第1部 学院編

第1話 生誕


長い間、暗闇の中を彷徨っていた気がする。

だが、先ほどまでは体の感覚がなかったのに、今はそれがある。

それに光のようなものを感じる。


俺は目をそっと開いてみると、目に映るのは薄汚れた茶色の天井。

素直に考えれば、俺は部屋の中で仰向けになっている状態ということなのだろうか。

だが、体がうまく動かせない。首を左右に触れる程度の動きくらいしかできない。


動きづらい中、改めて頭を動かして部屋を見渡すと、俺がいるのは6畳程度の広さの部屋であることに気付いた。

部屋には布団らしきものが3枚並んでいる。だが、人の姿はない。寝室らしき部屋で一人寝ていたということなのだろうか。


部屋の全体は明らかに現代的な建物ではなく、かなり古風な印象。

ガラスの窓ではなく、木造式で開閉するタイプである。また、建物にセメントが全く使われておらず、純粋に木造のみで建てられており、なんだか脆そうな建物だ。


この造りから想像すると、下手をすれば江戸時代くらいの建物と思わせるほどだった。

とても現代の建物とは思えない。


それよりも、ここがどこなのか、今自分の置かれた状況を把握しなければ。なんとかここから移動したい。


そう思い、頑張って手足を動かしてみる。

すると、俺は衝撃的な事実に気づくことになった。


目に映る腕も手の平もあまりにも小ぶりだ。まるで赤子と変わらないサイズ。


もしかして、俺は赤子になってしまったのか!?


これは悪い夢か幻なのか。

俺はしばらくこの状況に頭が真っ白になってしまった。


それでも頭の中で、この状況が現実でない根拠を探して自分を落ち着かせようと試みたが、

非現実的なものとはとても思えない。五感で感じるものがあまりにリアルすぎる。


俺はこの現実を受け入れられず、しばらくの間呆然としていたが、何やら人の声が近づいてくることに気付いた。


「あらら、アシュルもう起きちゃったの?お腹すいてないですかー?」


俺の目には金髪の女性の姿が映る。目の色が青く、少なくとも日本人でないことは一目瞭然だ。

勝手な先入観もあるが、肌も白いし、スウェーデンかフィンランドあたりの人と予想する。


「いないいないばー。」


女性の言っていることがさっぱり分からない。一体何語で話しかけているんだ。せめて英語で話してほしい。そう頭の中で考えるが、自分の口からは言葉を発することが難しい。


一つ分かったことは、女性の挙動で分かるのは明らかに俺があやされているということだ。


しばらく女性が俺をあやしていると、今度は男性が俺の元にやってきた。

女性と同じく金髪で目の色が青色だ。女性と同じ国の人であることはすぐに分かる。


外見からして二人共25歳くらいに見える。二人の様子を見る限り、仲睦まじい感じだ。

まるで若夫婦のような間柄。


この状況を客観的に見ると、俺は彼らの子供ということか?

ということは、もしかすると、ここは来世であり、俺は子供として生まれ変わったということなのか!?

