第5話 代弁者
あの公証場での出来事から2日が経過した。
大きなショックはどうしても消化できずにいた。ついついあのときのシーンを振り返ってしまう。悔しいという気持ちというよりは、己の無力さに苛立ちを感じる。
自分の頭の中で何度も整理をした。まとめると、公証人の裁定に3つの点でどうしても納得いかなかった。
1つ目は暴力をふるったのはウィルだけでなく、他に加害者のプリビレッジが2人いたこと。彼らは不問ということなのだろうか。
2つ目は俺も暴行を受けた被害者であるのに、完全にそのことはスルーされていたこと。目立った怪我をしたわけではないが、一応被害者であることに変わりない。
3つ目は初めから公証人が相手側に肩をもっていると疑いたくなる様子であったこと。疑いを挟めないほどの証拠を出さないと、あの公証人からプリビレッジに不利となる裁定がでてくる感じはしなかった。
考えれば考えるほど、裁定結果に納得がいかないし、公証人の制度がザルすぎて憤りを覚える。
「やっぱりどうしようもない理不尽というものが存在するんだなぁ。」
ポツリと独り言をつぶやく始末。
静音のなか、布団のうえで仰向けの体勢でぼぉーと天井に視線をやっていた。
気分転換ということもあったが、この無音かつエンドレス思考状態から解放されたくて気づいたら玄関のドアを開けていた。
どうしても、一昨日の出来事がフラッシュバックしてくる。消しても消しても・・・。
街は昼間ということもあり、賑わっているのだろうが、あまり周囲の状況は目につかなかった。
どれくらい歩いたのだろう。ぼぉーと歩いていたら、気づいたら白い堅固な建物が目に入るところまできていた。
ここはスレリル地区公証場、一昨日正義に反する仲裁をしてくれたあの場所だ。
いかん、いかん。ここは前近代的な世界なんだから。理不尽なことだってたくさんあるさ。
この建物を見ていてもマイナスな感情しかでてこないと、自分に言い聞かせる。
足早にこの場を去ろうとして、もと来た方角に戻ることにした。
「君はあのときの。」
そのとき、俺の背中の方から声が聞こえてきたので、首を右に傾けて声がした方向の様子を窺った。
目に入ったのは、黒縁メガネ、30歳前後の人・・・
あのとき宣誓の書類を手渡して、後ろでメモをとっていたあの人だ。
「覚えているかな?一昨日あの場にいた。」
「はい。」
「君も気の毒だったね。」
「アシュルです。」
その男性はにこやかな表情で俺を見ている。
「そう、アシュル君の答弁に少々興味を持ったんだ。公証人に対して怯むことなく、理路整然と主張ができていて。こんな子供が大人顔向けの弁論をしてくるからすごく驚いたよ。」
突然の会話ということもあって、思考がとまったが、ほどなくして彼が何を話しているのかが少し気になり、話に耳を傾ける事に集中した。
「私は公証人の見習いをしている者なんだ。一昨日の裁定についてアシュルくんの感想聞いてみたいな。」
「はぁ。もちろん、納得いっていないというか、公平でないと。少しがっかりした気持ちになりました。」
本当はここで罵詈雑言言いまくってやりたいほど腹ワタが煮えかえっていたが、本能的に公証場の人間、いや、プリビレッジに感情的な発言をすると、きっとろくなことはないと感じ、トーンを抑えた。
「昨日の裁決は公平なものではなかった。プリビレッジだろうが、平民だろうが、仲裁は公平であるべきであると考えているよ。」
「・・・。」
意外な内容であったため少し耳を疑ったが、言葉通りに受け取ってよいものなのか、この男性を信用できないため一旦聞き流すこととした。
ただ、この男性の目を見ていると、嘘やでまかせで発言しているようには思えない。率直な印象である。
「それはどういう意味でしょうか?」
「そのままだよ。私はね、同じ人間同士、平等な世界であってほしいと希望しているんだ。」
この人は本当にプリビレッジなのか。もしかすると、平民として働いているということではないか。ピンとくる答えはそれしか浮かんでこない。
その男性は、俺が混乱している様子を察したのか更に話を続ける。
「私は正真正銘、プリビレッジだよ。でもプリビレッジの中にも今の世界が良くないと思っている者も一定数いるんだよ。君も正義がまかり通る世界であってほしいよね?」
なんとなく見透かされている?そういう印象だ。
でも、ここまで俺のことを見透かされているのならば、正面から言ってやる。
「はい。僕はこんな差別的な世界は嫌いです。変えられるなら変えていきたいです。」
「では代弁者になるとよいよ。」
俺がこう答えるのは分かっていたような即答だった。
しかし、俺にとっては予想外の言葉だったので、当惑してしまう。
代弁者?一体どういう存在だろう。
「代弁者っていうのは、国家機関のひとつで平民が担う職業なんだ。平たく言うと、代弁者は平民の声を様々な場所で代弁するという仕事だよ。例えば、君が経験した仲裁の場でも平民側に代弁者が立ち合うこともある。」
そんな制度がこの世界にあるなんて。
本能なのだろうか、俺はそれを目指すべきでないかと感じてしまう。
