潮。俺としてはとても放っておけるものでない。
だが、俺一人でプリビレッジに立ち向かっても、こうした王国全体に存在する風潮を簡単に変えることはできないだろう。
やはりパリシオンのような信念を内に秘める仲間を増やしていく必要があると感じたのであった。
そうすると、まずは協会の中でも強い影響力を持てるような立場を目指す必要があるだろう。
あまり権力というものに興味はないのだが、背に腹は代えられない。
終
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