第12話 法と秩序


今朝はなんだか目覚めが悪い。

昨日の出来事があって、マーガレットのことをずっと考えていた。


決められたレールのうえを歩くことしかできない人生なんてあってたまるものか。

若者は自分の足で人生を歩かなければならないのだ。 


そんな俺もこの世界よりずっと自由な世界に生きていたのに、レールの上を歩いただけの人間だった。

だけども、俺は新しい人生では心から変えたいと思っている。

マーガレットだってきっとそれができる。まだやれることはあるはず。


俺の中でようやく気持ちがまとまり、家を出て今日も学院に向かう。

いつもの道と景色。昨日のことをまだ引きずっているのか、少し色褪せて見えるように感じる。


「おはよう。」


後ろから落ち着いた声が聞こえた。女子の声だ。振り向いてみると、フリーラだった。

フリーラはまだ13歳であるのに、とても落ち着きがあり、精神年齢が高く感じる。

俺は前世と合わせて34年も生きているというのになんだか精神年齢でもフリーラに負けそうだ。


「フリーラは決められた人生ってどう感じる?」

「なにそれ。そんなの無視するわ。」


俺の唐突な質問にも冷静なフリーラの発言を聞くと、思わず笑ってしまった。

フリーラは本当に芯のある人間だ。フリーラからは、なんだか自分の人生に覚悟のようなものを感じる。


「今日の講義はなんだったかな。」

「確か、統治の話と聞いてるわ。」


フリーラとそんな他愛もない話をしているといつの間にか学院に到着していた。

講義の10分前か。ちょうどよい時間だ。


教室に入ると、俺は自然とマーガレットの姿を目で追っていた。マーガレットはいつも通り登校しており、普段と変わらない。


「では講義を始めるぞ。今日は統治だ。」


定刻通りに教室に入ってきたラフィーナのハキハキとした声が教室に響く。


「国を統治するということは、いかに平和で穏やかな世の中を実現することと同義だ。そして、統治に最も大事なものは何か。それは法の存在だ。」


法学部の元学生としてはこれは専門分野だ。ラフィーナの講義を聞く姿勢も自ずと力が入る。


「知ってのとおり、王国では王令という形で法を施行する。王令は第一種王令と第二種王令が存在するが、第一種王令は神器をもって、魔法拘束をして国民にその遵守を強制させることができる。ただし、第一種王令として魔法拘束を持たせるには魔力が相当量必要になるため、最重要なものに絞られる。今は5つあるな。これは暗記しておけよ。」


そう言って、ラフィーナは前方に大きな紙を掲示した。


1 王国の統治機構を破壊し、国王を排斥することを目的に行動することを禁ずる。

2 いかなる理由でも人を殺害することを禁ずる。

3 正当な理由なく、他人を暴行することを禁ずる。

4 正当な理由なく、他人の財産を奪うことを禁ずる。

5 いかなる方法でも他人の居宅を破壊することを禁ずる。


第一種王令は秩序の根幹といって良い。ここに指定される行為は500万人ほどいる平民から起こることはない。魔力量の制限のある中で第一種王令としてどのような行為を禁じるか、極めて重要である。


これらを見ると、5つの禁止事項によって、王国の秩序は広く守られるだろう。法学をかじった者としては納得する。

重罪に該当する犯罪はほぼカバーされていると思われるためである。


唯一、重罪とも言える強姦が含まれないように思えるが、強姦には暴行が前提となるため、3でカバーされている。


5は放火を想定したものだろう。ただし、この世界では炎以外のエネルギーでも同様のことが可能であることを踏まえて「いかなる方法でも」と表現したものと推測する。


3、4にある「正当な理由」は、少なくとも正当防衛や債権者の自力救済が可能な設計だろうか。ただ、昔ユリウスが反撃できなかったように、何をもって正当な理由と判断されるのかは曖昧だ。


「第一種王令にも欠点がある。そう、魔力持ちには魔力耐性があるため魔法拘束が有効でないということだ。つまり、プリビレッジには拘束されない。」


ラフィーナのこの説明はほとんどの学生にとって公知の事実だろう。だが、不満が奥底にあるためか、若干ざわつく。そんな中、ラフィーナは続けて述べる。


「だからといって、プリビレッジも王令を遵守する義務がないわけでない。プリビレッジが王令に反する行為にでれば、王の面前裁判で処罰がなされる。ただし、面前裁判は重要なものに限られるのが実態だが。」


