第23話 抗争
少女に大切な人はいるか?と問いかける。
「ええ。います」
少女に大切な相手を問いかける。
「家族です」
少女に問いかける。
「私は叔父様を守りましょう」
「私は皆を守りましょう」
少女は満開に咲き誇る花ように、力強く、美しく笑った。
少女が振りぬいた特殊警棒は鉄製の物だ。アルミ製の物の方が軽いのだが若干強度に劣る。故に重量など気にせずに、単純に硬く丈夫な物を選んだ。殺傷能力は低めではあるが、れっきとした武器であり、鉄の塊だ。
当たり所や使い所を間違えると、相手を殺してしまいかねないし、過剰防衛にもなる可能性がある。
だが、相手が人間を止めているのであれば気にする必要はないし、救う方法が無いのであれば敵として排除するのみ。下手な情をかけて大切なモノを守れないのでは本末転倒。被害者を増やしてしまえば主客転倒。
人間の構造上、弱点は頭や胴体に絞られる。頭を叩けば頭蓋骨に守られていようとも、脳震盪を起こして行動不能になるし、肋骨に守られただけの内臓器官にダメージを受ければ、命の危機に陥りかねない。
だから少女は容赦なく顎をついて直接脳を揺さぶったが、いまいち手ごたえの様なモノがない。『F』の形をしたモノは、顎を突かれた衝撃でよろけただけだと判断して、追撃で容赦なく側頭部を殴打した。
殴られた衝撃で『F』は横に吹き飛び、端に避けていた家具にぶつかって倒れてしまう。少女はすぐさまこの部屋唯一の扉へ目を向けると、そこから『G』の連れだった男と、宿泊客の中にはいなかった筈の人間達がゆっくりと入り込んでくる。服装はバラバラで今どきの服の者もいれば、高度経済成長期に流行った服装の者もいるし、古臭い着物を着た者まで居る。
「な、何なんだよ!こいつら!」
動揺して叫びながらも、すぐさま動いた『H』の連れが部屋の端に立てかけてあった柄の長いブラシを掴んで、近づいてくるモノを殴り飛ばす。獲物が長いために遠心力も加わり、威力は十分だ。殴る事に抵抗感が少ないのは、元から喧嘩慣れをしているからなのだが、これを知っているのは友人である『H』だけだろう
「アレに取り込まれたモノ達。地下にある穴から出てきている筈だ」
縛られて動けない状況下でも少年は怯えた様子もなく、酷く冷静に淡々と説明をする。それだけで、この少年がまともではない事を察するに余りある。
「——穴?え!あの穴、こいつらの住処だったの?オレらマジでやばかった」
それはそうなのだが微妙にズレている発言をしながら、『H』の連れが群がってくるモノの顔を突いてよろけさせ、足を払って転ばせる。
その横で少女は容赦なく相手の頭を狙い、自分に伸ばされる手を特殊警棒で叩いて払いのける。おそらくは骨に罅が入ったのであろう音がして、その生々しい音に『E』が小さく悲鳴を上げるが、錯乱して周りの人間の邪魔をしないだけ、人間としては強い心の持ち主と言える。
「いや。あそこは元々ワタシが閉じ込められていた座敷牢だった。アレらがワタシから奪った時に、同時にあそこに縛られてしまった」
かなり重い内容を淡々と語る少年に、皆が苦々しい思いをする横で、彼を縛っていた縄をアリスが刀——長さからして脇差で切断した。思った以上の切れ味に、少年の腕はおろか自分の手も切ってしまいそうになって冷や汗をかいた。
自分を縛っていた拘束が解かれた事に驚いた少年に、アリスは手に持っていた刀と鞘を差し出した。確かにこの場にある貴重な武器らしい武器だが、素人が使っても他の人間を傷つけるだけだ。刀の扱い方が分からないので、とりあえず刃を下にして柄を差し出した。
少年はじっと赤い目でアリスを見つめてくる。不意にアリスの灰色の髪を見て、少年の瞳が感情で揺れる。正面で向き合っているアリスにもそれが分かったが、何も言わずに少年の反応を静かに待った。
今までの態度や反応を見るに、少年にこちらと敵対する意思は見られないし、明らかに此処の事情に一番詳しい筈だ。何よりアリスはこういう時の自分の感を信じる事にしていている。今までそうやってギリギリの所で助かってきたという経験則もある。
やがて少年は視線を彷徨わせて考える素振りを見せた後、アリスと刀を交互に見た後「かたじけない」と言って刀を受け取ってくれる。
談話室に居る客達は、とりあえず手近にある物で牽制をしようとしたが、相手に効果は殆ど無い。『H』はとりあえずその辺りにある備品を掴んで放り投げる。ぶつかって怯んだところを『H』の連れが殴り飛ばす。
少女は近寄ってくる相手を警棒で叩いて一時的に行動不能にしてはいるが、暫くすると緩慢な動作で立ち上がり、再び向かってくる。
明らかにじり貧で追い詰められているの招待客側だ。それをこの場に居る全員が悟っているからか悲壮な顔をしている。
それを確認した少年は逡巡しする様子を見せた後、覚悟を決めて小さく息を吐いて顔を上げる。その表情は今までの無機質感はなく、確かに生き物の活力が感じられた。
