第7話 文字の習得(前)
カナディが職業見習いとなって、半年ほどが過ぎていた。
カナディはわずか半年で常連客、店の従業員、そして、オーナーのシューストからの信頼を獲得し、既にお店の中で人気者となっている。
順調に仕事に馴染めていて何よりである。
俺は約束通り、カナディの職場をたまに訪れている。
目的は貧相な食生活を改善できるヒントがほしいからである。
レストランフリーには、だいたいカナディの昼休憩のときを合わせて訪れている。
おかげで、カナディの賄いのおこぼれをもらうことも多い。
「はい、あーん。」
カナディが手づかみで切れたパンを俺の口元に手を伸ばしてくる。無下に拒否するわけにもいかず、パクっと一口でパンを頬張る。
少し恥ずかしい。
そんな子供でないのに、と自分の中でいつも葛藤してしまう。
最近カナディはずいぶん魅力的な女子に見えてしまう・・・。仕事を始めて急に大人っぽくなったためだ。
俺のもう一つの人格がカナディが姉でなければと考えてしまう始末。いかん、いかん。
10歳になるまで性に意識を持つことがなかった。
たとえ、いくら脳が大人の記憶を保持していたとしても、体が子供のままであれば欲求を感じることはないということなのだろう。
逆に言うと、10歳を超えて徐々に俺も大人の体に変化しつつあるということだ。
見た目は子供、頭脳は大人の名探偵も同じ気持ちだったのかな。なんてつまらない想像をしてみる。
「アシュルじゃないか。」
「こんにちは。シューストさん。」
「この前、アシュルが言っていた果物を隠し味にする料理やってみたけど、面白い料理になるかもしれないぞ。」
人気者のカナディのおかげで俺がレストランに来ても変に煙たがられることもない。
それどころか、俺が料理に変わった助言をしても、腹を立てずに面白いアイディアだなとシューストは受け入れてくれる。本当に懐の深いオーナーだ。
カナディの休憩時間が終わると、レストランの営業の邪魔にならないようにそそくさと退散する。
今日も2時間程度の休憩時間、ずっとカナディと話をしていた。
レストランフリーを出ると、昼下がりの街をブラブラ歩く。
そんなときはいつも同じことを考えている。
文字ってどうやったら習得できるのだろう。
あの日からずっと考えているが、なかなかその答えにたどり着けない。学院に入学するまで2年ちょっとしかないのに。
平民の識字率はとにかく低い。平民の中で文字をしっかりと使いこなすことができるのは商人くらいと聞いている。
平民に対する画一的な教育システムがないことも大きいと思うが、平民の生活に文字の必要性が低いということも要因と思われる。
情報の伝達手段として手紙は必要でなく、魔法による伝書鳥が話し言葉をそのまま伝えることができるし、ニュースは蓄音機のような魔道具で放送されるため、活字で表現する必要もない。
必然的に文字を必要とする層は限られてくるわけだ。魔法が学習を阻んでいるとも言える。
そんな中、先日代弁者協会を訪れていた。
その目的は行き詰まっている文字の習得のヒントを得るためである。
ここは相変わらず、人の往来が激しい場所だなと思いつつ、ネフィスに質問してみた。
「文字を勉強する方法が見つからず、困っています。何か良い方法を知りませんか。」
「商人の子息向けの私塾があるからそこに通ってみるよいよ。」
あっさりとした回答であった。
ネフィスはすごく忙しそうな様子だったため、この程度の会話しかできなかったのだ。
正直なところ、ネフィスが文字を教えてくれないかなと少し淡い期待を持っていたが、見事にこれに応えてくれなかった。
しかし、ネフィスからは、王都に数カ所、商人の子息を相手に、文字や算術、礼儀作法を教えている私塾があることを聞くことができた。
ただし、私塾に通うためにはお金が必要だ。
それでも、少し可能性のある情報をつかみ、前向きに考えることにした。
思いたったらすぐ行動!
