第24話 郷愁
少年が意識を持った時、気が付けばそこに居た。
どこかの屋敷のにある離れの中。周りにいる人間達は彼の事を敬ってくれたし、お供え物を毎日に欠かさず持って来てくれた。
お供え物の食べ物は何処で採れたものか、何処で作られて、何処を経由してこの屋敷に運ばれてきたか。今日の天気はどのようなものか、どんな季節か、どんな年だったか。
決まり事で顔を見せる事も名前を名乗る事も出来ないけれど、少年は気配だけで彼らを判別が出来ていたので問題は無かった。
少年が暇をしないようにと、書物を手に入れてくれた。お手玉やあやとり、時には皆でかるたや百人一首や花札、将棋や碁を指す事もあった。
少年はその屋敷から出ることは出来なかった。その屋敷が彼の社であったから。
彼の知覚する範囲にある村や集落に何か危険が近づけば備えるように伝え、悪いモノが来ない様にと力を使って方向を逸らし、適度な日照や雨が来るように誘導する。
少年は所詮は形を持った末席のモノ。大がかりな奇跡など起こせない。だから時間をかけて少しずつ干渉をして、必要ならば人間達に忠告をして備えさせることで、平穏な日常を維持し続けていた。
——少なくともそこに居た人間達は、少年がどういった類のモノかを理解していた。
ある時この周辺の村が戦火に呑まれた。
少年にはどうしようもない、人間の世の時勢の流れ。少年はその事を伝えて備えさせ、いざという時は避難し、別に土地で生きていけるようにと。
——少年は逃げられない。少年は此処にしかいられない。
そんな少年を哀れに思った者達が、最後の時を少年の供にする事にした。「何故逃げない?」と尋ねる少年に、「貴方様と同じでございます。私共には、此処から離れて生きていくだけの力が、もうありませぬ」と、かつて子供だった人間が教えてくれた。確かその人間は、俊敏な動きで手を伸ばし、札を取るのが上手かった。
……人間でも、どこにも行けない者もいるのか。
やがて見知らぬ人間達がやって来て、屋敷はその人間達の所有物となった頃には、少年が知る人間は誰も居なくなっていた。
彼らは少年がどういったモノなのか、人を介して知ったらしい。人の口に戸は立てられぬという諺があったなと、少年は他人事の様に思った。
少年が居るだけでも、ある程度の加護がその土地に与えられる。以前ほどではないにしろ、手順通りに祭れば少年は在り続ける。そこには少年の意思など無い。彼はそういうモノなのだから。
時折災害に見舞われる事もあったが、周りの地域に比べれば随分とマシで、周辺の農業が不作の年でも、豊作とまではいかないが食うに困らない十分な量が実る。
ある時少年の屋敷に一人の子供が迷い込んできた。その幼子は妾の子で、念のための予備として育てられていた。おそらくは寂しかったのだろう。少年の元をこっそりと訪れるようになった。
部屋の押し入れにしまい込んでいたおもちゃを取り出して、かつて少年がそうされたように幼子に遊びを、文字を知識を与えた。
その土地で疫病が流行った時、屋敷の人間は他に比べて病にかかるものが少なかった。それでも本妻の子供は駄目だったらしい。
幼子は病なんて何のそのとばかりに、毎日のように少年の元を訪れていた。
やがて幼子は大人になり、屋敷の跡目を継いだ。良き当主となり、暇を見ては少年の元を訪れてくれた。
それから数代ほど人が変わり、跡目争いが起こった。跡目を継いだ男は欲に塗れたぼんくらで、暫くして家業を駄目にして、それをどこかの華族が購入した。
少年はこの屋敷から動けない。けれど屋敷の体を保っているのであれば、屋敷の改築も建て増しも可能だ。少しずつ手を入れて、屋敷の建材を入れ替えていき、終わった頃には、洋風建築の屋敷の地下にある広く豪華な座敷牢に閉じ込められた。
閉じ込めた事で少年の力はさらに弱まった。閉じ込めるという行為が、少年の力を屋敷の中へと押し込めた。
それでもその家族の家は商売で成功し、栄華を極めていった。
ある時嵐がこの土地を襲い、川の上流の山が崩れて土砂が屋敷を襲った。不思議と屋敷本体には殆ど損傷はなく、建物は全てそのままの形で土の下へと埋まった。
都会から遠い地方に建ち、生活するには不便な屋敷は家族の避暑地の別荘として利用されていたため、最低限の使用人しかおらず被害は最小限ではあった。