王の面前裁判というものの詳細は分からなかったが、プリビレッジでも重大犯罪を犯せば処罰されると聞いて少し安心した。


「次に第二種王令についてであるが。」


続いて第二種王令の説明となった。第二種王令には、例えば「婚礼の儀を挙げた者は貫通することを禁ずる」や「平民はプリビレッジに非礼を禁ずる」など、王国民として依拠すべき道徳観に基づいた禁止事項が定められている。

これらは魔法拘束を受けることがないので、平民の中でもこれに違反する者がでる。


こうした事案を王国がどう処理するかという点だが、ここで登場するのが公証場の存在である。

公証場の主な役割は、王国民間のトラブル解決である。トラブルの多くは第二種王令違反行為であり、公証人による仲裁が第二種王令の違反者に対する制裁となる。


要するに、第二種王令は私的自治に委ねられ、違反行為が発生し、その被害を受けた者が公証場に訴え出て、公証場で制裁が発動されることで間接的に担保されるという仕組みなのである。


ただ、公証場の実情は、平民間の争いというよりも圧倒的にプリビレッジと平民の紛争を取り扱うことが多いとされる。

このことの意味は、平民に対するプリビレッジによる王令違反行為が圧倒的に多く、平民による救済の訴えで公証場がプリビレッジに制裁を課すということだ。

そして、プリビレッジの場合は、平民とは異なり、第一種王令も違反行為が起こるため、王の面前裁判に至らない場合も公証場が引き受けることになる。


このように法の番人としての公証場の役割は大きい。

だが、俺が経験した公証人による仲裁はとてもまともなものではなかった。


そもそも、プリビレッジが公証人としてプリビレッジを公平に裁くことができるのだろうか。プリビレッジ間は身内の関係に近いように見える。

更に言うと、公証場という制度がプリビレッジが王令を遵守させるという点で機能しているのだろうか。


考えを巡らせていると、ラフィーナが興味深い質問をする。


「かつては第一種王令に『他人を欺いて財産を得てはならない。』というものも指定されていたが、これは廃止となり、第二種王令となった。なぜか分かる者はいるか?」


詐欺行為のことか。確かに第一種王令で詐欺行為も魔法拘束すれば秩序はより完璧になる。

なぜ廃止になったのだろう?そんな疑問がでてくる。


「そんなん第一種王令で拘束されたら商売できないわぁ。」


前斜めの席から声が聞こえてくる。リサリィの声のようだ。


「そうだ。王国中、取引が滞ってしまったのだ。商売で利益を出すためには安く仕入れた物をより高く売る必要がある。そこには人間の心理として他人を欺くという意思がどこかに混ざってしまう。一点の曇もない善意ということでは商売もあがったりということだ。」


