第28話 期待
『C』と『D』の二人はこそこそと忍び歩きして、角や障害物に当たる度にそっと先を覗き、ソレらがよそ見をしている瞬間を狙って素早く通り過ぎるのを繰り返しながら、少しずつ移動していた。
ソレらは反応速度はかなり鈍い様で、物音がしてから反応して振り返るまでのずれがあり、よほど近いか、正面から捉えられなければそう怯える事も無い。
『C』は試しに物陰から物を投げて、わざと音で注意を引いてみたのだが、床のカーペットの上に落ちて音がしてからゆっくりと振り向く。個体によっては様子を見に近づいては来るが、床に落ちている音の発生源を確認すると、すぐに興味を失くして別の場所へと歩いていく。
何故、物がそこに落ちているのか?という疑問を持たないようで、音の正体を確かめて、それが生きた人間でないのならどうでもいい、といった風な反応を見せる。
常にうろうろと周囲を動き回っているので、前ばかり注意していて、うっかりと後ろから発見されるという事態には気を付けなければいけないが、幸いにも二人いるのでお互いが前後をそれぞれ注視して、異変があればすぐに知らせて近くの物陰に隠れればいい。
問題なのは二階から。二階の客室は全てオートロックになっているので、マスターキーを持たない二人は入る事が出来ない。一階の施設の大半が開錠されているので、咄嗟に隠れる場所には事欠かない。
ソレらは扉を開いて中に入って来る事はあるが、ざっと見渡して立ち去っていく。まるで警備員の巡回の様で、明らかな異変がない限りは通り過ぎるかすぐに立ち去ってくれる。
「本当に御座なりな仕事っていうか、やる気の欠片も見られないな」
「いやいや。あいつらにやる気があったらこっちが困るでしょ」
「なんかとりあえずしておけばいいっていう、お役所仕事っていう感じに見える」
「……役所の公務員さん達は、もう少しやる気があると思う。少なくともあんな死んだ魚の様な目をしているのに、硝子玉みたいに澄んだ目はしていないと思う。もう少し、日常に潤いとやる気を持って仕事をしていると思う」
『C』がソレらの御座なりの仕事風景にケチをつけたので、『D』は思わず突っ込みを入れてしまう。少なくともやる気のある公務員だっているし、あんなゾンビ擬きと一緒にされるのは嫌なはずだ。
極度の緊張感で場が張り詰めた状態が続いているので、『C』なりに空気を良くしようと軽口を叩いたつもりなのだが、何故かお役所批判になってしまった事に反省をしつつも、確かに生きる屍扱いは失礼かなと思ったりもした。
「……首を切られると困るのは、何処も一緒だけどね」
どうも首を落としでもしない限りは動き続ける様なので、まさにゾンビの様だと『D』が皮肉を口にする。
「まあ、自営業はその心配がないからね。それはそれの苦労があるだろうけど」
どうやら『D』の口にした、ソレらの首を落とせば動かなくなる事と、仕事のクビになると困るという話をかけている事に気付いたらしい『C』が、それに応えてくれる。
二人は極力話さない方が良いと分かってはいるが、この薄暗く古びた雰囲気の洋館で、無言でい続けるという苦行には耐えられそうもない。ただでさえ言葉の通じない、得体の知れない生き物がうようよといるのだ。どこか遠くから聞こえる物音さえも過剰に反応してしまい、神経をすり減らしていくぐらいなら、視覚に頼って精神的摩耗を減らした方が建設的だと判断した。
幸いにも毛の長いカーペットが足音を吸収してくれるので、そこまで音が響かない事に感謝をしてしまう。
「……そういえば、『C』さんに、似顔絵を描いてもらいたいと思っていたんだよね」
さすがに正面玄関を横切って、二階へと上がるのは少々きついかと考え、スタッフ用の階段があった事を思い出してそちらに向かっている最中に、『D』が突然ポロリと呟いた。
空間が広く回避する余裕がある正面階段の方が良いかもしれない、とりあえず確認して見てからと、会話しながら今後の予定を立てていた『C』は、びっくりして後ろに居る『D』の方を振り返った。
思ったよりも顔の位置が近く、『C』は狼狽しながら後退して距離をとる。『D』の方も話が絶えないようにと、何となく頭に浮かんだ事を言っただけだったので、彼の大袈裟な反応に驚いてしまった。