少年は微睡みの中で救いを求める声を聞いて、それに応えるために目を覚ますと、座敷牢の前で人間が一人倒れていた。
この屋敷の近くにある集落から奉公していた人間だった。
少年の事を後ろめたいからか、誰かに奪われないためか、此処を訪れる人間の数は限られており、その中でも献身的に少年の世話を焼いてくれた人間だった。
確か弟と妹が沢山いて、自分がしっかりと稼いでいい学校へ通わせてやりたいと話していた。
座敷牢の前でうつ伏せで倒れ、すでにこと切れていた。その人間の腕が座敷牢の鉄柵の間に差し込まれている事に気が付き、少年は気怠く重たい体を引きずって近づく。
その人間の手に握られているのはこの座敷牢の鍵。
少年は必死に伸ばされた掌を握り、その人間の家族が幸せであるようにと祈る。人間の体は砂の様に崩れ落ちた。少年はその砂を掌で掬い、座敷牢の中にあった花瓶の中へと注ぎ入れる。
その花瓶は長い事放置されていたが、その人間が来るようになってから季節の花が活けられるようになっていた。ただ朽ちていくのが勿体なく思い、新たな花が活けられる度、前の花を紙に挟んで押し花にして保存していた。
もう、押し花が増える事は無いのだなと、少年は寂しくなった。
少年は微睡みながら、形を失って、あるべき所に還るのだと思っていた。雨として降り注いだ水が土へと染み込み、やがて湧き水となって溢れ出て、やがて小川となり、川となり、海へと帰っていくように。
……ああ、それも良いかもしれない。
かつては世界の一部だったが、人間に望まれて形を持ち、人間達を見守ってきた。
けれど、もう、深い深い土の中。冷たく、温かく、柔らかく、硬い、近くて遠い土の下。
誰も少年に会いには来てくれない。
微睡んでいた少年を叩き起こしたのは、人間の叫び。
物理的にも、精神的にも、ただ助けを求める声。此処から出してくれと叫んでいる。その声はだんだん小さく掠れていき、やがて消えて無くなった。
その声は定期的に聞こえるようになった。
だんだん人数が増えていく。だんだん叫び声が砂の様に積もっていく。
そうして積もった叫びは、遥か昔の少年の様に形を持ち、この世に生まれ落ちた。
かつては人間の形をしていたソレは、外の人間の願いを受けて力を持ち、送られてくる人間達を取り込んでいく。
大きくなったソレは少年の前に現れて、座敷牢の前に居座り始めた。
声なき声を上げて、鳴いている。叫んでいる。喚いている。
外の人間達は少年の事を知っていたが、どういったモノなのかを失念してしまっていた。
嵐によって起きた災いを少年の起こした祟りだと勘違いをした。
それは偶然——たとえ何かの故意だとしても、少年は何ら関わっていない。けれど人間達は少年を敬い、恐れ、——けれど、どうしようもなく欲した。
——少年は求めてなどいない。
けれど人間達は、少年の怒りを収めるために、人間の生贄を放り込んだ。
入り口など無い筈の屋敷の中へと、何らかの儀式を行い、地上と地下の屋敷を同じものだと定義する事で二つを重ね、世界を騙した。
——気が付けば、人間達は少年とソレらを混同し、同じモノして祭り始めていた。
人間達の中から少年の形が忘れられていくにつれて、ソレらははっきりとした形を持ち、力をつけて振るうようになっていった。
……人間達にとって祭る相手はアレになったのか。
——それを悟った時、少年は座敷牢から出る事が出来るようになった。
少年は鉄棒の間に手を入れ、かつて人間から貰った鍵を外側についている鍵穴に押し込み、ゆっくりと回す。
小さな音がして、耳障りな金属の擦れる音をさせながら、ゆっくりと鉄扉が開く。それと同時に外に居たソレがゆっくりと中へと侵入してくる。
少年は傍に置いておいた脇差と花瓶を手に持ち、ソレと入れ違いに座敷牢の外へと出た。
——座敷牢は——が御座す場所。
……ああ、ワタシはもう、——ではないのか……。
久しぶりに自分の足で歩いた地面はとても冷たくて心地よかった。
力の少ない少年に出来る事は、そう多くはない。
送られてくる贄達との接触は難しい。そもそも少年は贄達とは重なり合った別の場所に居る。昔の彼ならばともかく、力を失った彼にはほとんど干渉が出来ない。
最初は贄の数も、儀式が行われる時期も疎らだったが、ある時から統一されるようになった。正しくはソレが取り込む人間の数。人間達が何も知らずに送られてくるという事。儀式の期間。場を安定させるための決まり事。