ということで、どれくらいのお金が必要なのかを知るため、あらかじめ教えてもらった私塾の場所を訪れてみた。
普通の民家と変わらない建物であったが、オープンな門構えだったのでここだろうと予測がついた。
「すいません。ちょっとお聞きしたいのですが。」
「はい、何でしょうか。」
俺の声に呼応して少し太めの女性が奥から出てきた。少しばかり緊張が走る。
「あの、文字を覚えたいのですが、平民でも通うことはできますか。」
「ここは平民のための私塾だから大丈夫ですよ。」
「お金はどれくらい必要なものですか。」
「そうね、文字を学びたいなら優秀な子で半年、そうでない子で1年くらいかしら。1年で2万キルス、半年なら1万キルス必要になりますね。」
最低1万キルス!?
トシュルの一月の稼ぎが9千キルスだったはずなので、稼ぐ手段がない俺にとても用意できる金ではないことは明らかだ。
ここに通い、文字を勉強するのは少し厳しいかもしれない。
正直落胆した。
俺はその女性にお礼を言うと、足早にこの場を離れた。
子供の俺がお金を稼ぐには・・・。
いくら前世での知恵があるといっても、俺は文系だし、学生であったので社会のことをあまり知らない。
仮に役に立つ可能性があるとすれば、科学の知識くらいか。だが、それも義務教育で習った程度しか頭に入っていない。
うーん、金につながるアイディアなんてどう考えても簡単にでてくるわけがない。
だからと言って、職業見習い以外で15歳未満の子供を働かせることが禁止されているので、11歳に満たない俺がアルバイトというわけにもいかない。
1万キルスか。絶望的な金額だ。
私塾の話を知ってから、何事も進展のないまま、さらに半年の月日が流れた。
俺は既に11歳となっており、学院入学まで2年も猶予がない状況だった。
金策手段を色々と考えてみたが、ピンとくるものはなく、だからといって誰に相談できるわけもなく一人で悩み続けていた。
このままでは、代弁者になるなんて夢のまた夢になってしまう。
文字を自力で勉強しようと思ったけど、やはりほぼ0からでは難しく、体系的に学ばないと全く定着しない。
歯がゆい思いをしながら、日々を漫然と過ごしていた。
そんなある日、たまには息抜きに森にでも行ってみようという気持ちになった。
王都の南西には大きな森がある。俺の家は王都の端の方ということもあってさほど森まで遠くはない。
森にはカナディやユリウスと散策に行くことも多かったが、最近は一人でぶらぶらしていることも多い。
俺はいつもの慣れた道を通り、森に向かった。
王都の道を30分程度歩くと、一際大きな農家が見え、そこから先が森となる。
外敵がいないため、王都は外壁で囲まれているわけでなく、王国騎士隊も常時見張ってもいない。王都と森の行き来は全くの自由である。
森を進むといつもの見慣れた光景が続く。
ある程度進んだところで、今日はいつもより奥にまで進んでみようと決意する。
両親からは、子供が大人に引率されず、森の奥まで進むことを禁じられていたが、もう俺も11歳。
立派な大人だ。小ナイフもあるし、たとえどんな獣が出てきても大丈夫。
そう自分にいい聞かせ、少し薄暗い密林が続く奥道をひたすら歩いていた。
この辺になるとさすがに気味が悪いな。
周りの視界は非常に悪く、今にも何か得体のしれないものがでてきそうだ。風の音が森の奥からこだまして不気味な音色を奏でる。
森で何かを見つけないと俺の人生は開けない。
オレの心の中で強弱感が対立する中、強い気持ちが勝り、更に奥へ進んでいく。
しばらく歩くと、少し森の景色が変わってくる。
植物の種類が変わったからだろうか。
森の中でも少し陽の当たる場所に出たので、このあたりで休むこととした。
丁度よい木の切り株があったため、そこに腰掛けて持ってきた水筒を口につけた。
しばらく座っていると、急に風が強くなってきた。木は揺れ、森全体がざわざわしている。まるで前世で聞いていた洋楽の伴奏が流れてきたような感じだ。
痛っ。
そんな最中、風の影響か、何かが飛んできたようで俺の頭にあたった。
俺はその飛んできた物体をすぐさま目で追う。
これか・・・?変な木の実のようだが。
俺はなんとなくこの飛んできた木の実を拾い、暇つぶしにと握りつぶして遊んでみた。
うわ。この実から変な液が出てくる。気持ち悪い手触りでヌルってする。
しかし、何だこの液体は。俺はこの液体に興味をもった。
そして、俺は手の匂いを嗅いでみる。
ん?なんだこの匂い。どこかで嗅いだことがある気がする・・・。
それにこのドロドロとしたこの手触り。
これはもしかして。オイル??植物性のオイルなのか?