一瞬の間が酷く気まずくて、『C』は頭を掻きながら再び進行方向へと向き直る。
「……ごめん。随分と唐突だったからびっくりした」
「あー……、私の方こそ、変な事言ってごめん。そんな場合じゃなかった」
『D』としては本当に何となく言った台詞だったのだが、よくよく考えてみると、『C』は自分の絵に自信が無いという趣旨の発言をしていた事を思い出した。
特殊技能や資格は就職にも有利ではあるが、芸術方面の技術は活かせる場所がそもそも少ないため、つぶしが利かない。特に絵や彫刻や音楽といった芸術家たちはそれが顕著だ。良い大学を出たとしても世間に認められなければ、それ一本でやっていくのは難しい。
そもそもスポーツなどは純粋に運動能力で分かりやすく点を出す事が出来るが、芸術は人の感性という曖昧なものに左右される。形のない個人的な好みや、それこそ運や人脈といったモノの影響が大きく、才能があってもそれを認めてもらう場所が与えられなければ、そのままその他大勢に紛れて終わってしまう。
もちろんスポーツだって運や人脈は大切だが、明確な目標があるので分かりやすい。人の心という、曖昧でころころと移り変わる不確かなものに頼るしかない。才能と努力だけではどうしようもない時が多い。
「……『D』さんは、正直な所、どう思った?上手いとか、綺麗だとか、そういう感想じゃなくてさ」
前の様子を窺いながら、何でも無い風を装って入るが、『C』は明らかに『D』からの反応を窺っているのが気配で分かった。
『D』は芸術方面にはとんと縁がなく、美術館にも友人との付き合いで数回行った事がある程度で、その時に展示されていた絵画達にはピンとくるものはなく、単純に「上手い」「綺麗」「凄い」「なにを書いているか分からない」という感想しか持てなかった。
そんな『D』には気の利いた言葉など思い浮かばない。だが、おそらく『C』が求めているのは、そういったモノではない気がした。それはすでにアリスが彼に伝えている。それを踏まえた上で『D』に、絵の素人に対して尋ねているのだ。
「——個人的な意見にはなるけれど、わたしは好きな画風だと思ったかな。なんていうか、描きたいものが分かりやすいというか……、どういう雰囲気を表現したいのかが伝わりやすいな、って思った」
『D』からすれば、意味の分からない線と図形の組み合わせよりも、ずっと『C』の描いた絵の方が、「ああ、なるほど」ととてもしっくりと来た。
アリスの言った「共感しやすい」という言葉の意味が良く分かる。
スケッチブックに何枚かあった『C』が書いた他の絵に、ホテル周りの景色らしきものがあったのだが、実物を見なくてもどういった雰囲気の漂う場所のなのかが容易に想像できる。
写真の様に忠実に再現しているわけでもないのに、その場で描いた時に感じた事が絵から伝わってくる。写真に写った風景だけでは伝わらない、香りや感触や作者の心の機微の様なモノが感じられる気がするのだ。
「……だからさ、『C』さんから見たわたしはどういう風に見えるのかなって、……気になった」
少年の似顔絵を見た時、綺麗で儚げで、けれど何か芯の様な強いモノを感じるとともに、おそらくは少年を直接見た『H』達が覚えたであろう、得体の知れない物への戸惑いや恐れも伝わってきた。
そして『C』が直接見たであろう『A』の人物画は、『D』が『A』を見かけた時に感じた雰囲気がそのまま描かれていて、すごく感心して、此処まで雰囲気まで忠実に再現できるのかと感動してしまったのだ。
……思えば、絵を見て感動したのはあれが初めてだった気がする。
「『A』さんの近寄りがたくて、いかめしい感じ?話しかけるな、ほっといてくれって雰囲気、わたしが見た時に感じたままだったから、すごくびっくりした」
自分が感じた感動をどうにかして伝えようと、『D』は自分の語彙を総動員をしたのだが、それを聞いた『C』は背中を向けたまま小さな笑い声をあげた。
「——オレが感じたのと同じ。正直言って、仲良くなれそうには無いなって思った」
「……まあ、そうだろうとは思う。『C』さんとは真逆の雰囲気だもんね」
