第25話 嫉妬
ソレらは人間の姿をしているが、それが人でない事はすぐに分かる。ゲームや映画の様に明らかな欠損がある個体は少ないのだが、肌が異様に青白く、無機質で精巧なマネキンだと言われれば信じてしまいそうになる。
体の一部が欠けていたり、着ている服が赤黒く汚れているのは、閉じ込められて疑心暗鬼に陥って殺し合った名残だろう。被害者か加害者かまでは、見た目だけでは判別が出来ない。
何より目を引くのは、こちらを探して動かされる目だ。生気という物を全く感じないというのに、目は透き通っていて、獲物を捕らえようとしているのが伝わってくる。
止まっていたソレらが、ゆっくりとした動作で動き始めるのを確認し、アリスは時間切れだという事を悟る。
アリスは身勝手だと分かっていても、少年の無事を祈ってしまう。アレらが率先して狙っていたのは生贄であるアリス達宿泊者だった。少年はその対象に入るのだろうか?とアリスは逡巡してしまう。
少年が口にした将棋の様なモノ、という表現は言いえて妙だった。
ただしこちらは全員が捨て駒にされる事を嫌がるし、敵の場合は駒を取れば敵になるが、こちらは取り返すことは出来ない。彼方の駒の方が多い。動作が鈍い事と知能が低下する事だけは、せめてもの救いではあるが、ある意味では全員がそれぞれの王将だと言える。
大量に玄関ホールに雪崩れ込んできたソレらのせいで、宿泊客は散り散りに離れてしまった。地下貯蔵庫の方だけではなく、他の部屋や廊下へと大勢のソレらがあふれ出てくる。
確かに地下貯蔵庫の洞窟から出てくるのだとしても、それが屋敷中に散っているのであれば包囲されるのも頷ける。
「叔父様……」
少女がアリスにこれからどうするのかと指示を仰いできた。他の宿泊客達も数人ずつに分かれて、出来るだけソレらの数が少ない方へと走る。
慌ただしいが、どうにかして脱出の糸口をつかまなければならない。どっちにしろそれほど猶予はないのだから、人海戦術に頼るしかない。
「『C』さん!正解かどうか分からないが、『アリアドネの糸』です」
アリスは正面階段の踊り場に立ち、食堂側へと逃げていた『C』と『D』にそう叫ぶ。先ほどまでは、相手を刺激しないために声を潜めていたが、動き出した今となっては詮無き事。
『H』達の姿が見えないが、既にどこかに身を潜めた様だ。『E』と『L』と『J』と『G』の連れは二階の『アルファ』の棟側の廊下から玄関ホールを見下ろしている。
『C』は「分かりましたー!」と叫ぶと、どこかでアレらを振り切るか、何か武器になるような物はないかと探し始める。叫んでおいてなんだが、『C』は何かバイトが返事したみたいだと、場にそぐわない事を考えてしまった。
アレらの身体能力自体は人間の範囲内なのだろうが、そもそも躊躇いも無く襲ってくる相手は、女性一人でも抑え込むのはかなり大変だ。多少殴ったぐらいではすぐに起き上がってくるので、数の暴力で抑え込まれるとどうしようもなくなる。
最初はこのホテルのレトロな雰囲気がお洒落だと思っていたが、それが今となっては陰鬱でくすんで見え、どんよりとした空気が漂っている気がしてくる。
薄暗い長い廊下は、逃げ場が無い袋小路に追い詰められている気がして来て、余計に恐怖を煽って正気を削っていく。
「……完全に人の形をしていない怪物も怖いけど、結局は人間の形をしている方が怖い」
『C』の横を走っていた『D』が恐怖で引きつった顔で、涙目になりながら訴えてきた。妙に早口で抑揚が無いのは、感情が恐怖へ全部振られているせいで余裕がないのだろう。
『C』は『D』が付いてこられる程度の速さで走っていたが、彼女の息がどんどん荒くなっていくのを見て、近くの部屋に一旦隠れる事にした。
『H』達は一階の適当な施設の中に隠れていた。地下貯蔵庫に近い位置にあるが、アレらの動きが止まっているならと、玄関ホールにある別の職員用の廊下を使って、二階へと通じる職員用の階段の近くまで来ていた。
「……さっき『М』さんが言っていた『アリアドネの糸』ってなんだ?」
「『アリアドネの糸』は多分、三階のスイートルームにあった絵の事だと思う。……正面階段に飾られていた絵、確か『ミノタウロス』の絵だった。さっき少年の言っていた事が本当ならば、どこかに起点となる場所があるんだと思う」
少年の話からすると、この屋敷は地面の下に埋まっているのだという。その上にホテルの建物が建っているのであれば、とりあえず上を目指すのは間違ってはいない筈だ。