「ワタシが時を稼ぐ。ワタシには殆ど力はないが、一時的には引きつけられる。その間に部屋から抜け出せ」
確かにこの瞬間に迫っている危機からは逃れられるかもしれないが、それは一時的な延命措置でしかない。
この建物は謎の壁に囲まれており、外に出る手段がない。どこかの部屋に建ても立て籠もったとしても、迫りくる終わりを長引かせるだけの悪あがきにしかならない。
「この屋敷は土砂崩れで土に埋まった。けれどある時から定期的にニンゲンがうろつくようになった。そのモノ達は何も知らない様だったが、今と同じように急に閉じ込められたと騒いでいたようだ」
最初の頃、少年は座敷炉の中でぼんやりと時が過ぎるのを待っていた。少年には生物としての死が無いため、飢えて死ぬことも老いて死ぬこともない。
そして人間よりもずっと優秀の能力を持ち、その力を使って屋敷の人間達の声を聞いていた。
その大半は早々に恐慌状態に陥り、疑い合い、罵り合い、殴り合い、殺し合った。
けれど、今この場に居る者達は、理由は分からないが、少年が活動できるようになるまで生き残った初めての人間達だ。それも一つの巡り会わせという物だろう。
「これ一種の儀式の様なモノだ。ならば、そこには決まりごとがある。モノを入れるのであれば、入り口がある筈だ。……おそらくは、この屋敷の上に全く同じ構造の屋敷を建て、同じものだと誤認させる事で、一時的に二つの屋敷を重ね合わせている。実際にこの屋敷は人が入る度に、置かれている物や配置が変わっていた」
少年が今着ている服も何度目かの時に、適当に見繕ったものだ。少年が身に着けたは彼の一部とみなされるらしく、儀式が終わってもそのままだったが、それ以外のモノは最初の状態へ戻っていた。
「実際に、ココにはまだ空気がある。いくつもの手順や面倒な手間は儀式の仕様の問題だろう。繁栄を祈る儀式——もしくは吉凶を占っているのかもしれない」
話せば話すほど、少年の言葉はなめらかになり、発音や言葉遣いが変化していく。
アリスは何となく少年がアリス達と話す事で、彼らに合わせて変化しているのだと感じた。
「ならば、楔はある筈だ。こちらのモノは持ち出すことは出来ないだろうが、元からあちらのモノであるのであれば、ちゃんとした出口を見つければココから出ていけるはずだ。おそらくは、これだけの現象を起こしているのであれば、切欠さえあれば全てあるべき場所へと流れていく筈」
おそらく、筈、という単語が出る度に、アリス達を不安にはするが、他に助かる方法が全く思いつかないのであれば、それに賭けるしかない。
何より、理由は分からないが、目の前に居る少年は信用に値する気がした。
「——誰でもいい。一人でも此処から出るんだ。それでこの儀式は終わる筈だ」
少年は元の形を失ってしまった。
もうほとんどの力はアレに奪われ、僅かにしか残ってはいない。
このままいけば遠からず、少年は全てをアレに奪われて消滅してしまうだろう。
それ自体を恐ろしく思う事も無い。当の昔に、全てを諦めて諦観してきた。
それでも少年は元からそういうモノなのだ。
助けを求める声があるのであれば、それを聞き届けて手助けをしてきた。
目の前に沢山の人間達が少年を見て、少年に可能性を求めている。
……ああ、ならばこそ、私はそれを叶えてやらねばならない。
「——行くが良い。人の子らよ。私がそなたらの道を切り開こう」
——例え人間に裏切られて、閉じ込められたとしても、それでもやはり彼は彼であるが故に、人間を心から厭う事など出来はしない。
それを幸運と喜ぶべきか、不幸だと嘆くべきかは分からない。
それでも人の子が救われるのであれば、きっと、彼が此処にあり続けた意味はあったのだろう。
「——私の声を聞け」
少年の凛とした厳かな声が響いた瞬間、部屋の中の時が止まったように静まり返った。
暗い扉の奥から際限なく溢れてきていたモノ達の動きが、一斉に止まる。アリスは体の周りの重力が強くなったような錯覚を覚え、内臓を圧迫されたかのように息すらままならない。
「——私の元においで」
それは本能から訴えてくるような、欲求にも似た何か。命令——とまではいかないが、逆らいたくないという欲求。締め切りが迫っているから仕事をするために、容赦なく襲ってくる睡魔と必死に戦っている時の感覚に似ている。
おそらく、アレらはそれを押さえるための理性が足りないのだろう。
獣と人間の違いは理性を持ち、知識を求め、服を着ている事ではないかとアリスは思っている。
故に、一歩間違えば人も容易く獣に堕ちる。
……ああ、何ていう事はない。目の前に居るアレらは、もう——人間ではないのだから、何を恐れる必要などあるだろうか。
体に掛かっていた重さが無くなったと同時に、アリスは目の前に居る人の形をした何かだとしか思えなくなった。