「俺って、そんなにチャラく見える?」
そもそも初手でナンパしてきた事を都合よく忘れているのだろうかと、『D』は甚だ疑問に思ったが、そこは優しさで流してあげる事にする。
「今どきの若者、って感じ。少なくとも重みは感じない」
軽く見えると断言された『C』は「まあ、そうだろうな」と独り納得をしながら、いうべきか否か迷いながら一応は伝えておくことにする。
「なんか、死亡フラグに聞こえるけど……、——落ち着いて絵が描ける状態になったらね。今描いたら、ホラー一色の絵になりそう」
「あー……、どっかの顔の濃いホラー漫画みたいな絵になるか、どっかで見たおどろおどろしい絵になりそう」
昔どこかのホラー漫画で見た、絵画の中の人物が夜な夜な出てきて——みたいな想像をしてしまい、『D』は自分がホラーの題材になるのは勘弁して欲しいと思い、彼の意見に同意した。
『D』と手出来れば綺麗に描いてもらいたい。
そんな話をしながら進んでいるうちに、二階へと通じる階段の傍までやってきた。
「……何アレ」
『D』が思わず零した呟きに、『C』は首を縦に大きく振って同意をする。
階段の周りの廊下には、首が落とされたソレらが何体も転がり、壁には亀裂が入り、そこへ何かが刺さったのが一目で分かる。
動揺しながらも『C』は『D』に角で待つように伝えて、周囲を窺いながら先行をする。
床に倒れている遺体はどれも首が落とされ、近くに無造作に転がっている。『C』には生首をまじまじと観察する趣味は無いので、どうやら首が無い遺体は動き出さないようだと確認をしてから、少し離れている所に居る『D』の方を振り返って合図を送ろうとした。
——『D』の姿が見えない。
ついさっきまで角の所で後ろを窺っていた筈の『D』の姿が見えない事に気が付き、『C』はすぐさま踵を返してきた道を引き返す。
先ほど自分で言った言葉を反芻しながら、急いで角を曲がろうとすると、『D』の呻き声が聞こえた。
『C』の視界の中で『D』の背中がゆっくりと近づいてくる。異様に遅く感じる光景の中で、赤い液体が飛び散るのを見た。
『C』は訳も分からないまま反射的に動き、倒れ込む彼女の体を受け止める。ずっしりと一気にかかった重みによろめきながらも、『D』の体をしっかりと受け止めて、彼女の顔を覗き込む。
「——っ」
喉の奥から声にならない悲鳴が零ぼれたが、『C』にはそんな事に気を回す余裕などない。目の前にある光景を、視覚情報として脳が必死に処理しようとするが、急激にかかった負荷に追いつかない。
ついさっきまで話していた『D』の口から、血が溢れて零れ落ちていき、赤い線を幾つも彼女の肌に引いていく。『C』が滴る血を目で追うと、左胸から斜めに裂け、服と肌が破れた間から、とめどなく鮮やかな血が溢れている。
『D』の体を抱えたまま、『C』は床へと座り込む。
『D』の口が震えて空気と共に血が零れ、彼女の目が僅かに動いて『C』の顔へと向けられる。
溢れ出た鮮血が華奢な体を伝い、真っ赤に染まった布はそれ以上は受け止めきれずに、下へと滴り落ちていく。
『C』はとっさに出血を止めようと、背後から回した左手で傷口を押さえるが、彼の手では縦に長い傷口を押さえるには足りない。右手でも抑えるが、血が止まる様子は全くない。
……血液とはこんなにもさらさらと流れていくモノだったのだろうか。
『C』後のイメージは鮮やかな赤色、温かい、鉄臭い、少しドロッとしている。血液は空気に触れると凝固して、傷口を塞ぐ働きがあった筈なのだが、血は固まるどころか絶え間なく溢れ出て零れ落ちていく。
『C』は目の前の光景に囚われて、 他の者へ意識を向ける余裕がない。何とか『血を止めようと、彼は必死に背後から彼女の体を抱きしめる様にして傷口を押さえている。
誰かが片手にぶら下げた斧を揺らしながら、『C』へとゆっくりと近づく。俯いている『C』を見下ろしながら、血まみれの斧を両手で握りしめ、両足でしっかりと体を支える。
ようやくこの場に居る誰かの気配に気が付いた『C』は呆然とした表情のまま顔を上げた。
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