第8話 文字の習得(後)


レストランフリーにオリーブオイルを納めるようになって、数ヶ月が経過していた。

俺はオリーブの収集とオリーブオイルの製造に明け暮れる毎日。忙しくしていた。


子供の頃から、こんなに充実感のある日々を過ごすことができるなんて想像もできなかったな。やはり明確な目標があると、迷いがなくなり、やるべきことに集中できるからだろう。


「おーい、たくさん集まったぞー。」

「ほんとだねー。」


ユリウスが嬉しそうにオリーブの実をたくさん収集してくる。森もユリウスと一緒だと心強いし、楽しい。

オリーブの実を集める方も、オイルを絞り出す方もかなり作業効率があがってきた。


「アシュル、職業見習いは食品加工になろうと思うんだ。」

「食品加工?」

「おじいちゃんがやっていたんだ。ほら、アシュルが色々と新しい食べ物を考えてくれるし、可能性を感じるからさ。」


森からの帰り道、ユリウスの思わぬ決意を聞くことになった。

それは俺にとっても利がありそうだ。ユリウスに食品加工を任せたら、オリーブオイルの方も生産性がもっと上がるだろうし、商売として伸びてくるかもしれない。

ひょっとしたら、ユリウスの言う通り、一攫千金なんてことも。


ユリウスの言葉が宝くじを買ったときの妄想のような感覚を与えてくれて、これからの人生がより楽しみになった。


俺は大体3日に一度、レストランフリーを訪れる。約束通りオリーブオイルを納品するためである。


「アシュル、よく来たな。」

「こんにちは。シューストさん、二ーミヤさん。」


レストランフリーを訪れると、最近は客が絶えない様子。そのためか、オーナー夫婦は俺を大歓迎とばかり迎えてくれる。


「お客さん多いですね。」

「そうなんだ。オリーブオイルで揚げたアグールの肉が大人気になってね。大忙しいだよ。」


アグール肉は猪肉に似たものであるが、それにカルッチョと鳥の卵をまぶしてからっと揚げる。そう、トンカツに近い料理である。

材料はこの世界で集められる類似品であるが、一度味見してみたがトンカツの味とかなり近い。


後はトンカツソースと辛子があれば完璧なんだけど。

まぁそのうち代用品を探してみよう。とにかく想像通りの大繁盛となって本当に良かった。


「アシュル、来てたの?」

「さっき。」


カナディも忙しそうに先ほどから料理を運んでいる様子が見えていた。

空前の好景気に、レストランフリーの従業員の給料も以前よりあがったそうだ。だからなのかもしれないが、従業員全員の表情も明るく見える。


「そうだ。アシュル、少し約束よりも早いが、1万キルスを渡そうと思う。」

「え。」

「十分稼がせてもらったから。」

「ありがとうございます!」


約束の半年間の満了まで残り2ヶ月弱あったため、これは予想していなかった。

だが、せっかくのシューストの好意だ。有り難く約束の1万キルスをニーミヤから受け取り、気持ちが引き締まる。


「それで今後のことなんだけど。」

「もちろん、お望みなら。」

「では、オリーブオイル1日分の使用量につき、50キルスで買い取ろう。」


商談成立とばかりに、俺とシューストは手を取り合い、堅い握手をした。


今後も何かとお金がかかることもあるかもしれない。

オリーブオイルを継続的に売ることができる販路を確保でき、しかも単純計算で毎月1万キルスを超える金を安定して稼げるのは願ったり叶ったりである。


これだけ稼いでいれば、平民の大人と変わらない稼ぎになる。もちろん、ユリウスの取り分もあるので、額面どおりとはいかないが。


オリーブオイル作りと勉強がうまく両立できるか不安もあったが、今なら親友のユリウスにある程度作業を任せることもできる。きっと大丈夫だ。

それにこれまでタダ働きをさせてきたユリウスにもようやく報酬を渡してあげられる。きっとユリウスも喜んでくれるはずだ。


「アシュルお金持ちー。」


カナディが少し目をキラキラさせて顔を近づけてくる。この可愛い顔でおねだりをされると流石に俺も少し照れてしまう。


「カナディのおかげでここにオリーブオイルを卸すことができた。本当にありがとう。必ずそのうちお礼をするよ。カナディの成人祝いも兼ねてね。」

「やったー。約束よ。」


カナディはこのとき、15歳を迎えており、既に見習いを卒業して、正式な従業員としてレストランフリーで働いている。資金もできたことだし、遅れたけど何かプレゼントを買ってあげたいと思う。



