第12話 雑談
姪の少女と共に立ち去るアリスの背を見送り、『C』は元いた場所へと戻ってきた。先ほどよりも少し顔色が良くなった『D』と、やはりアリスの背中を視線で追っていた『I』は、自然と視線を『C』へと向ける。
「『D』さん、少し顔色良くなったみたいで良かった。調子が戻ったら、とりあえず何か口に入れておいた方が良い」
『D』が今朝から体調が優れない事を気にかけてくれる『C』の言葉が、こんな状況だからこそありがたく感じる。
元々は昨日の昼頃に、食堂で独りでお茶をしている所に声を掛けられた。
初対面の印象は緩くて軽そうな男ではあったが、何か変わった事をしたいと思っていた『D』は一緒に昼食をとる事にした。
「なんかね。一人になりたくてここに来ちゃったんだけど、なんかすごく暇でさ、寂しいって言うか……誰かと話したくなっちゃった」
旅先で出会った相手であれば、礼儀さえ弁えればお互い適切な距離を保ちながら楽しむ事が出来るし、その場限りの付き合いだからこそ今後の人間関係に気を使わなくて済む。
『D』には『C』が求めているのは、本当に何のしがらみも持たすに話せる相手なのだと感じた。そしてそれは彼女が欲しかったものな気がした。
『D』は自他ともに認める、普通に生きてきた人間だ。そこそこの学力でそこそこの学校を卒業して、それなりの友人と人間関係を作り、地元の中小企業に就職をした。今はいないが一時期は恋人もいたし、仕事仲間とも上手くやってきた。
色々な事に不満もあるし、上手くいかない事もあったが、それでも今の自分にそれなりに満足をしていた。
たまたま連休中に予定が無くて、ゴロゴロして過ごすかと思っていた矢先に礼のプレイオープンの招待状が届いた。多少怪しく思ったので、ネットで調べて送り主の企業のお客様センターに尋ねてみたところ、いくつかの質問をされた。どういう招待状が届いたか、招待状にふられた番号を聞かれて応えると、それが本物だという返答があり、ならば折角の機会だからと参加する事にした。
結局のところ、自宅でごろごろするかホテルでごろごろするかの違いしかないのだから、多少は他人の目に気を使うにしても参加しない理由はない。
こうして『D』はホテル『ラビリンス』を訪れる事になった。
『D』は恋愛脳でもなく、かといってそういった事に興味がないわけでもない。かといって異性と積極的に関わっていくかと言えば、そうい事も無い。無理に恋愛をするつもりがないだけで、何時か傍に居てほっとして、お互いの事を尊重して思い合える相手と出会う事が出来れば運が良い、ぐらいに思っていた。
「——実を言うと『D』さんの前に女の子に声をかけたんだけど、断られちゃった。まあ、俺もちょっと強引だったって反省した。何か、知らない場所ですっごく不安になったもんで、年が近そうな連れが欲しくてさ」
「ふふっ。わたしは二人目の女ってこと?」
冗談めかして笑いながら問いかけると、『C』はばつが悪そうに頭を掻いた。
「ごめん。なんか廊下をうろついているのを見かけて、何となく話しかけたくなった」
喋る速度も話し方が変わる事も無く、詰まる事も無く話しているので、おそらくは嘘ではないのだろう。『C』がとんでもなく嘘が上手いロクデナシでなければの話だが。
けれど不思議とそこには誠実さが感じられて、彼の人柄を『D』は何となくだが気に入った。
「わたしも丁度暇をしていたところ。貴方と一時の過ちになるかは分からないけど、それでも良いなら付き合っても良いけど」
『D』の返答に『C』は素直に嬉しそうに笑い、「よろしく」と行って握手を求めてきたので、それに答えた。
知人以上の友人未満な関係性ぐらいが丁度いいと、『D』は久しぶりの休暇を『C』とともに楽しむ事にした。
「——そういえば、初日にナンパして玉砕した人って、『М』さんの姪御さん?」
何となく気を使われすぎるのもよろしくないので、話題を変える事にした『D』は出会った時に言われた言葉を思い出しながら尋ねると、『C』がばつが悪そうに頭を掻いた。
「やっぱり分かる?ちょっと強引だったなと反省している。『М』さんに見つかって牽制された」
「……そりゃあ、そうなるでしょう。一応、保護者みたいだし」
「でも、珍しいですね。叔父と姪で旅行なんて」
