第11話 視点
クローズドサークルと言えば、ミステリーでは定番の舞台設定と言える。用語説明としては、何らかの事情により外界との往来が断たれた状態、あるいはその状況下で起こる何らかの事件の事を指すそうだ。
「嵐の孤島」、「吹雪の中の山荘」、「陸の孤島」、「走り続ける列車」、「航海中の客船」など、さまざま種類があるのだが、アリス達が置かれた状況はかなり特殊ではあるが、あえて言えば「陸の孤島」といっていい筈だ。
宿泊客は何らか交通機関を持ってこのホテル『ラビリンス』を訪れ、自らの足で歩いて建物の中へと入った。ホテルの従業員達に迎え入れられ、それぞれの客室へと宿泊をした。
アリス達は初日にチェックインを済ませ、荷物を部屋において、ホテルの探索をした。アリスは疲れていたため夕食を食べ損ねてしまった。
次の日の朝には美味しい朝食に舌鼓を打ち、各々ゆったりとした休暇を楽しんだ。夕食は前以って時間を告げておけば待つ必要がなく、頼めば部屋まで食事を運んでくれる。肉か魚かを選べ、パンかライス、前菜、スープ、メインにデザートの旬の果物のタルトを味わった。
夕食後は客達は好きに時間を過ごしてした。就寝時間は決まってはいないが、十一時ごろには部屋に戻る事を推奨されている。プレイオープンという事もありホテルスタッフの人数が少ないため、サービスにも時間が決められている。緊急時のためのスタッフが交代で二十四時間、誰かしらはフロントに詰めていると言われていた。
しかし日付が変わる直前に、『アルファ』の棟で事件が起きた。『A』~『G』の『アルファ』の棟。『H』~『М』までのベータの棟。何故ギリシャ文字呼びなのかは謎だが、とりあえずはそう呼称されている。
『アルファ』の棟の客室前の廊下で、一人の宿泊客が血を流して倒れていた。被害者の男性は『A』の部屋の宿泊客だとの事。これには複数の客から証言が得られたため、ほぼ確定となった。
その場にいた客達は各々がバラバラに動き、一部の客はホテルスタッフを呼びに向かい、携帯端末で警察と救急車を呼ぼうとしたが、電波が繋がらないとのアナウンスが流れる。傍にあった固定電話も使用できない。
アリスはらちが明かないからと、自分も単独で動いてホテルスタッフを探す事にした。その場にいた客の『L』が被害者の遺体の見張りと、誰かがスタッフを連れてきた際に入れ違いにならない様にと残ってくれた。
三階のスタッフ達の寮として使用されている区画に向かったが、誰も居らず、部屋に荷物は残ってはいなかった。けれど、最近に人が使用していた形跡があった。
アリスは合流した『C』、『D』、『I』と共に、スイートルームが二つある区画に向かった。両方とも施錠されており、フロントでマスターキーを探すか、いっその事扉を壊して開けてみる事をアリスが提案した所で、部屋の中から物音がして誰かが居る事に気が付く。
『C』と『I』がフロントへと向かいマスターキーを探したが見つからず、消防斧を用いて扉を破壊した。部屋にあるベットルームでホテルマンの男が拘束されているところを発見し、救出をしたが気絶してしまったために、交代で見張る事になった。
翌朝になっても外は暗いままで、外部と通じる扉も窓も開かない。各種インフラ設備は稼働しており、一週間分ほどの水と食糧の蓄えが存在する。
アリスは今までの出来事を頭の中で整理をしながら、未知の現象によって閉じ込められた今の状態をクローズとサークルと呼んで良い物なのだろうかと首を傾げる。
それは置いておくにしても、クローズドサークルの状況下で一番問題になる事は、起こった事件が人の手による場合、その犯人が同じ空間にいる可能性が高いという事だ。
——見知らぬ殺人犯がどこかに潜んでいる状況と、顔見知りの他人の中に殺人犯がまぎれている状況、どちらがマシなのだろうか。
疑心暗鬼になった客同士が争い合い、傷つけあう状況は一番避けるべきだろう。
