第16話 糸
『A』——三十代男性。死亡を確認。後に遺体が行方不明。
『B』——二十代後半。女性。同室者は同い年ぐらいの男性。おそらくは恋人。二人とも行方不明。
『C』——二十代前半。男性。同室者なし。
『D』——二十代前半。女性。同室者なし。
『E』——二十代後半。女性。
『F』——三十代。男性。
『G』——三十代後半。男性。同室者は男性が二名。
『H』——二十代半ば。男性。同室者は同い年の男性。
『I』——三十代前半。男性。同室者なし。
『J』——四十代。男性。
『K』——二十代後半。男性。
『L』——三十代前半 男性。同室者は無し
『М』——二十代半ば。男性。同室者は姪。
紙の上に書きだされた文字列は、今の所分かっている招待客とその同行者達。アリスと少女、『C』『D』『L』達が見聞きした範囲で分かっている事を意見を出し合って表としてまとめたものだ。
アルファベット順ではという意見が出たために、一応把握しておいた方が良いという話になった。
マスターキーを探す際に、フロントの鍵付きの引き出しや棚を破壊して中を確認したのだが、予備の鍵やここに来た際に名前を記した宿泊客名簿、そして回収された招待状は無くなっていた。これは『C』と『I』とその場にいた数人が確認している。
「やはり女性客は全体的に少ないな」
「それはまあ、仕方がないと思う。そもそも女の一人旅って男の一人旅よりもリスクが大きいし、連休中に全く予定がない人前提でしょう?遊んだり帰省したり約束はしてるだろうし、社会常識があれば先に約束した方を優先する物でしょう?」
その数少ない女性の一人旅をしている『D』が肩を竦める仕草をした。彼女に対して何か感想を言うのは野暮だろうと、男性陣は口を噤んだ。
少女と『D』は窓際のベットに座り、残り三人がソファーに座ってテーブルを囲んでいる。
「良いですね。女の一人旅。私も成人したらしてみたいと思っていたんです。叔父様は登山とか体力を使う物は無理そうですし、今の所は学校の行事で登った事しかないんです。それだと周りの歩調に合わせないといけないから、周りの景色や野花を観察する時間が取れなくて」
女の一人旅という単語が少女の琴線に触れた様で、楽しそうな声を上げる。彼女の好意的な反応が嬉しかったのか、『D』も嬉しそうに何度も大きく頷く。
「だよね……。そういう事を友達に言っても寂しいから一緒に行こうとか見当違いな事言われるし。確かに友達と行く旅行も好きだけど、偶には一人で旅をしたいと思うのも悪くないよね?」
「はい。以前修学旅行でテーマパークに言った事があるんですが、そこのお化け屋敷に入ったんです。なかなか怖いと有名で楽しみにしていたんですが、同じ班の生徒達がきゃあきゃあ騒いで急に走り出したり、怖いからといって立ち止まって後ろが詰まったりして落ち着いて見れなくて、いつかまた今度は一人で行こうって心に決めているんです」
少女の話はアリスも以前に聞いた事があった。修学旅行といっても学校の授業の一環としてきているために単独行動は厳禁だったそうで、落ち着いて好みの観光場所や展示物を見る事が出来なかったと、珍しく愚痴を聞かされたのでよく覚えている。
基本的には他者に対して優しく友好的に接する少女が、「あれでは他のお客さん達にも迷惑になる」とぼやいていた。
いくら根が優しい人間だったとしても、日常生活で不満を持たない訳ではない。少女の場合は、極力不満を外部に漏らさない様にしているだけでしかない。それを良い子ぶっている、と捉えて突っかかってくる人間もいるため、それを上手くいなすのが大変らしい。
「会社の同僚の男性には、「恋人居ないの?寂しいなら俺も一緒に行ってあげようか?」とか、それセクハラかパワハラになるぞ!こらぁ!て怒鳴ってやりたいと思うったのを、何度堪えてきた事か……」
「何故か独り身の女性を寂しい。男性に飢えているとか勘違いする人が一定数いるんですよね。そもそもの話、性欲は理性で我慢できるし、恋愛脳になるのもいい年をしてほどほどにして欲しいですよね?」
多感な時期の女子高生にも色々あるらしい。少女は特にそういった物に興味は弱く、とりあえず周りの友人達の話に合わせて相槌を打って流している。
「だよね。彼氏が欲しいかと聞かれれば、どちらかといえば欲しいけど、好きでもない相手と無理矢理付き合っても疲れるだけでしょう?少なくとも一緒の空間で同じ時間を過ごす事が出来る相手出ないと」
「刺激が足りないという方もいらっしゃいますが、そもそも安定して穏やかな時間ほど貴重な物は無いと思うんです。一緒に居て心地よい相手がどれほど貴重な事か……」
真面目な話をしていた筈だが、気づけば女性陣の話が逸れて愚痴大会へ変わってしまっている。オチも意味も無い話を延々と出来るのが女性だと聞くが、この時ばかりは、その場の男性陣はどんな顔をしていいのか分からずに、とりあえずは苦笑するしかできない。
けれど他愛のない世間話は『D』の気分を良くする事に一役かってくれている。実際に少女と話している『D』の顔色は良くなってきたし、言葉数もどんどん増えていく。