この日の夜、俺はなかなか眠れないでいた。


隣ですやすや眠っているカナディにも改めて感謝の気持ちでいっぱいである。

これでようやく私塾に通うことができる。ここまでくるのに1年半もかかってしまった。

文字を学ぶことがこんなに苦労するものとは全く思わなかった。


前世のように子供が教育を受けることが当然であるという環境がどれだけありがたいのか改めて知った。この世界では多くの子供に学ぶ機会はない。考えてみればこれは不幸なことだと思う。

だが、俺は幸い自分の努力でそれを勝ち取ることが出来た。このチャンス、必ず掴み取る。改めてこのように決意した夜であった。


翌朝、1万キルスを握りしめ、早速以前訪れた私塾に向かった。


この世界では野盗が出る心配もないから、堂々と大金を持って歩ける。もちろん、プリビレッジには気を付けてという条件はあるが。


そうこう考えているとあっという間に目的の私塾に到着した。


「こんにちは。」

「あら、いらっしゃい。」

「あの文字を覚えたいのですが、入ってもよいですか。」


以前訪ねたときの女性が応対したので、改めて尋ねてみた。


「半年なら1万キルス必要だけど、大丈夫?」

「はい。今支払うことができます。」

「中にお入り。」


本当に通う意思があると分かったのか、建物の中に案内された。外観から想像する通り、こじんまりとした感じだ。部屋の中では子供2人が勉強している様子だった。


「基本的に休息日以外は昼から夕方まで教室を開放しているの。ここで書籍を読んでもらって私が個人指導をしていく形なのよ。」


この女性は、サンタナという名前で講師兼オーナーとのことだった。


この世界の暦であるが、週に7日で1日が神の休息日として休みであり、50週を1年とする年350日である。

俺が成人して働くことになったら、きっと前世の週休二日制が恋しくなりそうだ。


俺はおおよそのシステム説明を聞いて、1万キルスを支払った。苦労して稼いだ分、このお金を支払うのも少し惜しい気もするが・・・。


こうして明日から正式に通うことになった。文字を必ず習得するぞ!


それから俺は足繁く私塾に通った。この世界の文字は、アラビア語の形に少し似ているかもしれない。

最初は全く何を書いているか見当もつかないレベルであった。


当然戸惑うことが多かったが、手取り足取りサンタナが教えてくれるため、少しずつ文字の理解ができるようになってきた。


それにしても何かを学ぶということはこんなに楽しいことなのか。とても前世の自分では感じられなかった感覚だ。

それに俺がまだ子供だからなのか、飲み込みが早い気がする。2、3ヶ月通ったころには、なんとなくそう実感していた。


私塾とオリーブオイルづくりの掛け持ちで、時間が惜しいほど忙しい日々を過ごしていた。そして、あっという間に予定通りの半年が経過した。


「ここまで理解できていれば学院の試験も全く問題ないと思うわよ。」

「本当ですか。」


サンタナがそう褒めてくれたので、俺の学力は合格ラインに届いたのかもしれない。

だが、事前に模擬テストのようなものもないから、自分の立ち位置も全くわからない。

不安もあるが、この半年間、親身になって教えてくれたサンタナの言葉を信じるしかないか。


「半年間お世話になりました。」


これでいつでも学院の試験を受けることができる。必ず合格してやるぞとモチベーションが高まってくる。


いや、俺にはその前にまだ先にやるべきことがある。そう、トシュルの説得である。


2年前、俺が代弁者になることに強く反対していた。もちろん、それは俺の幸せを考えてくれてのことだろう。

けれども、きちんと自分の思いを伝えたらトシュルならきっと理解してくれる。

これは避けることができない、そして、超えなければならない最後の壁であった。


ある日の夜、家族で夕食を食べ終えた後、このあたりが切り出しどきだろうとタイミングを図り、家族全員の前で決意を持って話をすることにした。


「みんな、聞いてほしい。実は13歳になったら、職業見習いでなく、国家中枢養成学院に通いたいと思っている。そして、僕は代弁者になりたいんだ。」


夕食直後に行われた俺の不意な決意表明に対して、3人は少し驚いた様子で誰もすぐに言葉を発することなく、反応は薄かった。


この空気はあまり好きでない・・・。


そう脳裏に浮かんだとき、トシュルが満を持したような感じで話を始めた。


「そうか。お前が考えて決めたことだ。反対しないよ。自分のやりたいことをやりなさい。」


え!?