今の所はまだ落ち着いている状況ではあるが、それはまだインフラや食料がしっかりとある状況だからだ。それらが枯渇して、いよいよ飢えと戦わなければいけない状況になった時、人間は一体どこまで耐えられるのかは分からない。
水や食料の取り合いになれば、一気に不和は加速していき、殺し合いへと変わる可能性もある。誰だって自分の命が大切で、見知らぬ他人より、友人、恋人、家族を優先する。
後は当人の良識や価値観、性格や精神力といったものによる事になる。
このままでは、早かれ遅かれ精神的な限界を迎えて正気を失う人間も出てくるだろう。
……結局の所、実体のない幽霊よりも、実体を持つ人間の方が恐ろしい。
「——そういえば、あそこにあったハルバートが見当たらない気がするのですが、何かご存じですか?」
おおよその情報交換が終わったタイミングで、アリスは玄関ホールに来てからずっと気になっていた事を尋ねてみた。優先すべき情報を優先した結果、最後に回してしまった質問に三人はそれぞれの反応を示した。
「……あー。そういえばあの甲冑がなんか長い柄のついた斧を持っていたな」
「ああ、それですね。わたしも気になっていたんです。なんかここに来た時、なんか違うなーって思ってたんだけど」
「ああ……、そういえば何か手に持っていましたね」
『C』は指摘されて漸く気が付いたらしく、立ち上がって西洋甲冑が仕舞われたガラスケースへと近づいていった。それを青白い顔をした『D』が視線で追い、『I』が座ったまま目を細めて甲冑をじっと見つめる。
「確かハルバートって相当重いって聞いた事あるし、普通の人は持ち上げるのも無理だと思うけど」
アリスが席を立ちガラスケースへと歩み寄る最中に、『C』は大胆にもポールを跨いでガラスケースを掴んで、外せないか押したり引いたり持ち上げようとしたりと色々試し始めた。彼がガラスケースを無遠慮に揺らそうとするが微動だにしない。
展示品に触れるなど通常時であれば、アリスは即座に静止したのだろうが、異常事態下では仕方がないと口を噤んだ。
「全然ビクともしない。壁に固定されちゃってるし、ケースに鍵穴があるから開くとは思うんだけど……」
『C』は気になったと事には積極的に調べる質なのだろうと考えながら、アリスは出来るだけ柔らかな口調で諭す事にした。
「気になるのは分かるが、あまり乱暴にするのは良くはない。一応は美術品ですから」
「この状態でそれを言われてもなー。今更感がする」
自分でも少し乱暴だったと反省をしつつも、『C』は軽い口調で言い返してきた。彼の言い分は最もなのだが、アリスとしてはそういった美術品は出来る限りは保護すべきだと思っているし、不必要な破壊行為は控えるべきだと思っている。
「そうかもしれませんが、あまり乱暴な行為を続けると、感覚が麻痺して簡単に手が出るようになってしまかもしれません。そういった行為を安易に行うと、連鎖的に皆の罪悪感が薄れてしまい、混乱を招く可能性があります」
緊急事態だからこそ、ある程度の規律と秩序は保たなければ、それらは一気に周りの人間達を飲み込んでしまう。暴力への嫌悪感や罪悪感が無くなってしまえば、行きつく先など容易に想像できる。
「それを『М』さんが言いますか?」
昨晩、真っ先に扉を破壊するという選択肢を提示してきたアリスが、それを言う事が何となくおかしく思えてしまい、『C』は無性におかしくなって笑ってしまう。
「まあ、自覚はあります。——ですが、必要な時とそうでない時の分別はついているつもりです」
教師のような雰囲気で諭してくる割には、アリスは年上故の傲慢さからくる圧の様なものがなく、どちらかと言えば高校教師というよりは小学校教師だろうと、『C』は何となく感じた。
けれど、それは子供扱いしているわけでもなく、自分の価値観を押しつけるわけでもなく、あくまで良識的にこうした方が良いという提案だったために、『C』は「一理あるな」と感じ、何となくその提案を素直に受ける事が出来た。
