第10話 談話

 部屋を出る前に姪にされた、ある相談内容に頭を悩ませながらアリスは部屋を出た。鍵がしっかりと掛かっている事を確認してから、とりあえず一回の食堂へと足を向ける。

 姪から聞いた話では、殆どの客が食堂か談話室に集まっているとの事。正直な話、アリスはそのどちらも向かうにしても気分は乗らない。けれど一度も顔を出さないのも、姪だけに対応させるのも悪手の様に思える。


 一階に降りたアリスが玄関ホールに出ると、そこに置かれた待つためのスペースに昨日の『C』と『D』と『I』が座っているのが見えた。あちらもアリスに気が付いたらしく、アリスが軽く頭を下げると返礼をしてくれる。


「おはようございます」


「ああ——、『М』さん、おはよう。とはいっても外は真っ暗だけど」


 『C』が物おじせずに真っ先に挨拶を返してくれる。初対面が姪のナンパ現場だったせいで、印象はお互いに良くはないのだろうが、昨晩の態度と今の反応を見る限りは、そういった事を引きずる性格ではないようだ。


「……おはよう、ございます……」


 『D』の顔色が悪く、その声に覇気も無い。明らかに調子が悪そうな様子にアリスは僅かに眉を顰めた。それがただ気分の問題ならばいいが、本当に肉体的な体調不良であれば、ホテル内に備蓄されているであろう一般流通の医薬品でどうにかするしかない。

 大事でなければいいがと、アリスは不安を表情に出さない様に心掛ける。


「おはようございます」


 『I』の様子は強いて言えば、昨晩の高いテンションが元に戻ったという所だろうか。おそらくは極度の緊張でアドレナリンが大量に出ていたのだろう。そうでなくては、あの状況下であれほど行動的にはならない筈だ。

 全員への挨拶が一通り終わった所で、アリスは気になっている事を尋ねてみた。


「『D』さん。顔色が良くないようですが、体調が芳しくないのでしょうか?」


「!……いえ、大丈夫です……。少し気怠いだけですから」


「それならば良いのですが、あまり無理なさらずに、早々に薬などに頼った方が良い。どこかに保管されているでしょうから」


 おそらくは他にも指摘された後だったのだろう、『D』は申し訳なさそうに頭を下げて礼を示した。


「一応は持って来ていた風邪薬を飲んだので、少しすればマシになると思います」


 力無げに口元に微笑みを浮かべた『D』に、隣に座る『C』が昨晩と変わらぬ様子で声をかける。


「ほら、やっぱりすぐに分かるぐらい体調悪いんだって。部屋に戻って寝ておいた方が良いって」


「……一人になるのが嫌なの」


 どうやら体調不良を押して此処にいるのは、部屋で独りっきりで籠るのが嫌だったからのようだ。確かにこのホテルの客室は防音設備がしっかりとしているおかげで、隣室と上階と下階の音はほとんど聞こえてこない。

 優秀で安全と言えばそうなのだろうが、この状況下では防犯としての安心よりも、精神的な孤独感をより強く感じさせることになる。


「マジで悪くなったら行ってくれよ。あんたさえ良かったら、少しぐらいなら部屋にいるぐらいはしてやるから」


 『C』はそう言って口元に笑みを浮かべて笑いかけた。『D』のしかめっ面が少しで和らぐ。確かに軽薄な面もあるようだが、その実やる事はきっちりとやる青年らしい。そういえば一度注意をしてからは姪から彼の話を聞かないので、なるべく近づかない様にしているのだろう。

 人間の良い部分を知れることは、とても良い事とだとアリスは思っている。日常性格ではどうしても人間な嫌な面が目につく事ある。だからこそ良い物がが、とても美しいと思えるだろうと考えている。


 ——人間なのだから、良い部分も悪い部分もあって然るべき。


 そんな二人に口を挟むのもはばかられるので、アリスはぼんやりと傍観し徹している『I』に昨晩の事を聞く事にした。


「——昨晩に見つかったスタッフの事ですか?」


「——ええ。私はスタッフが助け出されたのを外で確認した後、一旦部屋へと戻りました。ですので、その後の事は詳しくは知らないで、教えた頂きたいと思いまして」


 それを横で聞いていた『C』が、アリスにちらりと見てから口を挟んできた。


「そういえば部屋から出た時、『М』さん、いなかったっけ……」


 自分から話しかけてきたので、会話をしても大丈夫だろうとアリスは『C』へと顔を向ける。


「はい。部屋に姪を残していましたので、私は部屋に戻る事にしました。後の事はどなたかに尋ねればいいと思いましたので」


 スイートルームには人が押し寄せていて、かなり圧迫感が強かった。部屋の広さからすれば、その場にいた全員の収容は可能ではあっただろうが、アリスは人の群れの中に自ら飛び込む事を避けたかった。