そう考えた『H』は手掛かりがないのならば、闇雲に動くよりも可能性の高い所を当たるべきだ。それに一階は人の出入りが激しく、二日目の深夜に宿泊客が何かないだろうかと調べつくされている。比較的、手が付けられていないのは三階だ。
「あそこは、もう片方のスイートルームも手付かずだし、基本的には宿泊客は立ち入り禁止だ。何かを仕込むには一番都合が良い筈だ」
「あー……、そういやリビングのベット頭上にあったな。『ミノタウロス』ってモンスターの種族名じゃないのか?」
もっぱらゲームや漫画ばかりしている友人に、『H』は苦笑しながらも乱れた心が冷静さを取り戻していくのを感じる。
彼とは中学校の時からの付き合いで、たまたま同じクラスの隣の席になった事が切欠で話すようになった。忘れ物が多いし大雑把でいい加減だが、義理堅い一面がある。
よく正反対の性格をしているのに仲が良い、と『H』達は評された。確かに『H』は優等生タイプといえるが、面倒ごとを避けてなあなあで終わらせようとする。一方で不真面目に見える彼の方が実は情に厚い。
「……なあ……あの白い奴は、どうなったと思う?」
今の状況でも借りがある相手の心配をするのだから、本当にお人好しだなと『H』は思う。
「あいつらが動き出したって事は……まあ、何かあったんだろうな」
彼だって自分に出来る事は無いと理解しているのだが、感情面が追い付かないのだろう。
友人は、基本的には馬鹿ではない。興味が無い事に情熱を燃やせないだけで、一点集中したものは『H』よりずっといい出来だった。本来であればそれに嫉妬すべきなのかもしれないが、『H』は他人に激しい感情を向ける事が殆ど無い。嫉妬は憧れが強くなりすぎた結果、自分で抱えられなくなった物を他人へとぶつける事だと、『H』は勝手に解釈している。
自分で持て余すほどの感情には興味があるが、それで身を亡ぼすなんて御免被る。何でも卒なくこなせる代わりに、何かに執着する事がない。
『H』はそれを悪い事だとは思っていない。何事にものめり込まずに冷静に物事を俯瞰して見る事が出来る。
目の前に居る友人は良い人だ。粗野で乱暴で短絡的、けれど義理深く素直だ。
……自分は彼のために泣いて、彼の事を覚えていられるだろうか?
彼のために泣く事が出来れば、自分はまだ人間らしいのだと思う事が出来る気がして、『H』はそれでも自分が泣く所を想像が出来ない。
全く関係ない事を訥々と考えてしまうのは、『H』自身ストレスが掛かりすぎて現実逃避をしかかっているのだと気が付き、我に返って前を見る。
……彼の死なんて、想像もしたくない。
陰鬱とした思いが沸き上がってくるのを必死に押し込め、『H』は友人と共に生き残る事だけを考える事にした。
異変が起きたのは、『H』達が階段の上から降りてくる敵をどうすればいいのだろうかと、頭を悩ませている時だった。
階段の上から死者達のざわめきの様なモノが聞こえた。それと同時に何かの打撃音、物が壁に叩きつける音、床に倒れ落ちる音。
——そして物が落ちて転がる音。
何か丸い物体が階段の段差から落ちて音をたてる。鈍く、けれど異様に耳に残る嫌な音をたてながら、それは階段を転げ落ちて階下の壁にぶつかって止まる。
「「…………!」」
『H』達はほぼ同時に息を呑み、転げ落ちてきたものが人間だったモノの頭部だと気が付いた。ガラス玉みたいな目は壁側を向いているので、それと視線を合わせなくて済んだことに『H』達は心の底から安堵した。
それと同時に『H』は何かの違和感を覚えたのだが、それよりも目の前の光景の方が衝撃が強く、目を逸らす事が出来ない。
歩く死者の群れも充分に恐ろしいが、頭単体は、それはそれで生理的嫌悪がある。そもそも日常生活で遺体と出会う事はそうそうないが、頭部だけと顔を合わせる事はさらにない。大概は胴体と繋がっており、その部位だけを見る機会はそうはない。
それを目にしても、叫び出さなかった自分達を自賛したって罰は当たらない。そう思っていた矢先に、今度は頭のない胴体が二階にある手すりを乗り越えて降ってきた。
重量がある柔らかい物体が、二階高さから落ちて床に叩きつけられる生々しい音が飛び散った。
高い所から落ちると、自然と中身の詰まった頭が下へと向く。けれどそれは頭が付いていないからか、背中——服の向きで判断した——から落ちて、肩を床にぶつけて手足が無造作に崩れている。おそらくは体の部位のいくつかが破損して、骨折状態になっているのだろう。
……ああ。血が出ていないのか。
『H』は抱いていた違和感の正体に気が付き、胸の突っ掛けが取れてすっきりした。だが、すぐに別の感情で上書きされてしまう。