まるでオリーブオイルとそっくりだ。もちろん、厳密にはオリーブという植物ではない。だが、オリーブの木と特徴が近い。俺はこの木に名前があるかは分からかったが、もう俺の中でこれをオリーブと呼ぶこととした。
ひょっとしたら、これ使えるかも!?
この世界では、俺の知る限り食用油が使用されている様子はない。そのため、油を使ったような料理も見たことがない。
もしオリーブオイルを自分で生成して、それを使った料理を編み出せば、お金を稼ぐことができるのではないか?
俺は急なひらめきに希望を感じ、心が踊った。
これはやる他ない。このあたりのオリーブの木を徹底的に探してみよう。
そう決意し、周辺一体を探索する。
ある!たくさんある!よし実を集めよう。
木に成っているものを採取するのは大変なので、ひとまず地面にたくさん落ちている実を拾い集めてみた。
よし、これくらいで十分だろう。家に戻ろう。
持ってきた布の袋にいっぱいオリーブの実を詰め込む。
ここから家まで1時間半かかる道のり。
でも、気持ちが高ぶっていたからなのだろう。全く時間を感じなかった。
そして、あっという間に家に着いていた。
家に入るとすぐにボールを持ってきて、寝室でオリーブの実をひたすら潰していく。
液体をボールに貯めると、今度は都合の良さそうな布で不純物を取り除く。
できた。
20ミリリットルほどのオリーブオイル。
問題はここからだ。本当に食べることができるのか。イメージ通りのものができるのか。
「ただいま。」
ちょうどその時、誰かが帰ってきたようだ。この声は・・・カナディ。
こうなったら、カナディに手伝ってもらおう。
そう決意し、カナディを玄関まで出迎えに行く。
「おかえり、カナディ。」
俺が慌てた様子で出迎えたからか、少しカナディは驚いた様子だった。
「なあに、アシュル?」
「実は、カナディに料理を手伝ってもらいたくて。もしかしたらすっごく美味しい料理をつくれるかもしれないんだ。」
俺はカナディの手を引いて台所に連れていくと、急いで寝室に置いていたオリーブオイルを取ってくる。
「なにこれ?」
「これは食用油だよ。」
「油??食べられるの?」
「うん!」
たぶんね・・・。そう心に思いつつ、とにかく味見してみたい。
「どうすればよいの?」
「そうだね。パンにつけて食べても美味しいはず。野菜を炒めてみても風味が良くなると思う。」
まずは余っていた山菜をオリーブオイルで炒めてみることにする。
カナディがレストランで学んだ手際の良さで山菜をカットし、鍋を熱し始める。
そこに俺がオリーブオイルを投入。火に熱せられながら、じゅーと音を立てる。
かなりいい感じだ。
そこにカナディが山菜を入れて、しばらく炒める。
「こんなところかな?」
「うん。僕が食べてみるね。」
さすがに理由のわからないものをカナディに毒見させるわけにもいかない。
俺は満を持して山菜を口に運ぶ。
これは・・・美味しい!
