第18話 了承
アリスは少女と共に情報収集のために談話室へと向かった。人が集まりやすいのは広さや設備鑑みるに食堂と談話室、少し狭くなるがバーカウンターが設置されている遊技室だろう。
食堂は何度も出入りしているので、顔触れが違う談話室へと向かう事にした。その道中で人とすれ違う事も無い。おそらくは客達は皆疑心暗鬼に陥りかけているためか、出歩こうとするものが居ない。
とれる選択肢は自室に籠るか、広い部屋で不特定多数の目がある場所に居続けるかのどちらか。アリス達はその中間ぐらいの状態を維持しようとしているのだが、そのうち、家宅捜索目的で押し入ってくる人間がいるかもしれないと思うと頭が痛くなる。
談話室にノックをして名乗ってから入ると、そこには五名の招待客が居たが、アリスに見覚えのない人間も数名いる。
「……あの……何の御用でしょうか?」
アリスが口を開く前に五人の中にいた女性——『E』が話しかけてきた。顔色は良くはないが、顔を上げて正面から対応する姿には力強さが感じられる。
「今朝、騒がしかったので何かあったのかと思いまして、事情を窺いに来たのですが……」
『E』に一礼をしてから部屋を訪れた目的を話すと、ソファーにもたれ掛かってぐったりとしていた内の一人が顔を上げる。『E』は他の四人と視線で合図を交わし、彼らが頷くのを確認してから向き直る。
「……えっと、わたしは『E』の部屋のもので、わたしも直接見たわけではなので、『H』さん達から聞いただけなのですが、例の洞窟を調べようと、食料や水や灯りやなんかを準備して、さあ行くぞという所で見知らぬ白い髪の少年に止められたそうです」
「白い髪の少年——ですか?」
アリスは調べたいと思っている単語を相槌として返す事で、それに興味があるのだと遠回しに伝える。横にいる少女は素知らぬ顔で黙って話を聞いている。
「本当に突然現れたみたいに気配も全くしなかったそうで、吃驚した事で動揺してしまって、少し乱暴な態度をとってしまったそうで、それに怯えた少年が逃げ出してしまって、そのまま行方知れずとの事です」
色々と端折ってはいるが大筋は少女の証言と一致はしているので、嘘ではないのだろうと考えながらアリスが他の四人に視線をやると、そのうちの二人の目が赤くはれている事に気が付いた。
そしてその原因にも心当たりがあったが、とりあえずはその事には触れない事にした。
「その洞窟の中に入ろうとしたのは、どなたか分かりますか?」
その質問に対して『E』は言葉に詰まり、後ろを振り返って目元が腫れている二人を窺う。するとその二人の内の片方が渋々と言った風に口を開く。
「オレとこいつと、『G』の部屋の三人です」
声は小さく掠れていたが聞き取ることは出来た。けれど声を出したせいで喉が痛いのか、話した方の男は首をさする仕草をした。おそらくは防犯スプレーの成分に喉の粘膜をやられてしまい、声を出すのが辛いのだろう。
それを気づかい『E』が話の続きを引き継いで話してくれる。
「……えっと、今話した彼が『H』で、隣の人は同室者です。何故か地下貯蔵庫の消火剤がばら撒かれて、どういう訳か目や喉が腫れてしまって。ようやく腫れが引いて涙が止まった所なんです」
それは消火剤のせいではなく、少女が追撃で密室にばらまいた防犯スプレーが原因だと、それを伝えられれば申し訳なさが減るのだろうが、アリスは少女の行為を肯定している側だ。相手も少女もどちらの反応も想像の範囲内の行動であり、少女としては多勢に無勢の状態で、危険だと忠告してくれた上に、何の危害も加えていない少年を捕まえようとするのを放置できなかった。
「洞窟に入ったのですか?」
「いえ。消火剤で粉まみれになりましたし、目や喉の粘膜が焼けるように痛くてそれどころではなかったみたいです。一応は出来る範囲で少年を探したみたいなんですが、現れた時のように忽然と消えてしまったそうで……」
「……オレ達も悪かったんです。余裕が無くて、八つ当たりみたいな事をしたし」
「けどさ。さすがにやりすぎだろうが……!目と鼻と喉とかとりあえず顔面が痛くてたまらないし、水で洗って氷で冷やして、やっと収まったんだからな……」
ガラガラ声で思わず文句を叫んでしまった『H』の連れは、反射的に涙目で声にならない声叫んでしまい、思いっきり喉の粘膜へダメージがいき痛みで蹲った。ご愁傷さまという言葉しか浮かばない状況下で、今まで黙って成り行きを眺めていた二人の男性が話し始めた。
「改めまして。わたしは『F』です。隣の彼は『J』さんです。先ほどの話を補足すると、地下貯蔵庫に運び込んでいた『A』さんの遺体が無くなっていたそうです」