 もちろん姪が心配で部屋に戻りたかったのも事実だ。だが、この心配はどちらかと言えば、少女が勝手に部屋を抜け出してしまわないかという能動的なものだ。


「あー……、そういえば少し前に、姪御さんがあちこちうろうろしていたのは見かけた。一人でである事を注意してる人もいたし、それなりに注目はされてたんじゃないかな?多分、此処の客の中では一番若いと思うし、——気を付けた方が良い」


「私もそう思います。ああ見えて活動的というか、時折予想だにしない行動力を見せるものですから」


 具体的には攻撃性と言ってもいい。見た目は可憐で楚々とした少女なのだが、いざとなれば激しい攻撃的な一面を見せる。大概アリスはそれに付いて行けずに呆気に取られて取り残されてしまう。


「一応は同じ女性ですから、何か困った事があれば仰ってください」


 弱々しい微笑みを浮かべた『D』がそう言ってくれたので、アリスは胸に手を当て一礼して感謝を述べる。

 彼女の言う通りで女性の人数はそう多くは無い様で、アリスが確認した限りでは、少女と『D』と『B』部屋の女性と、昨晩扉の穴に手を突っ込んでいた女性しか見ていない。


「『М』さんって、何と言うか動作が紳士的というか、誰にでも礼儀正しいよな」


 『C』から向けられる視線は嫌なものではなく、単純に尊敬の念を含んだ感心している物だった。周りにアリスみたいなタイプの人間がいなかったために、物珍しいという事もあるが。

 褒められてはいるのだが反応に困ったので、とりあえずアリスは曖昧な微笑み浮かべて置いた。


「……話は戻りますが、部屋の中で何があったか教えて頂いて宜しいでしょうか?」


 かなり話が逸れた事に気が付き、アリスは方向を元に戻す事にした。ちらりと『D』の様子を窺ったが、彼女も此処に残るらしい。昨晩の事を思い出して負担ではないかとも思ったが、彼女がそれを望むのであれば口出しをするのは野暮だろう。


 『I』の手による消化斧の攻撃によって扉を壊れ、その傍に居た比較的腕の細い女性が破れた扉の穴に腕を突っ込んで開錠を行った。その際に木の破片で手を切ってしまったようではあったが、それに構う余裕がなかったため、手を引き抜いてすぐにノブに手をかけた。

 抵抗なく開いた扉に、周りの宿泊客達が歓喜の声を上げるのを放置して、先に行くとする女性を呼び止めて、代わりに『C』と『I』が先に部屋の奥へと向かった。

 恐怖心も躊躇う気持ちも持ってはいたが、扉を破壊した時点でいまさらという話だ。音と呻き声のする方へと向かうと、独立した部屋の中にあるベットルームの方から響いてくる。

 『C』は広いリビングに置かれているベットを一瞥し、流石はスイートルームと見当違いな事を考えながら、個室の扉を開いてベットルームへと踏み込んだ。

 ベットルームはその名の通りに、ベットとサイドボードと備え付けのクローゼットがあるだけ。折れ戸が中途半端に開かれており、間から制服を着た従業員らしき男が倒れていた。

 上半身だけクローゼットの外に出した男は後ろ手に縛られ、脚も拘束され、目隠しと猿轡をされている状態だった。必死にもがいたせいで息が上がり、必死に息を吸おうとしているが、猿轡が邪魔をしているせいか、苦しそうなうめき声をあげている。

 『C』が真っ先に駆け寄り、力ずくで猿轡と目隠しを外すと、従業員はぷはっと声を上げて必死に呼吸を繰り返した。その横で立ち尽くしている『I』の手に持っている消化斧に視線をやり、『C』は消化斧を渡すように言うと、『I』は呆けた顔で視線を斧と『C』の顔を交互に見る。


「斧で紐を切るんだよ」


 それで我に返ったらしく、『I』は屈みこんで従業員の手足を縛っているロープに刃を添えて、上下に動かして切断し始める。横でいた『C』はもどかしく思ったが、縛られている人を傷つけない要するにはこちらの方が良いと思い直し、『I』の行動を見守った。

 従業員が反射的に暴れようとするので、『C』が力づくで抑え込み、「動くな!」と叫ぶ。

 ロープを構成する編まれた繊維が一本一本途切れていき、やがて一本のロープを切断するに至った。

 『I』は足のロープが切れてすぐに後ろ手に回された手のロープの方へと移動して、切断に取り掛かる。『C』が従業員を押さえるので手一杯な事を察した客の一人が、切れたロープをほどいていく。