彼女達の話は気が付けば、一人旅に対する周りの理解が無いという話から、男性の恋人がいない女性への理解の無さへと変わっている。
「大体、おひとりさまの何が悪いの?恋人居ないからって人格に問題があるんじゃないかとか失礼極まりない。一人の時間が好きで、そういうのを理解してくれる相手が良いの。何なの!「寂しいから電話した」って!こちとら久しぶりの休日にゆっくりと惰眠をむさぼっていたっていうのに!最悪なのは話を終わらそうとしているのに、延々と話しを続けようとしてくる奴!察しろよ!明らかに話を終わらせる流れだったよね?あんたが振ってきた話題を終わらせたし、それとなく疲れていて休みたいって伝えているよね。こっちを労わる気ないよね?自分の愚痴を聞いて欲しいだけだよね?愚痴は聞いてあげるから、時間を変えて掛け直せってそれとなく伝えているでしょ!」
滑らかな『D』の饒舌に、男性陣は舌を巻くしかない。色々と不満が溜まっていたんだなとか、だから一人旅で気分を変えたかったのかな、ぐらいの感想しか思い浮かばない。
確かに世の中の人は恋愛至上主義で、恋人のできない人間を見下す者を見かける。相手が見つからないのは人格的に問題があるせいではないかと考えるのも分かるが、単純にそういった事に興味がない人間も居るという事が理解できないのだろう。
「分かります。まだ興味がある化粧や流行のファッション、スイーツなどは雑誌やネットなどを見たりしますが、人気の芸能人は移り変わりも激しいですし、顔の造形もスタイルが良いのは分かるのですが、見た似たり寄ったりに見えて把握しきれません」
日頃姪から聞く事がない異性の話に、アリスはちょっと興味と気まずさを覚えたが、折角気分良く談笑している二人の邪魔をするのは野暮だろうと、男三人で話を続ける事にした。
「……そういえば『A』さんに同行者はいなかったのですか?生憎私は顔を合わせて話す機会が無かったので、本人確認が出来ないので……」
そもそもアリスは『A』の顔を把握していないために、ホテル内で見かけていてもそうと分からない。別棟で部屋が離れている事もあり、『L』も顔を知らない。
「オレは遺体を運ぶときにちらっと見たけど、あれは『A』さんだと思う。丁度、部屋から出た所を見かけたし……。でもタイミングというか、行動する時間帯がずれているせいか、あんまり食堂とかでは会わなかった」
「そういえば最初の遺体を見つけたのは『B』さんでしたね。遺体があったのが『A』さんの部屋の前でしたから、隣室の『B』さんが異変を聞きつけるのも納得できますが……」
「……そもそも遺体は隠蔽する方が良い筈。だというのにそんなに分かりやすい場所で犯行に及びますか?衝動的なものならともかく、いつ第三者に見つかるかも分からない場所で。実際に妙な物音を聞きつけた『B』さんに発見されている。まるでわざと見つけさせることで、起こっている異変を知らせているかのようにも思えてきます」
実際にそれがきっかけとなり、連鎖的に異変を察知している。遺体が発見され、スタッフの不在、外部との連絡手段の断絶。そしてスタッフを捜索した結果、スイートルームで拘束されていたホテルマンを発見した。
実際にあの騒動が無ければ、下手をすれば次の日の朝まで異変に気が付く者がいない可能性だってあった。体調が急変したりしなければ、深夜のホテル内をうろつく人間はそうは多くないはずだ。
「犯人が愉快犯で、被害者達を恐怖のどん底に叩き落とすためって可能性もあるんじゃ」
「……そうなると、その犯人はこの状況を作った相手となります。そもそもここに閉じ込められなければ、どうにかして町へ脱出を図りますし、外部との連絡を取ろうとする。電話線や中継するためのアンテナを破壊すればそちらは可能ですが、人間には意思があるし足がある。絶海の孤島や猛吹雪の山荘ならいざ知らず、此処は町とのアクセスが、せいぜい車が無ければ生活がかなり大変程度の距離しかない」
「……こんな力で閉じ込められる相手が、遺体を部屋の前に放置するだけって中途半端ですよね。それこそ小説みたいにシャンデリアを人の上に落とすとか、人の手の届かないような高い天井に吊るすとかしそうです」
「まあ、この現象と犯人が同一犯とは限らないし、『B』さんの遺体を確認したわけではないから、生きている可能性もある」
結局の所は、信じられるのは自分が見た物だけ。訳の分からない状況にいるのだから、訳の分からない出来事が起きる可能性は大いにある。
「あげくに、死体がどっかにいっちゃったし……そういえば、俺たち『A』さんの死体が無くなったこと他の人に伝えていないですよね?」
『C』の台詞に全員の視線が彼に集中した。そして顕著に驚いたのは『L』だった。
「え!それはどういうことですか?初耳なんですけど——!」
アリスはそういえば言い損ねたという軽い反応で、少女も今更伝えに行くわけにもいかないのでどうしようと、首を傾げる仕草をした。『D』はこの部屋で一息つくまで体調が悪くてそれどころではなかったし、『C』は早々にあの場から立ち去りたいという気持ちでいっぱいだった。