オリーブオイルの風味が山菜の味を濃ゆくし、旨味を引き出している。
「カナディ。これおいしいよ。」
俺がそう言うと、カナディも口にしてみる。
「美味しいね!ただ、焼くのと比べて、少し甘くてまろやかな味わい。」
カナディも満足な顔をし、続々と感想を述べてくる。
次に、少し熱を加えたオリーブオイルにパンをつけて食べてみる。
「これも美味しい!いつもの味気のないパンとは大違い!」
カナディが少しはしゃぎ気味に感想を言ったので、これはオリーブオイルと何ら変わらない品質であると確信した。
「カナディ。この食用油、きっと他の料理にも使い道があると思うんだ。研究するから、しばらく父さんと母さんに内緒だよ。」
俺はカナディにそう告げると、カナディは笑顔でうなづいてくれた。
この日から俺の頭の中はオリーブ一色となった。
1ヶ月程度はオリーブの実を集めて、オリーブオイルの生成の繰り返しであった。
容器も必要になるため、街でたくさん拾ってきた。
気づけば、ユリウスも森でのオリーブ集めを手伝ってくれていた。
オリーブオイル作りもだいぶ熟れてきたと実感する。オリーブオイルもある程度ストックが貯まってきた。
だが、これをお金に変えないと何の意味もない。そろそろかな。
俺はこの間、オリーブオイルをどのようにお金に変えようか考えていた。
今、子供の俺が持っているパイプはあそこしかない。
そう、レストランフリーだ。
オリーブオイルを使ったレストランフリーの看板メニューとなる料理を考案し、シューストにオリーブオイルを買ってもらう。これしかない。
看板メニューとなりうる料理は一応目処がついている。
ある日、俺は決意をもって、カナディの休憩時間にレストランフリーを訪れた。
「こんにちは。」
「アシュル、ついに来たんだね。」
カナディが待ってましたとばかり、俺を出迎える。
「シューストさんは?」
「いるよ。ちょっと待ってて。」
その場で少しだけ待っていると、シューストが姿を現した。
「アシュル。どうかしたか?」
「こんにちは。実は今日はお話がありまして・・・」
「なんだ、話って。」
俺がこれまで改まって話をすることなんてなかったため、シューストさんは意外な表情をした。
「実はレストランの看板メニューを提案したいのです。」
「看板メニュー?」
「はい。」
「分かった。聞こうじゃないか。」
俺はこれまでレストランのメニューについて突拍子もない感想を述べ、それがシューストにとって目新しく面白い発想だったようで、何度かそのアイディアを採用されたという実績があった。
そのためか、シューストは今回も俺のオリーブオイルを使った料理の提案にも真剣に耳を傾けてくれた。
「この食用油をつかった料理です。」
「食用油?」
シューストは少し面食らった様子だ。
「言葉で説明するよりも実際に見て食べてもらえれば早いかと思います。」
「分かった。」
俺がそういうと、シューストは二つ返事で了承してくれた。
「少し食材をお借りしますね。カナディ、山菜と鳥の卵とカルッチョを持ってきて。」
カナディには事前に説明をしていたので、手際よく準備してくれた。
それをもとに、俺がカルッチョと卵をよくかき混ぜて、山菜にまぶしていく。
カルッチョとはパンの材料として使われる穀物の粉であり、小麦粉とほとんど同じものだ。
「カナディ、鍋にこの油をたっぷりいれて、火に熱して。」
「うん。」
カナディが下準備をしてくれたので、先ほどの山菜を鍋に投入する。ジューと音を立て、山菜が油の熱で揚がっていくのが目に見てわかる。
ある程度揚がったのを確認して、山菜を引き上げる。
「シュースさん、できました。」
そういって、山菜をお皿に置いて皿ごと手渡す。
「食べてみてください。できれば塩も少々かけたほうが味がよくなると思います。」
シューストは真剣に山菜をじっくり見て、フォークで刺して口に運ぶ。
サクという音が少し聞こえた瞬間だった。
「うまい。これは一体なんだ。食べたことないぞ。」
シューストは興奮した様子で全部平らげてしまった。
「まだ実験の段階ですので、食用油でもっと美味しいものを作ることができると思います。」
俺は調理法や材料を色々と試していけば他のレストランで出せない究極の料理を作ることができる旨説明した。
「なるほど。これは新しい。面白い!」
シューストは食用油の可能性を十分に認識してくれた様子だった。シューストの前向きな態度をみて、俺は本題を切り出すこととした。
「シューストさん、ご相談なんですが、この食用油を買ってもらえませんか。」
俺はシューストさんに、お金が必要なこと、その理由、そして、お金になるものを探していて、食用油にたどり着いたことを詳細に説明した。
シューストは俺の話を聞くと、少しの間沈黙し、何かを考えているようだ。
「ではこうしないか。アシュルは半年間、うちに食用油を納める。こちらは看板メニューを考案し、お客さんに出してみる。それで顧客さんに好評になって、売上に貢献できる看板メニューになったら、1万キルスを支払おう。」
条件面でこちらから交渉できる立場にはない。
それにシューストはカナディの上司であり、信頼に足る人物なのはもう知っている。
「ありがとうございます。」
俺は二つ返事で感謝の意を示した。
「よかったね。アシュル。」
カナディが優しく微笑んでこういってくれた。これで道が開けるかもしれない。
俺は確かな成果を感じ、これからお金を稼ぎ、文字の習得を達成しようと心に誓った。
終
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