少年に呼ばれたモノ達が、一斉に少年へと向かい始める。すぐ近くに居るアリス達など目に入らないかのように、まるで歩き始めた幼子が母親に手を伸ばして歩き始める。
けれどアリスにはそんなに微笑ましい物に見えない。幼い少年に自らの欲望を押し付けようとする人間達を思い出し、「あれは人間ではない」と言い聞かせて視界から外す。
続けて『H』と『J』が我に返り、状況を把握したようで、まだ呆けている客達の方を叩いて出入り口の方を指す。
少年が「おいで」と呟きながら部屋の奥へと誘導し、入り口付近から遠ざけようとする。
誰も声を出さないようにしているのは、少年の声を遮ってはいけないと悟っているからだ。おそらくは些細な切欠で均衡が崩れると、誰もが理解している。
息を殺し足音を忍ばせ、けれど出せる限りの速さで壁沿いを移動して入り口に向かう。
少女は心配そうにちらちらと少年の方を見ていたが、自分達には何もできない事が分かっている。助けようとすれば均衡が崩れ落ち、全てが台無しになってしまう。
必死に感情を押し殺して口を引き結んで歩く少女の横顔を見て、アリスは何もできない自分を情けなく思った。
先ほどまでは無限にアレらが出てくるのではないかと思うほどだったが、今は疎らに入ってくるだけだ。暗く見えていた廊下も今は肉眼でも様子が捉えられる。
「——動くな」
少年の口から発せられた命令に、ビクッと体が震えてアリスの足が止まりそうになるが、あれは自分への物ではないと自分に言い聞かせる。
思わず足を止めてしまっていた『E』の肩を少女がそっと叩くと、目を瞬かせて我に返って少女に頭を下げて礼を伝える。
次々に部屋を出ていく客達を見送り、最後に部屋を出たアリスが後ろをちらりと見ると、壁に背中を預けた少年がほっとした様子で微笑んでいた。
少年の周りにはソレらが縋りつくように押し寄せ、華奢な体躯は今にも押し潰されそうなほど軋んでいる。彼に触れようと必死に手を伸ばし、自分の前に居るモノを押し退けて進もうとする。
——それは蜘蛛の糸に縋る咎人の様。
その美しくもおぞましい光景から目を逸らし、走り去っていく人間の背中を少年は満足そうに寂しそうに見つめていた。
談話室周りと地下倉庫周辺にはソレらが幾つも徘徊している。とりあえずはそこから離れる事を優先して、とりあえず玄関ホールの正面階段へと向かう。
そこからは各々が行動を開始する。一塊になって動いた所で、群れに襲われればひとたまりもない。談話室に居た数が全てだとは到底思えない。
それならば何人かに別れて自己責任で動くべきだと、皆が判断していた。
アリスと少女は出来るだけ足音をたてないように、けれど迅速に玄関ホールを横切ろうとした。あちらこちらで佇んでいるソレらとは出来るだけ距離をとり、正面階段を上がり、二階へを目指して踊り場へと上がったアリスの目に『ミノタウロス』の絵画が映る。
……ああ、そういえばあれは、現実の少年だったのだろうか?
そんな場合ではないと分かっていても、アリスの脳裏に絵画を眺めていた少年の光景が浮かんでくる。
……もし、あれが白昼夢や幻覚の類でないのだとしたら、少年はここに居たのだろうか?
少年はアリス達が訪れたホテルは、地下にある屋敷と全く同じ構造をしており、それを利用して同じものだと誤認させていると言っていた。
少女も少年を見かけたのは初日で、まだこのホテルに閉じ込められていなかった。だというのに少年を垣間見たのは、その予兆の様なモノだとしよう。そうであれば少年はここで何を見ていたのだろう?
儀式として成立させるためには手順や決まりごとがある。少年の話から察するに、中に入れられた人達が脱出する可能性を残しておく事も必要とされている様だった。であれば、わざと脱出の手掛かりを用意しておくことも必要なのだろう。
この絵の作者は神話や童話をモチーフにして、様々な絵画を描いていた。同じ題材のモノを複数。気に入ったモノでは十枚近く描いた物すらあったと聞いている。
「——『ラビリンス』の語源は『ミノタウロス』を閉じ込めた宮殿の名だ。閉じ込めた怪物の元へ生贄を送る。迷宮を出る目印は『アリアドネの糸』」
なるほど、確かにちゃんと逃げ出せるように、迷宮をクリアできるようにヒントを用意してあるとは、ずいぶんと親切な事だと、アリスはせせら笑う。
おそらくは大概の者達は、事態を把握する前に取り込まれてしまったのだろう。少年の助言が無ければ知る由も無い事だ。キーアイテムに助言者が用意されていても、それに辿り着かなければどうしようもない。
……これを初見でクリアするのは無理だろう。
本当にこれを仕組んだホテルの持ち主達は、ミノスの王の様に愚かすぎるだろう。迷宮に閉じ込められた怪物の方がよほど善人だと、アリスは心底人間という生き物に呆れかえってしまった。
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