事の成り行きを聞かされた『L』は遺体が失われてしまった事に対して、痛ましそうに目を伏せた。弔いはせめてもの生者への慰めだと考えているため、それすら出来ないというのは悲劇以外の何物でもないと考えているからだ。
「そもそも遺体なんて何に使うんでしょうか?」
『L』からすれば死者への冒涜以外の何物でもない。別に信仰心が強いわけでもないが、マニュアル人間であるからこそ、死者は弔われて然るべきなのだという考えが強い。だから予定が無ければ冠婚葬祭を欠かしたことはないし、年賀状やお中元もお歳暮も欠かさすことなく、毎年家族や友人や仕事先の人に送っているぐらいまめな男だったりする。
「……生贄」
アリスは玄関ホールに飾ってあったかいがを思い出し、口からその言葉が零れ落ちた。次の瞬間には部屋は静まり返り、全員の目がアリスの方を向いている。
「……ああ、すみません。玄関ホールに飾ってあった絵を思い出してしまいまして。ただの戯言ですから、お気になさらずに」
失言に気が付いて、すぐに弁明をしたが一度口から零れ落ちた言葉は、既に部屋にいる全員の耳に染み込んでしまっている。
「確か『テセウス』と『ミノタウロス』の絵画でしたよね。迷宮の中にいる怪物『ミノタウロス』に九年に一度、七人の少年と、七人の少女を生贄として送り込む。それを憂いた『テセウス』が生贄に紛れて迷宮へと入り、怪物『ミノタウロス』を退治する。『アリアドネ』が渡してくれた糸玉を、入り口から伸ばして迷宮を脱出して、最後は『アリアドネ』と結ばれるという、ギリシャの物語ですね」
気まずい空気に言葉に詰まったアリスに変わり、すぐさま社交性の高い姪が補足説明でカバーをしてくれる。
「ああ、あのなんだか高そうな絵画ですね。気迫が伝わってくるというか、近寄りがたい雰囲気であまり見ていないんです」
『L』が少し恥ずかしそうにしながら、話を繋げてくれる。なんだかんだ気遣いのできる人だなとアリスは素直に関心をした。
「『ミノタウロス』って、ゲームとかで出てくる牛の頭を持った怪物だっけ?」
「補足しておくと、『ミノタウロス』は、神様の怒りを買ったミノス王のせいで生まれてきた怪物。何が悪いって、約束を破って白い牡牛を手に入れようとしたミノス王が悪いって話。ギリシャ神話って、神様が感情的で、約束を破ると破った本人じゃなくて、周りにいる人間に被害が被る話が多い」
あまりそういった事が詳しくない『D』が首を捻りながら、知っている知識を捻り出すと、苦笑しなら『C』が説明を足してくれる。
「母親がとある女神より自分が美しいとと言い放ったせいで、その娘が海の怪物の生贄に選ばれてしまったりする話や、浮気した夫ではなく、夫と浮気相手との間に生まれた子供に呪いや試練を与えて殺そうとしたりする話もありますから」
アリスがギリシャ神話で各方面に迷惑をかけている最高神の話をすると、『D』は拳を握って力強く言い放つ。
「え?確かに子供に当たるのは筋違いだとは思うけど、浮気は悪い事だから仕方がないと思うけど?」
浮気は絶対に許さないという気概は素晴らしいが、これに関しては女性は被害者でしかないので、その辺りをアリスは説明する事にした。
「いえ。その女神の夫は、気に入った相手をものにするために、女性の夫に化けたり、動物に化けて油断を誘って襲ったりと、色々やらかしているんです。女性側は夫だと思っているわけですから。だというのに、天罰が下るわけです」
「……理不尽」
「ええ。理不尽だと思います。気に入った少年を鷲に化けて誘拐して連れて帰り、両親がいつでも少年の姿を見れるようにと星座にしたという話もあります。最終的には少年とその親に事後承諾をとったそうですが」
正直、アリスはこの話を聞いた時は恐怖しか感じなかった。最後は相手が了承してとりあえずは収めているが、彼にとっては他人事ではなかったという点も大きい。当人の意思など無視して自分の欲望を優先させる。そのありようが怖くて仕方がなかった。
子供のアリスにとっては、児童書の神話を読んだつもりが、ホラー小説を読んでしまったようなもので、その晩は全然眠れなかったのをよく覚えている。しばらくは空を飛ぶ大きな鳥に怯える羽目になった。
「話を戻しますが、このホテルの『ラビリンス』の語源は『ミノタウロス』を閉じ込めていた宮殿の迷路らしいので、何となく気になってしまいました」
「そういえば、例のスイートルームにもありましたよ。多分あれは『テセウス』と『アリアドネ』を描いたものだと思いますが。同じ作者だし、此処の元の持ち主が好きだったのかも」
アリスの話を切欠に、スイートルームに踏み込んだ際に見かけた光景を思い出した『C』が何気なしにそんな事を教えてくれたが、アリスは妙な胸騒ぎを覚えた。
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