「……『М』さんてもしかして何かの先生とかしてる人?」
このホテルではあまり詳しく個人情報を聞くのはマナー違反だ。それに今のご時世、安易に個人情報を漏らすのは身の安全のために避けるべき事。
だから『C』は答えは期待していないし、それとなく誤魔化されるか断られるだろうと考えていた。
「——いいえ。教える事もした事はありますが、自営業、ですね。一応は」
向けられた質問に「はい」か「いいえ」できちんと答えてくれた事が、『C』は無性に嬉しく感じてしまう。
『C』の周りにいる大人達はいつも上から物を言い、自分の言い分が正しいと思い込んでいるせいで。こちらの意見も問いかけにも「無駄」の一言で切り捨ててしまう。
昨晩の行動力を見ていると、アリスは自分の考えをしっかりと持っており、我が強いように思えた。他の宿泊客が躊躇い遠巻きにする中、迷う事なく被害者に駆け寄って救助が必要か確かめて、外部との連絡を促し、従業員を探して単独行動をしていた。
短気で考えが足りないと言われる『C』ですら、犯人が潜んでいるかもしれない場所を一人でうろつく勇気など持てなかった。
だというのに無防備な背中をさらして、無防備な三階を一人でうろつく。何か進展する物を発見したとしても、他の者が率先して動き始めれば、自分は必要ないだろうとあっさりと他人に場所を譲る。
……多分、『М』さんは人の言葉をちゃんと聞いてくれる。聞いた上で自分の意見と照らし合わせて、譲れる部分と譲れない部分をしっかりと線引きをする人なんだろう。
出会ってまだ数日、一緒に居た時間でいえば三時間も経っていないだろう。それでも、『C』はアリスの事を多分良い人なんだろうな、という印象を持つに至った。
「叔父様」
玄関ホールに響いた鈴を転がすような声に、その場にいた全員が声の方へと振り返る。一斉に向けられた視線と思ったよりも響いてしまった己の声に驚き、少女は気恥しそうに視線を床へと落とす。
「すみません。少し声が大きかったようです」
はにかみながら少女はしずしずとアリスの元に歩み寄り、朝の挨拶を交わすと、躊躇する様子もなく『C』にも挨拶をしてくれる。続けざまに体の向きを変えて離れた場所にいる『D』と『I』にも頭を下げる。
少女は一通りの朝の挨拶を終えると改めてアリスへと向き直り、下げた両手の指を絡める仕草をしながらちょっとした頼み事をしてきた。
「気分転換に散歩に出かけたいので、よろしければ叔父様にご一緒していただきたくて」
一人であまり出歩かないように言い聞かせても、気休め程度にしかならない事は分かり切っている。なので出来るだけ共に行動しようとすることは、アリスにとっても有り難い。
「部屋に籠ると、外が暗いので時間間隔がおかしくなってしまいそうで……」
その場にいる全員が少女の意見に賛同する。そもそも食堂と談話室と玄関ホールに人が屯しているのは、部屋に引きこもってしまうと嫌な想像ばかりしてしまうからだ。
まだ連れがいる人間は良い方だ。少なくとも部屋に籠っても孤独との戦いにならないで済むのだから。だが、そうでない人間はよほど精神力が強い人間以外はこうして外に出てきている。
今の所は犯人像が全く分からないからこそ、こうして不特定多数の目がある所で固まっているわけだ。
アリスは姪の頼みを快く引き受けて、時間をとらせてしまった三人に礼を伝えてから少女と連れ立ってその場を後にした。
「……叔父様。白い髪の少年を見ませんでしたか?」
少女の先導で玄関ホールから離れ、人気のない廊下へと辿り着くと、少女は足を止めて声量を下げてそう尋ねてきた。いつも明るい表情をしている少女には珍しく、どことなく影を帯びてる。
「……白い髪少年」
その言葉でアリスが思い浮かぶのは昨日に見た白昼夢。ほんの一瞬だけ訪れた幻のような時間。『ミノタウロス』の絵画を眺めていた少年。