今まで二人の会話に口を挟まず見守っていた『I』がぽつりとつぶやいたので、『D』はそれに同意を示した。
「確かに。幼い子供でも、ちょっとどういう状況?って思うけど、あの年頃の女子と成人男性が一緒に居ると変な感じはする」
『М』の姪はおそらくは成人はしていない。もしくは現役の女子高生ではないかと『D』は考えていた。
『М』は親にしては若すぎるし、恋人にしては年が離れている。姪というのが本当であれば、肉親だからこそ余計に関係性が分からなくなる。
「わたしはあれぐらいの時は、親戚との距離感はもっと遠かったし、叔父さんの事は嫌いではなかったけど、同じ部屋に泊まるのはちょっと遠慮したいとは思う。『М』さんぐらいイケメンでも、やっぱりそこはね」
親戚で顔が良くても、異性との付き合いはある程度考えるだろう。変な誤解を招きたくはないのであれば、「姪」という呼称ではなく「妹」の方がしっくりくるし、あらぬ疑いを向けられないだろうと、『D』は首を捻る。
「——多分だけど、姪っていうのは本当だとは思う。誤魔化すなら「妹」とかいえばぎりぎり納得できるし。あえて「姪」って名乗るのは本当で、本人達は家族という意識が強いんだと思う。もしかしたら一緒の家に住んでいるんじゃない?」
『C』が『М』を擁護する事を口すると、『I』が怪訝そうに視線を向けてきたので、『C』は彼の方を見て自分なりの考えを口にする。
「何というかさ、『М』さんはあまり人付き合いが好きではないのだと思う。礼儀正しいけど、それって距離を保つための手段でもあるわけだし。もちろん一日や二日顔を合わせただけの人だから、それが確実なわけではないけど。けど、そういうの苦手な人は、もっとこう……人の目を気にして疑われたり詮索される様な事はしないと思う」
「あー、確かにそうかも。わたし達も詮索しているから人の事いえないけど、もっと言い方を考えるよね。あんまり嘘が得意じゃないのかも。人付き合いが苦手ってことは、そういう風に取り繕うのが下手なのかも」
「ああ——、確かに『М』さんは誠実そうですね」
「確かに、なんか教師みたいな雰囲気してるし」
『I』の台詞に『C』は同意して、うんうんと頷く。
「その割には髪の色が目立つけどね。染めてるようには見えないから、地毛なのかな?ハーフアップが妙に似合うのは顔が中性的だから?」
『D』はアリスの灰色の髪の毛を見た時の自分を思い出し、普通に目立つだろうなと思った。それは彼女だけではなく、『C』も『I』も同じらしい。
「生まれつきか、そうでなかったらストレスとかで色が抜けたのかも。俺の知り合いにも居るんだけど、すっごいストレスで髪が白髪になった人。しばらく休んで戻ってきた時、ああいう感じの髪色していた」
「髪が黒いってメラニンのせいでしょう?ストレスで自律神経が乱れたり、睡眠不足で体内のホルモンバランスが崩れると白髪が増えるっていうね。メラニン色素が薄いいから灰色に見えるのかも」
「言われてみれば、『М』さんは肌の色かなり白いですね」
アリスは元より色素が薄かったのだが、画家の仕事のせい屋内にこもりっきりになる事もしばしば。そのせいで一般男性よりも肌が白く、尚の事不健康そうに見える。
さらに言えば、此処数日で多少は睡眠の質が改善したお陰で、血色がかなり良くなっている。
「あの白さは、女としては羨ましいかぎり」
「そう?『D』さんの肌も充分に白いと思うけど。……今は青白くて幽霊みたいだけど」
一言余計だと『D』が文句を言うと、『C』は「ごめん、ごめん」カラカラと笑う。
「でも、病弱そうだと気を使って疲れない?やっぱり健康第一。一緒に遊んで、美味しい物を食べて、そういう時間を共有出来る方が良いに決まっているでしょ」
『C』は『D』が文句を言えるほどに回復してきた事を確認すると、少し声量を下げて、辺りを窺いながら真剣な顔で話を切りだす事にした。
「……話は少し変わるんだけど……ぶっちゃけて聞くけど、昨日の『あれ』、内部犯だと思う?それとも外部から来た犯人が潜んでいると思う?」
本当はアリスがいる時に話したかったのだが、話を切り出すタイミングを計っている間に、少女が来てしまったために断念した。『C』としては、年頃の未成年の女の子に聞かせたくないと思っていた。