さすがにこの状況はあまりにも奇異で、頭が追いついて来ない。


俺がしばらく固まっていると、さらにもう一人誰か、俺の元にやってきたようだ。

小さな女の子、3歳くらいだろうか。


「アシュル、アシュル・・・。」


その女の子は、必死に俺の頬に手を伸ばして触ってくる。先ほどの男性と女性はそんな女の子の姿を微笑ましく眺めていた。

もうここまでくれば簡単だ。彼女は俺のお姉ちゃんということだ。


なるほど、俺は4人家族の男児として生まれたという設定なのか。

まさか、本当に違う人生を与えられることになるなんて・・・。


いや、待てよ。そもそも赤子である俺が男に生まれているとは限らない。

仮に女に生まれたとすると、その意味でも全く違う人生の第一歩に立っているという話になる。それならば案外面白いかも。


意外な着眼点に、自分なりに面白さを見つけようとしたのかもしれない。

俺はどうせなら自分が女であってほしいと祈った。


だが、そんな淡い期待はすぐにたち消えることになった。

赤子なのでお蒸らしをしてしまうのだが、その際、母親らしき女性が下着を交換してくれた。

その際、俺は自分にアレがちゃんとついていることを認識した。


やっぱり男か・・・。

あっけなく突発的にできた希望が打ち砕かれる。


ただ、自暴自棄的に抱いた希望であり、正直、自分が女であると想像が全くできなかったのでほっとした自分もいた。


いずれにせよ、これで俺が4人家族の長男として最近生まれたという事実が確定した。


この世界に目覚めた日も、なんやかんやで時が過ぎ、日が沈んでいく。

部屋が暗くなると、俺は改めて冷静となり、一人頭を整理していた。


あのとき、俺は落雷に遭い、死にそうになっていた。そう、結城佐久として。

だが、今の俺はどう考えても結城佐久の姿ではない。明らかに別の人間として生を新たに授かっている。


これは不思議なことであるが、不思議なことでもないとも思える。

なぜなら、人が死んだ場合、次にどのようになるのか科学的に証明されたことはないからである。

むしろ、様々な宗教では、魂は生きており、来世で別の人間として生まれ変わると説いていることも多い。現世で頑張れば、来世幸せになれますよと。

もちろん、そんなことは全く信じていなかったが、この現実をみると奇しくも来世があったということなのだろう。


だがここで一つ、どうしても理解ができない問題にぶつかる。

それは俺がどうして結城佐久としての記憶を鮮明に持ったまま、別の人格として生まれ変わっているのかという点だ。


これはどういう意味を持つのだろうか。

どう考えても、前世の記憶を保持していることは異常なことである。

前世において、それよりも前世の記憶を持っていた人間なんて聞いたこともないし、俺自身もそんなことはなかった。


仮に前世においてそんな人間が大勢いた場合、前世とさらに前世との間で歴史の連続性が維持され、また、それにより歪みを生じさせる可能性が高い。

例えば、前世で奴隷に生まれていたが、来世では王様に生まれていた場合、その王様は前世の記憶を元に、自分に仕打ちをした末裔を徹底的に根絶やしにすることだろう。


つまり、前世の記憶が残っている者だらけの世界では、新しい秩序というのものは成立しないのだ。

そして、それがたとえ前世の記憶を保持する者が一人だけであっても、同様の懸念は否定できない。


以上から、俺が前世の記憶を保持しているという事実は、極めて異常なことである可能性が高く、これが知れてしまうと、この世界の人々から異端者扱いされるおそれが高い。

権力者の立場からすれば、理を壊す危険因子なぞ、抹殺したくなるはずだ。


したがって、俺は前世の記憶の存在を絶対に口外してはならないという結論を導いたのであった。



目覚めてから1週間ほどが経過した。

相変わらず、赤子では何もできない状態であることに変わりなく、ただ暇を持て余していた。


あまりにも退屈だったので、毎日窓から見える空の様子をみたり、ひたすら時を数えていた。


昼には太陽が照らし、夜には太陽が沈んでいることは変わらない。

季節的要因があるのかもしれないが、日の出の時間は長く、一日の60%程度の時間は外が明るい。

だが、夜になっても月が出ることはなく、月明かりがないため、外は異常に暗い。その代わり、星は空にたくさん広がり、綺麗だった。


また、この世界はどうやら1日が22時間で繰り返されているようだ。明らかに地球の自転とは異なることが分かった。


つまり、ここは地球と異なる惑星の可能性があるということだ。

空を観察している限り、宇宙のどこかの惑星であることに間違いないが、この宇宙に地球と異なる、人間が生存できる惑星があったことには正直驚く。


自分が地球人ではないという事実にはショックもあったが、家族を見る限り、地球人と身体的特徴に違いがなさそうなので、もはやそういうものだと受け入れる他ないだろう。


俺の家族のことであるが、父親はおそらくトシュルという名前で、母親はナーディアという名前だ。この一週間でお互いそういう言葉で呼び合っており、これが名前であると断定した。

また、姉はカナディという名前だと思われる。


ここまでの一週間は、母であるナーディアを中心に俺のことをとても気にかけて世話をしてくれている。

短い期間ではあるが、家族からの愛情をしっかり感じている。

前世では親からの愛情を感じたことがなかったことを踏まえると、この家に生まれ変われてラッキーだったと思うくらい少しポジティブになっていた。


こうして、結城佐久の最後の願いはこのような形で叶ってしまった。


せっかくここで生まれ変わることができたのだ。

今度こそ俺はこの世界で、この家族とともに後悔のない人生を送りたい。生まれてたった一週間程度であるが、そう前向きだ。

俺が前世での失敗の記憶を保持していることは強みと考えることにする。


全く未知の世界であるが、果たして俺にどのような運命が待っているのだろうか。なんだか楽しみになってきた。



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