ラフィーナの回答はなかなか面白かった。法に魔法拘束という条件を含めて設計するというのは前世でありえない前提だったのでなおさら興味深い。

リサリィはしたり顔であったが、本当にこれを理解して言っていたのだろうか・・・。


こうして、実りの多かった講義も終わった。


今日のラフィーナの講義は、まるで久しぶりに大学の頃の授業を受けていた気分で、懐かしさや嬉しさなど複雑な感情がこみ上げてきた。


今度、ラフィーナに公証人の裁量の範囲や公証人選任の公平性の確保、そして、代弁者の役割について尋ねてみよう。王令を学びたいという気持ちがさらに大きくなっていった。


講義が終わると、俺は帰り支度を始めた。

今日はあの約束の日だ。午後も自習をしたいのは山々だが、今日は帰らないといけない。


俺はそそくさと後片付けをしていると、その様子を見ていつものメンバーが声をかけてくる。


「なんだよアシュル、今日はサボりかよー。」

「講義が難しくて嫌になったんじゃない。」


このいじりはガリンソンとリサリィの定番だ。


「勉強しないなら差をつけちゃうわよ。」

「うんうん。」


マーガレットとフリーラだ。こちらは優等生ならではのいじり。


「アシュル、もう帰るの?」

「ごめん、今日は用事があって自習の時間を早めに切り上げて先に帰るね。」


パリシオンだけが俺に普通に聞いてくる。

俺はパリシオンたちに挨拶をすると、足早にとある場所に向かった。

ポケットに2万キルスという13歳の平民にとってはとても大きなお金を持って。


学院から30分程度歩くと、待ち合わせ場所に到着した。


「アシュル!」


大きな声で手を振りながら呼びかけてくるカナディがいた。カナディもこの日は、シューストにお願いをして、暇をもらったそうだ。


「やぁ、カナディ。ついに約束を果たす日がきたね。」

「うん、楽しみにしてた!」


今日のカナディは一段とテンションが高い。

それもそのはず、以前約束したカナディの成人のお祝いを買いに行く約束をしていたのだ。

ユリウスからオリーブオイルの利益を半分もらっているので、お金がある程度貯まっていた。


「じゃあ、いこっか。」


俺がそう言うと、カナディは腕を組んで「あっちー。」と誘導する。


「カナディ、ちょっと恥ずかしいよ。カップルみたいに勘違いされちゃうよ。カナディももう年頃の女性なんだから・・・」

「いいの、いいの。」


カナディは動じる様子もなく、ぐいぐい引っ張っていく。

そういえば、カナディは一体何を欲しがっているのだろうか。2万キルスでさすがに足りるよな・・・。


カナディとしばらく歩くと、とある店の前に来ていた。民家と何の変哲もない店構えであるが、おそらくここは。


「ここ!」

「ここは、宝飾品のお店だね。」


そう言って店の中に入る。想像はしていたが、女子はやはり光り物に憧れを持つようだ。平民はそんな余裕がないのでなかなか買えるものではないが。


「いらっしゃいませ。」


店の中には25歳前後と思われる女性がおり、ニコニコ笑顔で声をかけてくれた。

カナディは颯爽と嬉しそうに店に陳列されている宝飾品を手にとり、見入っている。

俺も陳列された物を見ながら少し店員に探りを入れてみる。


「この商品っておいくら位なもんでしょうか。」

「こちらは、5万キルスですね。」


俺が手に取った何の鉱石でできているか皆目検討のつかない青く光っているブレスレットの値段を確認した。残念ながら明らかに予算オーバーだ。


「アシュル、こっち来て!」


カナディに呼ばれたので近寄ってみると、2つのペンダントを両手にとり、首を右左に何度も見比べていた。


「アシュルはどっちが可愛いと思う?」

「そうだね。カナディには淡い色が似合うから、こちらのピンクの鉱石のペンダントの方が合っているじゃないかな。」

「そう?」


俺の意見はおそらくカナディの判断材料になっていないのだろう。

まぁ、人の意見なんて気にせず、カナディの五感で決めてもらったほうがよいとは思うが。


俺の興味の対象はただ一つ。これらのペンダントの値段である。俺の手持ちの予算に収まるのだろうか。それだけが心配で少しソワソワしてしまった。


「こっちにしようかな。」


カナディは俺がお勧めした方でない黄色の鉱石のペンダントに決断した様子だった。


「すいません、これっておいくらでしょうか。」


店員に値段を聞いた瞬間、俺の中で緊張が走った。


「これは1万5千キルスですね。」


この言葉を聞いた瞬間、俺の中には感動がこみ上げてくる。この勝負、俺の勝ちだと。


「ではこれをもらいたいのですが。」


そう言い、俺は1万5千キルスを店員に渡した。この取引は成立した。

カナディは店員からペンダントを手渡されて受け取る。

そして、「ありがとうございました。」という店員の声が聞こえてくるのを背に、二人は店を後にした。


店から家に帰る途中、カナディは途中足を止めた。

カナディの表情はルンルンなのかと思いきや、何故か正反対の顔をしていた。


「アシュル、今日は本当にありがとう。私ずっと肌見離さずにつけているね。」

「どうしたの、なんだか悲しそうな顔をして。」

「ううん、そんなことないよ。本当に嬉しいよ。でも、私もそろそろ・・・。」


話の筋が全く見えてこないが、いつも元気なカナディのあまり見せない切なうな表情に、何だか思うところがあった。


「私、もう16歳だから、結婚しないといけない年齢になっちゃうね。アシュルはかわいい弟だから、結婚相手に選べないし・・・。」

「カナディ・・・?」


カナディから意外な告白のような言葉が出てきた。結城佐久としての人格からすると、カナディは魅力的な女性だ。だが、俺はあくまでもアシュル。カナディの実の弟だ。


「私、せめてアシュルからもらった物をずっと身につけておきたくて。この黄色はアシュルの色なんだ。誰かと結婚することになってもずっと大事にする。」

「そうなんだね。僕もカナディに贈り物が出来て本当によかった。」


カナディも大人になり将来のことに不安を持っていたのだろう。

俺としても、カナディが嫁にいくのは複雑な気持ちもある。せめて俺から見ても素敵な男性にもらわれてほしい。そして、カナディがずっと幸せであってほしいと思わずにはいられなかった。


「さぁ、帰ろっか!」


カナディはいつものにこやかな表情に戻り、俺の手を引っ張り、帰路についた。


その夜はカナディのことをずっと考えていた。

結城佐久の人格が邪魔をし、こんなにかわいいカナディが他の男にとられることを改めて想像してみると、複雑な気持ちとなるのであった。



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