『F』はにこやかに話しかけてきたが、その隣にいる『J』は無言でこちらの様子をじっと見つめて反応を窺っている。
「そう、ですか……。遺体を地下に運んだという話は『C』さん達から聞いていますが、その他に私には心当たりはありませんね。そもそも遺体を移動させる理由が分からない」
「同感ですね。『B』さん達に至っては生死不明のままです。見つかったホテルマンは未だに眠り続けているそうですし……」
発見されて二日目になるがまだ意識が戻らいのであれば、やはり心配にもなるだろう。
「見張り役の方もこの状況下では人手が足りないので、ホテルマンを一階の談話室か食堂のどちらかに移動させようという話も出ています。『B』さんの事もあって、部屋に籠るのも不安だという事で、こうしてわたし達はここに集まっているわけです」
「昨日は俺達と『E』さんが見張りをしたんだけど、『I』さんと『K』さんに交対してもらって部屋に戻ろうとしたら、たまたま『G』の三人に出くわしてさ。穴を調べるって聞いたら気になっちゃってさ、流石に一緒に行くのはきついから、三人が戻って来るまでの入り口の出の見張り、数時間ぐらいならまあいいかと思って引き受けたんだけどね」
「というかさ、ぶっちゃけ難しい問題だと思う。とくに女の割合が少ないから、見張りに組み込むと女一人男二人になるしね。かといって女だけで固めたら力不足は否めないし。かといって二人で見張りを回すとなると、もう一人を信用できないと熟睡なんてできないし」
酷く疲れた様子で『E』が、ポロリと零した素と愚痴に一番慌てたのは『E』本人だ。
「ご、ごめん……。失礼なこと言っちゃった。あー……、貴方達のが悪いわけではないんだけど、どうしてもほぼ初対面の人を全面的に信用できるかといわれると、ちょっとね……」
一緒に見張りをしていた『H』達に平謝りをする『E』を『J』が落ち着くように宥める。
「仕方がない事だ。我々は偶然居合わせた赤の他人。むしろ警戒している方が人間として信用できるぐらいだ。この状況下で理由もなく他人を信用する様なお花畑の方が逆に信用できない」
「そうですよ。ましてや貴方は女性ですから。それぐらい慎重な方が良いですよ」
「ついでに言うと、オレはそっちの話し方でもいいぞ」
『F』も『J』の意見に賛同をし、当の『H』達も苦笑を浮かべて気にしないようにとフォローしている。勢いに乗って『H』の連れがガラガラ声で肩の力を抜くように促されて、『E』は「ありがとう」と謝罪ではなく礼を伝える。
やはり謝罪よりも礼を言われる方が気分が良いのは、年も性別も関係ないのだろう。
「あの、『I』さんはまた見張りをされているんですか?」
『I』は一昨日に『C』達を見張りをしていた聞いていたので、不思議に思ったアリスは素直に尋ねてみた。
「あー。なんか一人で部屋に居ても落ち着かないし、何かしている方が嫌な事考えないで済むって引き受けてくれたんです」
「それは申し訳ない事をした。私も見張りに協力をすると言っていたのに、御座なりにしてしまいました」
一日休みを挟んだとはいえ、『I』にばかり見張りさせるのも申し訳なく思い、アリスは後でスイートルームを尋ねてみようかと思案する。
「『М』さんは仕方がないですよ。……不謹慎かもしれないけれど、わたし個人としては『C』さん達が無事な方が落ちくんで」
『E』さんが苦笑いを浮かべているが、それは切実な思いなのだろう。もし、本当にアルファベット順であれば、すぐに『E』も他人事ではなくなる。
「——というか、その場合は同室の人間も、その部屋の一人としてカウントされちゃうわけ?」
喉に負担を掛けない様に、出来るだけ声帯を震わせないように気を付けながら、『H』の連れがそんな事を指摘してくる。
「あくまで仮定の話ではあるが、『B』さんはお連れの方と共に失踪されているわけだから、その可能性はあるとは思う」
『F』さんがなかなかにひどい意見を口にしたので、『H』とその連れが顔を顰める。
「——そういえば『A』さんはお連れの方はいらっしゃらなかったんですか?」
アリスは序でとばかりに疑問に思っていた事を尋ねてみると、五人は全員が首を捻り、帰ってきた答えは芳しくはない。
「『A』さんはあまり部屋から出てこなかったし、食事も部屋でとっていたみたい。わたしはたまたま部屋に入る直前を見かけたから、ああ、あの人が『A』の部屋の人なんだなと思ったぐらいで」
「……そういえば『A』さんの部屋は調べたんですか?」
その指摘に対して問いかけたアリスと傍観していた少女以外の五人が、全員「あ」という顔をほぼ同時にする事になる。
どうやら『A』の遺体の方へと意識が向き、さらにはスタッフが居ない状況に混乱して、誰も『A』の部屋を調べようとはしなかった。とはいえオートロックで鍵が掛かっているのは確かなので、調べようとするならば扉を破壊するしかない。