「……この状況下で、他人を疑うのは避けたいけど……この訳の分からない状況ならワンチャン外部犯という可能性があるかも」
推測というよりはそうであって欲しいという『D』の意見も最もだ。いらぬ争いの火種をまく行為は避けるべきで、内紛が勃発して隣人を四六時中疑わなければいけなくぐらいならば、みんなで団結して外部犯に備える方がよほどましだ。
「……ですが、死体が発見された後、既に外に出られなかったんですよね?少なくとも犯行前には侵入して、犯行時刻まで潜んでいたとは思えませんし、十一時前まではスタッフがあちらこちらに居ました」
『D』の希望的観測は『I』の正論でで打ち破られてしまう。
「何処にもスタッフが居ないから、外に出ようとしたら扉がビクともしなかったですし」
「……俺も試したけど駄目だった。見張りの交代が着た後、三階のテラスを開けようとしたら駄目でビクともしなかった」
その時を思い出して苦々しい顔をする『C』に、『I』もため息を吐く。
「いっその事割ってしまう方が良いのかもしれません」
それはもっともな意見はあるのだが、客達は得体の知れない物に囲まれた状況で、外を隔てている扉や硝子窓を破壊する事に躊躇っている。もしも破壊したとたんに、外から何かが入ってきたら——。
「なかなか大胆なことしますよね。『I』さんって。……やっぱりそうなると見つけた従業員がなんか知っている事に賭けるしかないのか―」
「拘束されて閉じ込められていたわけだから、少なくとも犯人じゃない筈だしね」
『C』はスタッフを縛っていたロープを目撃しているのだが、ぎっちぎっちに結ばれていて、流石にあの状態での縄抜けは難しい。抜けられても一人で自分の体を同じように縛るのは無理だろう。
「それこそ、あそこにある絵画みたいに、『ミノタウロス』でもいれば別だろうけど」
未知の怪物と傍に居る人間、どちらの方がマシなのだろうと『C』は頭が痛くなってきた気すらしてくる。
「——でも、本当に不思議だよね。『アルファ』棟の誰も物音一つ聞いていないんだから。襲われたら普通抵抗するか大声上げると思うんだけど」
少なくともこの場にいる三人は、今までの人生でそんなやばい奴に出会った事が無いために、実際に出くわした時、どんな反応をしてしまうかはなってしまわなければ分からない。
襲われたのであれば、何らかのアクションを起こすものだろう。すぐ傍に人がいる部屋があるのだから、助けを求めれば寝ていない人間が誰かしらが救助を呼ぶぐらいはしたはずだ。
『アルファ』の棟の『C』と『D』は、他の客の悲鳴であわてて部屋の外に出て、遺体を発見した。最初に発見したのは『B』だったはずだ。彼女は恋人とともに参加をしていて、今は彼と共に部屋に引きこもっている。
「——言いたくないけどさ。もし、よくミステリー小説である見立て殺人みたいな物だったら、やっぱりアルファベット順に殺されたりするのかな?」
『C』が顔を顰めて躊躇いながらもそれを問いかけた。
「やめてよ。それだと『C』さんが三番目で、私が四番目って事になるじゃない」
「そうですよ。縁起でもないですよ」
他人ごとではない『D』が眉を顰めて咎めてきた。『I』も不謹慎だと注意してきたが、これに関しては順番的にはまだ彼は猶予があるので、他人事という気分が残っているのだろう。
「それでいうなら、『М』さんは最後って事になるけど」
最後だから気楽でいいなというニュアンスで『C』は肩を竦めたが、場の空気が悪くなったのを察したのか「ごめん、冗談だから」と慌てて謝った。
「不謹慎序でに言っておくけど、逆に言えば俺が生きている間は、他の人が安全という事だと思わない?俺、結構しぶといよ?」
今度は胸を張って堂々と言い放った『C』に呆れながらも、『D』は彼の事を頼もしく感じて、彼女の中にあった不安が薄れていくのを感じた。
気恥ずかしそうに頭を掻きながら視線を逸らす『C』が妙に可愛らしく見える。
「……それが言いたかったの?——ありがとう」
くすくすと『D』が小さく笑うと、『I』は仕方がないという風にため息を吐いたが、ずっと堅かった表情が少し和らいでいた。
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