「もし、君に興味があるなら代弁者協会に行ってみなさい。ここから2キロくらいの地点にある。そして、ネフィスという人物に面会を求めなさい。ネフィスと面会できたら、私の名前を出せば親切にしてくれるはずさ。」
「あっ、私の名前は、アレン・ロレックという名だ。」
アレンは名乗ると、「そろそろ仕事に戻らないと。」と別れを告げ、去っていった。
アレンの話は確かに興味のあるものだった。
このもやもや感を解消するためにも、早速明日にでも代弁者協会とやらに行ってみようと思う。
アレンの話を聞いた次の日となった。
代弁者協会とは一体どんなところなのだろう。あれからずっと考えていた。
昨日の気持ちとは一転、朝から胸を躍らせる感覚であった。
「行ってきます!」
ナーディアに出かけの挨拶をして颯爽と家を出ていた。
教えてもらった代弁者協会のある方に向かって道を進む。
街の様子は活気があって明るい感じがする。昨日とは見える景色が全く違う。
昨日は正義が通らない世界に絶望してしまっていたのだと改めて理解した。
確かこのあたりだったはずだけど。教えてもらった地点には来ているはずだ。
代弁者協会・・・たぶんここか。
俺の目の前には、王都でも珍しい3階建ての大きな建物。
「代弁者協会」らしき表札が掲げてある。正確にいうと、俺はこの文字を読むことができないので、勘でここを代弁者協会と断定したのであった。
「こんにちは。」と声をかけながら恐る恐る建物のドアを開けてみる。
すると、「はい。」という声が聞こえ、その声の出所を見ると、受付の人らしき女の人が少し距離のある位置に座っていた。
「ここは代弁者協会であっていますか?」
「あっていますよ。何かご用でしょうか?」
「あ、はい。僕はアシュルといいます。ネフィスさんという方にお会いしたいのですが。」
「はいはい。ちょっと待ってくださいね。」
どうやらここが代弁者協会ということで正解だったようだ。しかも教えてもらったネフィスという人物は実在している。
2、3分ほど、代弁者協会の入り口で待っていたところ、遠くから声がしてきた。
「君がアシュルかな?」
「は、はい。」
俺が声をかけてきた人物に目を向けると、40歳くらいの黒髪の男性が立っていた。いかにもインテリな人という印象だ。
「公証場のロレック氏から連絡があったんだ。アシュルという10歳くらいの少年がそちらに訪ねてくるだろうと。」
「そうだったんですね。」
「ロレック氏が言うには、才能のある子が代弁者を目指したがっていると。」
既にアレンから話が回っていたようだ。話が早くて助かる。
「立ち話はなんだから、奥の部屋どうぞ。」
そう言われたので、ネフィスの後についていき、入口から見えていた階段を登って建物の奥に向かった。
ネフィスは奥の部屋の前までくると、この部屋に入るようと案内された。
「さぁ座って座って。」
ちょうどよい高さの椅子が部屋に設置されていたので、俺は遠慮なく腰掛ける。
「早速だけど、君は代弁者について知りたくてここに来たということでよいかい。」
「はい、そうです。」
俺がそう答えると、ネフィスは代弁者と代弁者の組織である代弁者協会について早速語り始める。
「代弁者は、王国が社会の正義を実現するために設定している機関であり、平民の立場で王国内に存在する不均衡を是正するために存在している。」
ネフィスの説明では、代弁者は国家機関の一つであり、その代弁者の強制加入団体である代弁者協会である。
代弁者の仕事は、平民を代表して国家の意思決定に参画したり、平民に生じた紛争事に介入し、妥当な解決を目指す。公証場での仲裁にも立ち会うこともある。
つまり、知識に乏しい平民に正しい知識を助言し、ときには平民に代わり代弁をする役割を担うという仕事ということだ。
普段から、平民の声を吸い上げて、国王に陳情をするための陳情書を作ることもあるそうだ。
「なぜ王国は代弁者という機関を作ったのでしょうか。」
プリビレッジが特権階級として君臨する王国にとって代弁者はなぜ存在しているのか。ふとそんな疑問が出てくる。
この質問に対しても、ネフィスはわかりやすい答えをくれた。
「平民は500万人いるのだけど、プリビレッジはその1%、5万人くらいなんだよね。でもこの5万人には特権が与えられて、王国を支配しているという構造なんだ。だから、バランスを取るために代弁者という存在が必要になった。」
「つまり、平民のガス抜きのために存在しているということでしょうか・・・。」
「確かに、そうとも言えるね。平民の不満を溜めて置かないようにも、平民の声を代表する存在を作ったとも言える。」
このやり取りで代弁者という存在の表と裏が見えた気がする。代弁者といっても、所詮王国にとって都合のよい飾りのような存在なのか。
俺が少し落胆した表情をしたことを見かねてか、ネフィスはこう続ける。
「でもね、王国も代弁者を軽視することができない。なんせプリビレッジと平民の人口は100倍も差がある。いくら魔法の力で平民を抑えることができると言っても、平民が王国に完全にそっぽを向けば、王国は全く機能しなくなる。それにね、プリビレッジの中にも平民を対等な王国民として扱ってくれる人もいるんだよ。」