儀式が行われる前は、彼方と此方が重なる兆候が見られる。具体的に言えば、彼方の景色が陽炎の様に時折浮かび上がる。おそらくは彼方からも見えているのだろう。
儀式が安定し始めた頃に、正面階段の踊り場に飾られている事に気が付いた。
少年はこの洋風建築の屋敷になってから、中を歩いた事は無かったために詳しい内装は知らなかったが、その絵画だけは何故か気になってしまった。
ある程度の年月は経ているが呪物ではない。けれど儀式の前になると、この絵画の内容が変化する。おそらくは同じ位置に似たような物が飾られており、それが重ねた時に安定させる楔の役目をしているのだろうと推測をする。
破壊すればあるいはとも思ったが、此方の屋敷の内部は埋まった時のまま固定されており、力の少ない少年には殆ど干渉できない。
その絵画は頭が牛の怪物と十四人の子供が描かれている。薄暗い中で皆恐怖に顔が歪み、泣いている者もいる。だというのにその中の一人は勇ましく怪物を睨み、手には剣と糸玉を持り、そこから伸びる糸は明るい外へと繋がっている。
……その糸の伸びる先を見てみたい。
そう考えていた少年は不意に気配を感じて視線を向ける。するとそこには灰色の髪をした男が佇んでいた。驚きで見開かれた瞳に少年が映りこんでいる。
どうしてだか、その灰色の髪の男を見ていると、ぼんやりとしていた頭の中の靄が晴れていくのを感じる。
ほんの一瞬の出来事で、少年が瞬きをした次の瞬間にはいなくなっていた。
どうやら今回の贄達はなかなかしぶとい様だった。
大概は初日に何人か取り込まれて、疑心暗鬼になって殺し合ったりしていたのだが、どういう訳だか取り込まれた新しいソレらが殆どいない。
その時に取り込まれた人間は、本来の人格が色濃く残っている。儀式が終わって座敷牢で過ごすうちに、ソレらに馴染んで殆ど話さなくなる。
儀式が始まってすぐは場が馴染んでいないせいか、少年も安定していないためにこちらか干渉は殆どできない。少年に見えているのは地下にある屋敷の方の景色。儀式が進むにつれて、あちら側の景色が見える様になり、あちら側から来た贄達にも見えるようになる。
だから座敷牢に入ろうとした人間達を見つけた時、思わず注意してしまった。その瞬間にあちら側も少年を捉えられるようになった。
あちらの人間が乱暴な物言いをするのは仕方がない事だと思っている。だからと言って拘束されるのは困る。隙を見て逃げ出そうとした瞬間、天井から大量の粉が降り注ぎ、彼らの注意が少年から逸れたタイミングでその場から離脱した。
地下からの階段を上って扉を潜り抜けた瞬間に、すぐ傍に一人の人間がいるのが見えた。何となくだが灰色の髪の男を思い出したが、生憎と足を止めるわけにはいかないのでそのまま走り去った。
人間達の視界から外れた事で、再び少年を視認する事が出来なくなったらしく、彼を追ってきた人間が慌ただしく通り過ぎていった。粉まみれなのはともかくとして、何故だか目が腫れて苦しそうにしているのに首を傾げたが、結果として座敷牢から離れたのだからそれで良い。
すっかりと彼方側の景色となった、誰も居ない屋敷の中を少年が一人で歩いていると、正面階段の踊り場にある絵画の絵が変わっている事に気が付いた。
生贄の子供達はおらず、頭が牛の怪物を退治する勇ましい少年が描かれている。片方の手には相変わらず糸玉が握られており、その糸が描かれていない先へと通じているのが分かった。
不意に鍵を持って来てくれた人間の事を思い出す。あの鍵はこの絵の糸のように外へとは通じてはいなかったが、それでも座敷牢の外へと出ることは出来た。結局は屋敷の外に出る事は叶わず、日光は浴びる事は出来ないけれど、真っ暗な地面の下に月光が差し込んでいる。
何度か繰り返される儀式を観察した結果、月が満ちた日が多い事に気が付いていた。おそらくは満ちた月が空になるか、空の月が満たされる事が言わば時間制限なのだろう。あたかも砂時計を逆さにするかのように、一刻一刻が下へと落ちて時を刻む。
久しぶりに人間と対面して話したせいだろうか、少年には誰も居ない空っぽの空間が妙に寒々しく思えた。
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