アリスはあの後過去にあった人物を思い返してみたが、あの少年に見覚えは無い。もしかしたら意識に残っていないだけかもしれないが、あれだけ目立つ容姿であれば何か引っかかるものがあって然るべきだ。
「もしかして十二歳ぐらいの、白い髪の赤い目の少年だろうか?」
「——!はい、その子だと思います。叔父様も見かけたのですね?」
少女の顔がぱっと明るくなり、ほっと安堵した表情を浮かべる。
「とはいっても本当に少し見かけただけだ。その時は玄関ホールにある絵画を見ていた」
それすらも夢か現かの境目が曖昧で、それが少女が見た相手と同じとは限らない。それでもそれらしき相手を見かけたのが自分以外に居た事が嬉しいのか、少女は先ほどとは打って変わって、平時の彼女らしく柔らかな微笑みを浮かべている。
やはり異常事態で少女も不安を抱えていたのだろう。それに気が付いてあげられなかった事にアリスは申し訳なくなった。
「私は初日に建物の中を探索していた際に見かけました。庭を散歩している時に窓越しにちらりと見えたんです。……多分、貯蔵庫の辺りだったかと」
ホテルの周辺に広がる森林は手入れが行き届いている。真っ直ぐに伸びるように無駄な枝は剪定され、木同士の間隔をあけられているおかげで、森の奥へと行っても視界が良く風通しも良好だ。特に白樺の木が立ち並ぶ様は、皆が想像する療養地の森林浴のイメージその物。
その森の中を通る小道を歩くだけで、日頃にため込んだストレスが全てどこかへと飛んで行ってしまう。
メイもその森を気に入った様で、時間が許す限り探検をしたと初日に話していた。
「それが気になって建物の中を探索していたら——えっと、『C』さんに声を掛けられた次第でして」
少年を見かけた位置を中心にして、周辺探していたのだが、その道中に『C』にナンパされてしまった。アリスに助けてもらって別れた後、再びそこに向かおうとしたが「関係者以外立ち入り禁止」との看板に遮られた。
少女としては禁止されている場所に許可なく入るのは躊躇われたし、初日から揉め事を起こすのは本意ではない。もうしばらくここに滞在するのだから、ゆっくりと少年を探せばいいと結論付けていた矢先、事件が起こってしまった。
「……珍しいな。見かけただけの少年を其処まで気にするのは」
少女は心根の優しい、曲がった事を厭う真っ直ぐな性格をしている。——間違ったではなく曲がったところが嫌なのがポイントで、人間だれしも間違うし、魔が差す事もある。間違いを認めて反省して、迷惑をかけた相手に謝るのであれば、後は当事者同士の問題だと考えている。
曲がった事とは、理不尽で不条理な事。理不尽すぎる事は許せないのだ。何の救いも無く、償う機会もなく、ただ理不尽によって奪われる。
必要悪は文字通りに人間社会を維持していく上で必要だと理解しているから、思う所があってもそれを非難しない。
——人間はどう足掻いても、全ての人間達と理解し合えない。
文化も見た目も違う相手との諍いが、話し合いでの解決が不可能であれば後は暴力に打って出るしかない。
暴力は一番原始的な肉体言語。相手への怒りと悲しみと苦悩を相手に伝える手段。力づくで屈服させるとはよく言ったものだ。自分の主義主張を無理やり相手に飲み込ませて従わせる。
……ああ何と粗暴で野蛮で、効率的な方法だろうか。
有史以前から使われてきた意思表示が、現代になってもずっと使われているのだから。
——神すらが肯定する解決方法。
だからこそ安易に頼ってはいけないと自制して、自らを理性で律するのが人間だとアリスは考えている。
そしてそれの大切さをよく理解している少女が、一目見ただけの少年を酷く気にしている。
……何か、引き付けるものがあるのだろうか?
らしくない行動をする少女が年相応に見え、アリスは彼女の少年探しを手伝う事を決めた。
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