ありえない部分がぐにゃりと曲がっているのが妙に生々しく、『H』は喉の奥から込み上げてくる吐き気を必死に堪えた。友人の方も手で口を覆っている様だったが、その視線は降ってきた体から逸らされる事はない。
続けざまに吹き飛んできたソレが階段を転げ落ち、踊り場で壁にぶつかって止まる。別の個体が二階の手すりに引っ掛かった状態、腕が木の欄干の間でぶらぶらと宙で揺れている。
二階での騒ぎが収まると、誰かが絨毯の上を歩く気配がして『H』達がそちらを見ると、頭からすっぽりとフードを被ったコート姿が、ぎしぎしと階段を鳴らしながら降りてくる。
ぱっと見は小柄で『H』達よりも小さく、コートで隠れてはいるが体躯はそれほどがっしりしている様には思えない。けれどその腕には見覚えのある戦斧が握られており、その重量に階段の踏板が悲鳴を上げている。
ハルバートの長い柄を肩に乗せて斜めにして、器用に左右上下何処にも引っかける事も無く、狭い階段を軽い足取りで下ってくる。踊り場で転がっているソレを躊躇う事無く跨ぎ、上の階から落ちて無残に床に転がるソレを、気に留める事も無く通り過ぎる。
——玄関ホールに飾られていたハルバート。
降りてきた相手に気が付いたソレらが廊下の先から近づき、ハルバートを持った小柄な誰かに襲い掛かる。
廊下という狭い空間で振るうには、長物は扱いづらいのだが、ハルバートの先に付いている刃を躊躇う事無くソレの首に突き刺すと、表現しがたい呻き声を挙げたソレの動きが止まる。
突き出し体勢のまま力任せに横へと振り、傍に居た別の個体の首に斧の刃を喰い込ませ、壁へと叩き付ける。横を向いた刃と壁に挟まれた首の骨が鈍い音をたてて切断され、胴体と別れて床へと落ちて転がる。戦斧の刃は首を切断した勢いのままに壁にめり込んでようやく止まり、勢いよく手元へと引くと、それと壁に突き刺さっていた刃が同時に離れ、動かなくなったソレは引かれた勢いで前のめりに床へと倒れた。
一瞬の出来事に『H』達は息を呑み、目を見開いて目の前の光景を焼き付けるように凝視していた。呼吸を忘れてしまうほどの衝撃を、彼らは初めて体験した。
武道のように型通りというわけでも、武術の様に洗練された動きでもなく、単純に本人のやりやすい動きといった印象を受ける。
それが人の手が入っていない自然を眺めた時に感じるものと近く、おそらくは人である筈の誰が起こした現象との齟齬に眩暈を感じたが、『H』達が感じたのは間違いなく感動という単語が一番しっくりと来た。
誰かはハルバートの柄を短く持ち、周りにぶつけない様に振り上げ、うつ伏せに倒れている個体の首へと勢いよく振り下ろす。肉を叩き、潰し、切り裂く音が静かな廊下に木霊する。
勢いがありすぎて絨毯と床も傷ついてしまったが、誰かは気にする事も無く、対象が行動不能になった事を確認すると、足早にその場から立ち去って行った。
ハルバートを持った誰かの姿が廊下の奥、談話室へと通じる通路の角を曲がって見えなくなった所で、『H』達は深呼吸の様に大げさな息をついた。
衝撃が強すぎて、自分の息が止まっている事すら忘れていた事に気が付き、『H』は隣に居る友人の方を見る。友人は目を大きく見開いて、誰かが居なくなった廊下の角をじっと見つめている。見慣れた横顔に浮かんでいるのは、子供が特撮ヒーローや警察官に向けるような純粋な憧れ。
初めて見る友人の表情に『H』の胸が騒めき、初めて感じる不快感に首を傾げたが、それがすぐに嫉妬と呼ばれるものだと気が付いた。
自分では決して敵わないと即座に理解するほどの事象を起こした相手に、友人が憧れの眼差しを向けている事に、自分が嫉妬しているのだと悟った。一度も自分が見た事がない表情を友人にさせた相手を羨み、自分は相手の真似することは出来ないのだと理解して理不尽だと憤っている。
……ああ、なるほど。これが嫉妬という感情か……。
不快感を感じる一方で、自分はこんなにも人間らしい感情を抱く事が出来るのだとほっとしている。
自分は目の前に居る友人と、同じような感情を持った人間なのだと安堵している。そんな自分を恥ずかしいと感じながらも、喜びを覚えている。
一気に押し寄せる感情がない交ぜになり、抱え込めなくなった『H』は俯いて顔を両手で覆う。
『H』の異変に気が付いた友人が眉を顰めて、心配そうに顔を覗き込んでくるので、決して彼にだけは自分の今の表情を見せまいと心に決めた。
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