 やがて手の拘束も解かれた従業員は目を開き、周囲の状況を確認すると驚いた様子で目を瞬かせた。


「あんた、確か迎えをしていたホテルマンの一人だよな?他のスタッフは何処に一旦だ?」


 『C』の問いかけにホテルマンの視線が彼の方を向き、再び自分を取り囲む宿泊客達へと向かう。状況が呑み込めず、困惑仕切りのホテルマンに構う余裕など、この場にいる人間達には無かった。

 『C』が声を上げた事が呼び水となり、その場にいた人間達が口々に声を発し始める。


「人が死んでいる!警察と医者を呼んでくれ!」


「他のホテルスタッフは何処にいるんだ?」


「誰にやられたの?」


「助けを呼ばないと!」


「何がおきているの?」


 混乱が支配するその場所で、ホテルマンもその場の雰囲気に飲み込まれていく。


「——知らない!いきなり後ろから襲われたんだ!他のみんなは?今は何時だ?」


 すぐ傍に居た『C』と『I』には聞こえたが、部屋を満たす叫び声に遮られて距離のある他の客には届かない。絶えずに向けられる叫び声に混乱が限界に達したのか、ホテルマンは不意に意識を失ってそのまま気絶してしまう。

 そのせいでの場はさらに混乱の渦に呑まれてしまい、収拾がつかない状況になった。

 『C』はホテルマンに声をかけて、頬を軽く叩いては見たが反応はない。怪我人の体を揺するのは良くないという知識は辛うじてあったので、とりあえずは『I』に声をかけて足を持ってもらい、『C』はホテルマンの脇に腕を回して、何とか二人がかりで彼を傍にあるベットの上に移動させた。


「とりあえず静かに——!」


 『C』は腹に力を入れて叫び、それを聞いた他の客が口を噤んだのを確認してから、騒いでも無駄だという事を伝え、とりあえずは交代で見張りをして様子を見ようと訴えた。

 他の客達は無言で傍に居るものと視線を交わし合い、どうしようかと戸惑っている様子ではあったが、鍵のかからない部屋にホテルマンを放置するのも、状況が分からない状態で彼と二人っきりになる状況も避けた方が良いと伝えると、おずおずと他の客達は納得を示してくれた。

 とりあえずは言い出しっぺだからと『C』が最初の見張りを志願し、残り二人ほど交代要員で残ってくれるように伝える。幸いにも『I』と先ほどロープをほどくのを手伝ってくれた『H』が手を挙げてくれた。

 そうしてその場で適当に三人組を作り、次の日の交代要員としてきてくれるように頼みこみ、その場は解散となった。


「……という事は、お二人は徹夜明けという事ですか?」


 そう言われてよくよく見れば、『C』と『I』の目の下にはほんのりと隈が出来ており、心なしか草臥れて見える。


「一応交代で数時間ずつ睡眠はとったんで大丈夫です。さっき別の組に交代してもらったばかりです」


 『C』が大丈夫だとから笑いをするのを、アリスと『D』が心配そうに見つめている。隣にいる『I』にもアリスは「ご苦労様です」とねぎらいの言葉を向けると、彼は照れ臭そうに微笑んだ。


「ああ——、では私もその交代要員に参加しましょう。中には部屋から出る事や見知らぬ他人と同じ部屋に籠る事を拒否する人間も出てくるはずです。予備の人員がいるに越した事はないですから」


「それはありがたいとは思うけど……。姪御さんは放置して大丈夫?」


 『C』がどことなくばつが悪そうなのは、初日にナンパをしたという後ろめたさがあるせいだろう。

 先ほどの話を聞いた感じでは、『C』は意外と他人を思いやる協調性と、他人を動かすリーダーシップを持ち合わせている様だった。

 実際に今もアリスの事を気にかけているし、体調の悪そうな『D』の事を心配している。

 一方『I』の方はどちらかと言えば、『N』と同じマニュアル人間——というよりは指示されないと動けないが、されればすぐに行動に移せる思い切りのいい人間の様だ。実際に昨晩は『C』と共に率先して動いていた様だった。


「私がいない間は部屋を施錠して、決して部屋から出ないように言い聞かせますし、納得しないのであれば、私と共に見張り要因になればいいので大丈夫です」


「……まあ、親しい人といる方が安心ちゃ安心だからな」


 どうやら『C』は姪の事を心配している様だが、その心配は大概は杞憂に終わる事が多い。なぜなら彼女はいざと躊躇う事をしない。そんじょそこらの男共に負けるほど柔ではないとアリスは知っている。


 ……正面切って戦った場合、間違いなく自分が負ける自信がある。


 いい年の成人男性が情けない話ではあるが、現実的にそうなるので、アリスは素直にそれを受け止めるしかないと、顔は優雅な微笑みを称えながら、心の中では盛大なため息を吐いた。

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