第27話 祈り

 ……ああ、そうか。


 少年は自分の中に残っている力を言葉に乗せて、ソレらを呼ぶ。

 ソレらは既に人間だったモノでしかないが、それでも間違いなく人間として生きていた。その今わの際の嘆きと叫びが積み重なり、人間達の信仰をもって形を得た。

 少年と混同した信仰ではあったが、間違いなくソレに対する祈りも込められていた。


 ——どうかその怒りを鎮めて下さい。


 ——どうかその加護をお与えください。


 少年への祈りと、見当違いの告解。

 少年を閉じ込めて、その加護を独り占めにした事への謝罪。

 けれど少年は怒ってなどいない。

 故に、それは見当違いであり、土砂崩れは祟りなどではなく、ただの自然災害——もしかしたら、少年を閉じ込めた事を見咎めたモノがいたかもしれない——少年の与り知らぬところで起きた事象だった。


 故に、少年にはどうする事も出来ない。

 贄など求めていない。

 閉じ込められ、歪んだ信仰を向けられた少年は、どんどん曖昧になっていき、力を失ってしまった。


——そんな少年に、ソレらは救いを求めている。


「……おいで」


 かつて人間だったモノ達が、救いを求めて手を伸ばしてくる。どうする事も出来ない自分に向けられる叫びを少年は静かに受けとめる。


 ……ああ、すまない。


「動くな」


 ……私には、お前体を救ってやれない。


 目の前にいたソレらが少年の声を聞く。自分達に干渉してくる言葉が酷く甘く、その誘惑に耐える事などソレらには出来ない。自分達の求める者の声の強制力が彼らを縛り付ける。


 部屋を逃げ出していく人間達の背を見送りながら、少年は彼らの無事を祈る。


 ——かつて少年が皆の平穏と幸せを祈り続けていた様に。


 人間達は少年を置き去りにする事に、酷い罪悪感と出来れば助かって欲しいと思っている様だった。

 以前にすれ違った少女が辛そうに口を引き結び、それでも強い意志を宿した瞳を揺らしながら、少年の無事を祈っている。

 その後に続く灰色の髪の男が、少年を置いていく事に罪悪感と無力感に苛まれながら、それでも僅かにある可能性に賭けて、少年に生末を少しでも良きものにと祈っている。


 ……ああ、そうか。皆は私の幸せを祈っていてくれたのか。


 かつての村で過ごした人間達。共に遊んだ妾の子やその子ら。鍵を届けてくれた使用人。

 彼らは自分の幸せを願っていてくれた事に、少年は漸く気が付いた。


 灰色の髪の男の目を見ていると、不思議な気持ちになる。

 忘れていた事を思い出し、自分が見失っていたモノを気付かせてくれる。


 ……ならば、最後の瞬間まで、抗わなければ。


 ……それを彼らが望むのであれば、それを叶えなければ。


 ——少年はそういうモノなのだから。


 少年は手に持っていた脇差の柄を強く握りしめ、自分に縋りつくソレらを見下ろす。ソレらは身勝手な感情を少年に押し付けて、彼がそれに応えてくれない事に怒りと悲しみを覚えている。

 自分達を救ってくれないのであれば、自分達の願いを叶えないモノなどいらないと、少年へと負の感情をぶつけようとする。

 それは純然たる八つ当たりであり、その怒りを向けるべき相手は他に居る。けれどもソレらは、訳も分からぬまま此処へと放り込まれた。当たるべき相手を知らないソレらは、目の前に居る少年へと縋りつき、助けを請い、許しを請い、嘆き叫び声を上げる。


「——すまない。私には既に人ではない、お前たちの願いを叶えてはやれない。……だが……せめて、生きている彼らの願いぐらいは聞いてやりたい」


 人の姿形をして、人の言葉を話すだけの、得体の知れない相手を心配するほどに、人の良い人間達。


 少年の弱々しい拘束から逃れる事は、そう難しくはなかった。目の前に居る少年を自らの一部にするべく食らいつこうとするが、大きく開いた顎が金属の刃で貫かれ、強制的に閉じさせられてしまう。


 基本的にソレらは人間の形をしているが故に、人間の形をしていなければ依り代として扱えない。

 殴ったり切ったりする事で、攻撃されて傷を負ったと認識させる事で一時的に機能が停止する。けれど、あくまで一時的なもので、損傷したとしても儀式が終われば取り込まれた時の状態へと戻っていく。