思わぬ言葉に俺は耳を疑った。おそらく少し動揺した表情になってしまったであろう。

すると、それを見かねてか優しい口調でナーディアがこう語る。


「父さんも母さんもずっとこの2年間のアシュルの頑張りを影で見ていたのよ。普通の子供にはとてもできないことをやっているのを知っていたわ。」


カナディは何故か自分だけ誇らしい表情で俺の方を見る。


「それにな、シュフィーロさんが何度も父さんのところにきて、『アシュルは天才だ。絶対人と違う道であっても本人の希望通り進ませてやってほしい。この国を変える力があるかもしれない。』というんだ。」

「あっ、サンタナさんも言っていたわよ。アシュルは出来が違う。あんな覚えの良い子はこれまでみたことがないって。」


トシュルとナーディア二人共少し嬉しそうな表情をしている。


シュフィーロ、それにサンタナまで。これは本当に嬉しかった。

わざわざ俺のために両親に助言をしてくれるなんて。


「アシュル。この国は平和そうに見えて、平民の生活は苦しいし、不満もたくさん持っている。プリビレッジの横暴にもうんざりしている。平民の代表として力になってあげてくれないか。」


トシュルの言葉を聞いて、本当に俺に期待してくれているんだと感じ、俺はやってやるんだという気持ちになった。


これまで何の変哲もない少年で無力だった。それでも気づけば12歳。成人までたった3年もない年齢まできていた。


改めて自分でやると決めた道だから、必ず全力で進もう。そう心に誓った。


トシュルからの許可を無事得ることができたため、学院の試験を受けることにした。


学院の入学試験は、12歳になってから入学日の1ヶ月前の間、いつでも受けることができる。

また、一人ずつ個別に試験が実施され、全学生が一斉に受けるようなテストというわけではなかった。


試験の方法は極めて単純だ。

試験当日に、試験官から読み物を渡されて、個室で2時間程度それを読む。その後、面接官から、読み物に書かれていた内容と自分の考えをひたすら質問に答えるというものだ。


基本的には、アレンが言っていたとおり、文字を正しく理解できるかという能力のみを試している試験のようである。


そして、俺の試験が始まった。


配られた読み物は、魔法の世界のおとぎ話であった。

プリビレッジの祖先が魔法を使って理想郷を作ったという話で、ここでもやはりプリビレッジを崇高するという物語だ。


特に読みにくいという内容ではないが、この世界の現実に照らせば、少し鼻につくような内容だった。

読み物としての難易度は私塾でいつも読んでいた書物よりも理解が容易という印象だ。


試験に集中していたためか、与えられた2時間はあっという間に終わってしまった。


その後、50歳くらいの女性の面接官から先ほどの読み物について質疑応答がなされる。


「物語の主人公は魔王をどのような方法で倒しましたか?」

「はい。火の魔法と水の魔法を使って、魔王を打ち負かしました。」

「では、主人公のプリビレッジはどういう世界を作り上げましたか?」

「誰一人貧困に苦しむことがない理想的な世界でした。」


試験官との質疑応答がこのようなやり取りで1時間程度続いた。


実感としては、この半年間みっちり勉強した成果を出せたように感じる。特に答えられないような質問はなかったためだ。

むしろ試験の難易度に対して、俺は少し勉強をやりすぎていたかもしれないと思うほどであった。


こうして面接も無事に終わり、俺が帰り支度をしていると、学院の責任者らしき人物がやってきた。そして、俺に「学院の入学を許可する。」という言葉が伝えられた。


自信はあったが、改めてこの言葉を聞くと感無量だ。

数カ月後、俺は正式に国家中枢養成学院の生徒になるんだと思うと、同時にホッとした瞬間でもあった。


「合格おめでとう!!」


俺が合格を決めた次の日、レストランフリーで盛大な合格祝いが開催された。


シューストが音頭を取り、俺の家族とオーナー夫婦、カナディの先輩のジュリ、友人のユリウス、それにお店の常連さんが俺を労ってくれる。


料理も名物アグール揚げをはじめとしてご馳走三昧だ。


人生の中でこんな嬉しい瞬間は初めてだ。前世でもこんな感動を味わったことがない。

みんなすごく楽しそうで、周りの人が自分のことのように喜んでいるのが伝わる。

こんな経験をすると、改めてこの世界で人生をやり直せて良かったと実感する。


俺は前世でも両親に期待されて、応援をされていた。俺もその期待に応えようと必死に生きてきた。

だが、いつもプレッシャーに押しつぶされそうになり、ストレスばかり感じるようになっていた。試験で良い結果が出ても、両親から褒められることがあっても、俺が心から喜びを感じることは一度もなかった。


今と前世では一体何が違ったのだろう。だが、それはもう自分の中で気づいている。

自分の意思で道を進み、それを周りが応援してくれているのだ。

誰かに道を与えられたり、無理やり押し付けられたものではない。自分で選んだという事実が大事なんだ。納得した道で苦労することはストレスでもなんでもない。


改めて、これからも自分の意思を貫いて生きようと思う。

そして、そのことを通じて、周りの人たちを幸せにできるような男になってみせる。

最初の一歩はうまくいった。次の一歩は学院での新生活だ。

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