公証場で出会ったアレンのような人を念頭に言っているのかなと頭に浮かんだが、そのことをあえて声には出さなかった。
「少しずつ王国も変わってきているんだ。以前は平民に対する扱いは今よりひどいものだったからね。代弁者の力で王国を変えることができる。理想の世界は必ず実現できるんだ。」
ネフィスがそう力強く語り、自分の中にあった疑念が払拭された感覚があった。それもあってか、半ば無意識の中である言葉が漏れた。
「どうすれば僕も代弁者になることができますか?」
ネフィスはこの言葉を待ってましたとばかり、代弁者になる筋道を教えてくれる。
ネフィスによると、代弁者になるためには13歳になって職業見習いにならず、国家中枢養成学院という学校に通う必要がある。
学院はプリビレッジの子息が通うための学校であり、10歳から15歳までの5年間通うそうであるが、平民の子息であっても13歳から15歳までの2年間、学びの場を開放している。
その目的は、王国の要職に就くプリビレッジのアシスタントを平民から養成することが主なものであり、平民の中からも有能であれば適職が与えられることもある。
代弁者という仕事も学院を卒業した平民に対して、一つの選択肢となる仕事だそうだ。
なお、この学院は授業料が無料という話だ。それならば貧しい平民でも通うことができる。
ネフィスから丁寧な話を1時間程度聞いていたので、代弁者が何であるかということはある程度理解できた。
そして、この話は俺が代弁者を目指すに足る十分な、濃密なものであった。
代弁者、前世に近い職業を想像すると、弁護士や政治家がそれに近いだろうか。政治家はともかく弁護士という職業には確かな憧れを持っていた。
それもあってから、俺にとっては喉から手が出るほどの有益な話を得ることができたと感じた。
「最後に、君が13歳になって学院に入学するために重要なことは文字をしっかり習得していることだね。アシュルは今10歳だったね。2年以上時間があるから、よくよく勉強しておくように。」
学院に入学するために一つ助言を受けて、ネフィスとの対談は終了した。
この日、俺にはこの世界で自分の目指すべきものが明確となった。
俺は代弁者になって正義の実現を目指す。
俺の中で高揚感がしばらく消えることがなかった。
この日の夜、早速、家族に自分の思いを話そうと決意した。
膳は急げということわざがあるように。
家族との夕食後、いつものようにしばらく会話をしていた。
俺は話を切り出すタイミングを計っていたが、ここだという瞬間を見つけ、早速本題を話し始めることにした。
「父さん、母さん、僕は13歳になったら、国家中枢養成学院に通って、代弁者になりたいなと思っている。」
俺が意気揚々と話したのとは裏腹に、俺の唐突な発言に少し場の空気が変わったのを確かに感じた。
「アシュル、どういうことだ。代弁者?どうしていきなり・・・。」
トシュルは絶句した様子で、ナーディアもトシュルまではいかないものの驚きを隠せない表情であった。
この場にいる中でただ一人、カナディは俺の発言を聞いても特に表情や様子に変化を見せなかった。
「父さん、実は今日、代弁者協会で話を聞いてきたんだ。僕は代弁者になって、平民であっても生きやすい世界を実現したい。」
「いやいや、待て待て。代弁者ってのはプリビレッジの手先と変わらないぞ。必ずしも代弁者が平民のためになっているわけじゃないと。平民の中には代弁者に期待していない者も多い。」
「そんなことないよ!代弁者や協会は少しずつかもしれないけど、平民の立場をよくしているんだ。今日会った人は少なくとも信念をもっていたよ。」
トシュルが予想外に反対の意を示してきたため、俺はつい強い語気で反論してしまった。
その後は、このような押し問答がしばらく続いた。
しかし、突如カナディが意を介さないで会話に加わってくる。
「私、アシュルのこと応援するよ。アシュルなら代弁者としてすごいことしてくれると思う。」
カナディが俺の目をしっかり見てこう力強く言う。
カナディから予想外の発言がでたおかげで、トシュルの口が止まる。
「アシュルも世の中のことを少しずつ理解していくはずだから。」
「まぁいい。まだ10歳だ。じっくり考えてみなさい。」
ナーディアが落ち着いた声でこう述べたため、トシュルもこれに続けて、この話題はもうおしまいとばかりに話を切り上げた。
代弁者、俺がこの世界で初めて明確にもった目標である。
思えば平民として生まれて、まともな教育も受けることができず、世の中のことにあまりにも無知であった。
そんな中、公証場での出来事が起き、そして、このような出会いがあった。何か運命的なものすら感じる。
おそらく今の気持ちは変わることはないだろう。
明日からはただ目標に向かってがむしゃらに進んでいく。
俺にとってそれが「現在を生きる」ということにつながるはずだから。
終
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