 彼らは既に生きていない故に、痛みも感じない筈だというのに、それでも傷という物は彼らを縛り続ける。


 少年は両手で持った刀を引き抜き、刃の向きを変えて、下から切り上げて伸ばされていた腕を数本切り飛ばす。

 緩んだ拘束の隙間で強引に体の向きを変えて、傍に居たソレの喉元を貫く。一体目を貫いた刃が、そのまま背後のもう一体の肩に刺さったが、少年は構うことなく刃が刺さったソレの体を蹴飛ばして、力づくで刃を引き抜いた。


 少年の視界の隅で、生きた人間が部屋から逃げ出していく様子がちらりと見えたが、この部屋に居るモノ達は少年の声に呼ばれたために、逃げていく人間には気が付かない。

 一人でも多く、ソレらを機能停止に追い込むために、少年は刀を振るい続けた。



 アリスと少女は一旦、彼らが止まっていた部屋へと戻っていた。

 本来であれば真っ直ぐに三階のスイートルームへと向かうべきなのだろうが、既にホテル中に得体の知れないモノ達が散っているようで、三階にもそれなりの数がいる様だっため、闇雲に突っ込んでも捕まるだけだと判断した。

 けれど、元々より、一度部屋に寄らなければいけない事情があった。


「——何か知っているならば、説明が欲しいのだが」


 誰も居ない部屋へ戻ってきたアリスは、共に行動している少女と正面から向き合い、とあることを問いかけていた。当の少女はばつが悪そうに視線をそらして、重ねた指を動かしながらどう答えるべきかと思案している。こういう時に誤魔化すのが下手なのは昔から変わらないなと、アリスは小さくため息を吐いた。


「私の事を心配してくれているのは分かる。だが、流石に私でも何となく、妙だとは思っていた。けれど、元はと言えば私がプレイオープンに参加などしなければ……」


「——それは違います」


 アリスが苦しそうに顔をするのを見て、少女は即座に彼の言葉を否定する。それは力強く後ろめたさなど何もなく、本当にアリスの責任など何もないのだと訴えてくる。


「此処に来ることを選んだのは私達です。決して叔父様のせいではありません。それに——今となっては正しい判断だったと思っています」


 自分のしている事は間違っていないと、少女の真っ直ぐの瞳が訴えてくる。けれどアリスには、姪が無茶をしなければいけない原因が、自分である事が痛いほど分かっていた。


「……私は、それほどに頼りないか?」


 アリスは頼りない姿見せまいと笑みを浮かべようとしたが、眉を下げて口元を歪めているようにしか見えず、酷く痛々しい。少女はそんな表情を自分がさせてしまっているのかと思うと、心がズキズキと鈍い痛みを訴えてくる。

 少女自身、早かれ遅かれ事の次第を話さなければならないとは思っていた。けれど彼女一人で判断して良いものなのかと迷ってしまう。

 だが、これ以上の隠し立てはアリスを傷つけるだけになる。そもそもこのホテルに閉じ込められた段階で話すべきだったのではと、過去にした自分の判断に疑問を持ってしまう。


 ……今回事に関しては、私の勝手な判断という事にしよう。


 どっちにしろ話さなければいけなくなるのだから、優しい嘘よりも厳しい真実の方がアリスにも必要だろう。今までもぎりぎり乗り越えてきたのだから、アリスが今回も乗り越えてくれることを祈りつつ、少女は口を開く事にした。


「——時間がないので端的に話しますと、——二日目の夜に、ホテルマンをスイートルームに閉じ込めました」


「……ああ、やはりそうか……」


 少女の告解に対して、アリスは安堵しながら寂しそうに笑った。真実の一端を告げられた事への喜びと、予想通りの答えに悲しくなった。


「原因は、私を狙っていたからか……?」


 ホテルマンに押し倒された時から、薄々そうではないのかと考えてはいたために、アリスはそれを事実として淡々と受け入れる。


「——そうです。二日目の夜に、叔父様が少しだけ読書室にお出かけになられた際に、彼が叔父様の後をつけていましたので」


 それでいうのであれば、少女もアリスの行動を見張っていたという事になるのであろうが、その理由は察しがつく。


「……最初に出会った時から、彼——ホテルマンに目を付けられていたという事か?」


 アリスは読書室から本を借りようと思い、内線でスタッフを呼ぶか、貸し出しの許可を貰おうとしたのだが、タイミングよく、かのホテルマンが声をかけてきたので止めた事があった。たまたま読書室に寄ったわけではなく、単純にアリスの後をつけていただけだったようだ。