「この調子で壊していったら、施錠できる部屋が無くなるんじゃない?」
とりあえずは『A』の部屋の捜索は余裕がある時に、第三者の目がある状態で行った方が良いという話で終わった。
「叔父様。三階に行かれるのですか?」
隣を歩いている少女がアリスの思考を予測して尋ねてきたので、素直にその通りだと告げる。一旦厨房によって差し入れの紅茶と軽食を用意する。
「少年の行方も気になるが、忽然と消えるのであれば、それこそ隠し通路の一つや二つあるのかもしれない。元は華族の遊興のための屋敷だ。そういった類の物があってもおかしくはない」
三階へと続く階段をのぼりながら、アリスは妙な胸騒ぎを覚えた。気のせいであればそれで良いのだが、今、スイートルームは一昨日と昨日よりも見張りの数が少ない。もし、ホテルマンが非友好的な相手であれば、動くとすれば今だろう。
「先ほどの話で気が付いたが、二階の鍵のかかっている客室は殆ど調べていない。特に空室は、鍵かマスターキーが無いからなおのこと手を出しづらい。相手がマスターキーを持っていれば幾らでも身を潜める事が出来る」
そもそも使われていないからといって、誰もそこにはいないという事にはならない。アリス達宿泊客には自室以外の鍵がなく、破壊する事でしか部屋への侵入手段がない。他の事で頭がいっぱいで、目先の事しか考えられなかったせいで、失念をしていた。
三階へ向かうための階段は今の所は『ベータ』の棟にしかない。スタッフの寮となっている区画を抜けて進み、その先にある渡り廊下を通ってようやくたどり着く。
目的のスイートルームの扉の鍵の部分は壊されているせいで、中からつっかえ棒をしてドアノブ回らないようにしているので、外から声をかけて開けて貰わなければいけない。
アリスは数回ノックした後、扉越しに声をかけた。
「すみません『М』です。見張りを手伝えずに申し訳ありません。差し入れをお持ちしたのですが——」
次の瞬間には中で何かが床にぶつかる音がして、扉が勢い良く開き、中から見覚えのある制服の男が飛び出してきた。
アリスがこのホテルに到着した時に、扉を開けててくれたホテルマンの男だ。だが、彼が浮かべているのは職業を全うするための微笑みなどではなく、アリスには見覚えがある——欲望に満たされた眼をしている。
身長が近いせいですぐ目の前にある男の瞳に、アリスの怯えた表情が写っているのが見えた。アリスの意識が一瞬だけ飛び、我に返った時には床に押し倒されていた。
仰向けになったアリスの上にホテルマンの男が馬乗りになり、アリスの視界を塞ぐように顔を覗き込んでいる。男はアリスの顔を挟むようにして腕をついているが、徐に男の体を支えている腕の片方が浮き、アリスの頬へと指先が伸ばされる。
……どうして、私をそんな目で見るんだ?
ぼんやりとした意識の中で、アリスの脳裏に疑問が浮かぶ。
「叔父様——!」
少女の叫びが響き渡り、アリスが我に返って自分の上にかぶさっている男を押し退けようとするよりも早く、男の呻き声と鈍い打撃音と共に上に居た筈の影が飛ぶ。
続けざまに宙をポットが舞い、数メートル先で転がっているホテルマンの腕にぶつかり、派手な音を立てて割れながら、熱い紅茶をまき散らす。
床に散らばった破片で体が切れる事にも構わずに立ち上がり、ホテルマンは廊下の奥へと走り去っていった。
何とか自分で体を起こしたアリスに、少女がすぐさま駆け寄って心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫ですか?何か変な事はされていませんか?」
呆然とした表情のまま、アリスは何度も頷くのを繰り返した。
視界の大半をホテルマンの男の体に遮られてはいたが、男の胴体に見覚えのある靴を履いた足がめり込むのが辛うじて見えた。
少女の蹴りは的確に男のあばら骨と内臓にダメージを与え、彼の体は吹き飛ばされて地面を転がった。すぐさま少女は手に持っていたポットを、紅茶が零れる事など気にも留めずに振りかぶり、容赦なく相手の体に叩きつけた。
本当はホテルマンの男の頭部を狙ったのだが、咄嗟に腕で防がれてしまった。舌打ちをしたくなったが、そんな事よりも表情がごっそりと抜け落ちてしまったアリスの事の方が心配だった。
少女に何度も呼び掛けられて、何とか平静を取り戻したアリスの目に映ったのは、開かれた扉の向こうで、仰向けのままこちらを見上げる血まみれの男の光のない目だった。
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