第1話 はじめて恋を殺した日

「うん、これからもよろしくね!」


誤魔化すように笑った。他の人にするよりずっと上手く。いつもの私みたいに。

こいつにはきっともう、私の気持ちなんて見抜けない。

それほど希薄になってしまった。ただの幼馴染。


だから笑った。なんでもないように。

また明日ねと手を振ったいつかのように、手を振った。背を向けて歩き出す。


そのまま待っていた由美ちゃんと綾のもとに行ってやっぱり笑った。


「ダメだったよ!」


そんな私の笑みを見て、彼よりずっと付き合いの短い友人は痛そうに顔を歪めて私を抱きしめた。泣けばいいとも、何も言われなかった。

心が自分のものじゃないみたいに平穏で、信じられないくらいに痛くなくて、まるで何事もなかったかのように。そんな私の心を代わりに由美ちゃんは抱きしめた。


そんな私たちをいつもクールな幼馴染がいつものように見ていた。でも長年の付き合いでわかる。不器用ででも確かに私を大切にしてくれている彼女は言葉を探して、私の笑顔を見て、ただ自分はいつものようにするのが最適だと判断したのだと。そんなわかりあった関係が心地よくて、苦しかった。


じゃあ帰ろうと笑いかけると由美ちゃんは私の顔を見てから、心配そうに背を向けた。その後ろ姿を追って、綾の方を振り向くと、いつものように言った。


「バスの時間何時?」



あの時私はぼんやりと思った。家に帰ったら泣くのだろうな。苦しくて苦しくて、惨めに泣き叫ぶんだろうな。そう思って帰ったのに、涙は一滴も出なくて、自分が恋をしていたのかも失恋しているのかも、夜が耽るにつれて見失った。

7年も好きだった男に振られた夜にしては、あまりにいつも通りだった。


LINEがなる。彼から珍しく連絡が来る。

電話したいなんて、今まで言われたことがあっただろうか。

軽率に喜ぶ自分がいる。いいよと珍しく優しく文を送った。


「どうしたの?」


いつもと変わらない声で聞くと、彼の後ろから車の過ぎ去る音が聞こえる。外らしい。そういえばあの後遊びに行ってたもんな、なんかあったのかな、と考える。


「ちゃんと話、したくて。おれテンパってちゃんと話せなかったから」


不安そうに言う情けない声に、らしいな。と思った。

真面目で律儀で、変なところが馬鹿みたいに優しい。私の好きな人。

疲れてるのに、別に放っておいたって、無視したりなんてしないのに。

なのにちゃんと私と話そうとしてくれる、私が離れて行かないようにしてくれる。大切な幼馴染だから。ずっとそばにいたから。それだけの理由で。

だからあんたはいつか女に刺されるって言ってるのよ、と説教じみたことを思う。大切にされている。そうわかるから辛かった。


この人が私に求めているのは恋じゃない。恋人とは違う。でもちゃんと特別。

振られるなら、普通の友達でいいのに。ちゃんと大切にしてくれているから。


全身が叫びたかった。やっぱり大好きだよって身体中が言ってる。

でも違う、それは言ってはいけない。


この特別を失いたくないのなら、この場所においてくれるのなら、

この恋はここで捨てろ。悟られるな、これからもそばにいたいなら。

恋することをやめるんだ。


「何それ、真面目か笑」


可愛げのないいつも通りの私。彼が少し電話口で笑ったのがわかった。

大丈夫。私はこの関係を選ぶ。この関係を選べる。ちゃんといつか捨てられる。いつか、この恋を笑って振り返る日が来る。だから今は、殺す。この気持ちを。



忘れもしない、高校3年生の夏。蝉がなり静まった夏の終わりに、恋心を殺した。



はじめて明確に恋を殺した日。

自分はうまく恋を殺せるのだと知ってしまった日。

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