「……私は、彼に目を付けられるような行動をしただろうか?」


「いえ。一般的な優良の客としての対応だったと思います。スタッフへの対応は皆似た物だったと思いますし、過剰に反応を示したのは彼だけですね」


 少なくとも、今まではこの対応で初対面の相手から目を付けられる事は無かったので油断をしていた事は否めない。それでも信頼する少女が悩む素振りも見せず、アリスはおかしなことはしていないと、即答してくれることが酷く嬉しい。


「叔父様。それに関しては、確実に相手が悪いです。もとより、そういう質だったのだと思います。……彼の性癖にはまってしまったのは、運が悪いとしか」


 少なくとも、今まではある程度は顔見知りの人間相手だったというのに、会って数分足らずで目を付けられた事は無かった。


「……勝手な判断をしたとは思いますが、叔父様を思っての事ですので、叱らないでいただけるとありがたいです。——自己判断が過ぎるとは思いますが」


 目を伏せてもう訳なさそうする少女を𠮟りつける気には到底なれず、アリスは小さくため息を吐いて感情を収めた。


「どうも、叔父様を捕まえて、外へ連れ出そうとしていたようです。——確実にスタッフ達は事の次第を知っていたと思います。だからこそ、閉じ込められる前に叔父様をこのホテルから連れ出そうとした」


「……連れ出した後、どうするつもりだったのかは知りたくないがな」


 行きつく先は別の地獄でしかなかった事が容易に想像できる。アリスからすれば五十歩百歩でしかない。


「とりあえず背後から忍び寄って昏倒させて、人目の付かない場所に運び隠した、という次第です。叔父様しか目に入っておらず、簡単でした。運搬方法もお聞きになりたいですか?」


 多少は気にはなりはするが、今はそこに大した意味はないので、アリスは軽い頭痛を覚えながらも流す事にした。後に気になって聞くかもしれないが、その時はその時だ。


「十一時を超えてすぐに、スタッフ達は早々に退去したようです。彼の事も姿が見えないので探しはしたようですが、あまり猶予が無かったのだと思います。彼らも巻き込まれたくはなかったでしょうし」


 一応は消灯は十一時という事になっており、それ以降は基本的には部屋からの外出はしないようにと言われていた。用事がある時は内線を使って用事を頼むようにと。


「——これは私見なのですが、おそらくアレらは人の形をしていない物——おそらくは激しい損傷をしたモノは使えないのではないかと。襲ってきたモノ達は多少の怪我の跡のようなものはあれど、五体満足に見えました」


 アリスは少女の指摘にはっとして、確かに言われてみれば襲ってきたモノ達は、動きが緩慢なことを除けば人間の動きをしていた事を思い出す。どこぞのホラーの様に四つん這いや這いずったり、ブリッチの体勢で移動している者はいなかった。

 異形の怪物も怖いが、人間の形を有したモノには、生理的な嫌悪感を感じてしまう。これは未知のモノへの恐怖と、同族嫌悪の様なものなのだろう。幽霊もそうだが、結局は人間は、人間——かつて人間だったモノが一番怖いのだ。


「——死んで直ぐは出血をするのだろうな」


 実際に『F』の体からは包丁が突き立てられて出血していた。


 ……そもそも『F』を刺したのは誰だったのだろう?


 アレらの動きを見る限り、道具の類を使う事はしていないように見える。そもそも人間を害するのであれば武器を使った方が効率が良い。

 そんな事を考えていたアリスは、そういえば少年が取り込まれてすぐは、人間としての個性の様なものが残っていて、本人のふりをして近づいてくるという趣旨の事を話していたのを思い出した。ならば道具を使うという当たり前の行動をしてもおかしくはない。ならば『F』を刺したのは『G』の連れの一人であり、先にやられたのは彼だろうと思い至る。


 ……そうなると取り込まれた直後が一番厄介なのではないだろうか。


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