第26話 視線のフェイント

全力ダッシュで体育館まで行った俺は、扉をあけ放ち彼女の存在を確認するや否や、腹の底から声を絞り出した。


「城崎さんっ!!」


久しぶりに出した大声は、それはもうひどいくらいに枯れていた。ちょっと上ずっているし、ここまで走ってきた影響か聞き取りづらい変な途切れた声。三軍用の体育館に、馬鹿でかく変に響き渡った俺の声は、体育館で練習していたメンバー全員の視線を集めるには十分だった。目的の少女も、「はひぃっっ!」と、何故か顔を赤くして期待したまなざしを、僕のほうに向けていた。

そっか、練習まだだったもんな。急がないと。


「今日もお世話になりますっ!」

「へぇ?」


ポカンとしている彼女をよそに、俺はテキパキと制服を脱ぎ捨て練習着に着替える。アップを手ばやに済ませて、手首の可動域の確認を終えると、未だ困惑の表情を浮かべている彼女に駆け寄り声をかけた。


「今日も練習よろしくね、城崎さん」

「えっ、あ、あぁぁ、うん。え、どうしたの、急に?」

「いや、実は先生と話をしてて、気持ちの切り替えが必要だと思ったんだ。俺も、しっかりと城崎さんのプレーから多くを学ぶ必要があるとね」

「そ、そう」


小声で「カントクゥゥ~~~」と言っていたけど、どうしたんだろうか。まぁ、彼女も必死にバスケをしているメンバーだからなぁ。俺程度の人間との練習だと、正直微妙なんだろうな。


「ねぇ、城崎さん」

「な、何かな?」


ん?まだ顔が赤いな、大丈夫かな?手でパタパタと風を送っているけど、それは効果があるんだろうか?照れ隠し的な行動だけど、まさかこの状況を見られるとまずい選手がいるのか?

それは、困った。彼女には俺の練習を手伝ってもらわないと困るしって、そうじゃなかった。


「今日からは、俺には手加減要らないからね?」

「へぇ」

「っ!」


ゾワリッと背筋が凍り付く感覚。ニヤッと笑ったわけでも、表情が急に固まった訳でもない。そのままの彼女がそこにいるのに、二つの瞳とそこに宿る意志だけがこれまでの彼女とは全く違うものになった。

それは、試合中の選手が時折見せる殺意。明確に敵と定め、挑戦的な笑みを浮かべ、敵を正面からたたき倒す、超えていくという強い意志と覚悟。それを、彼女から近距離に向けられて、俺はとても強く惹かれると共に、やはり手抜きされていたんだと、ちょっとだけ悲しくなった。

まぁ、それ以上に燃え上がる闘士が抑えきれないんだが。


「うん、早くやろうか」

「よろしく、城崎さん」


タタッと小走りにボールを取り、僕は彼女にパスを出す。受け取った瞬間に、いつでも攻めることができるように腰ダメに構えると、彼女はいくつか視線のフェイクを入れた。チラリと確認するほどの、本当に僅かなものだった。

そう、誤解していた。


「くっ!」

「アハッ」


思わず漏れた声は、苦悶の声と楽し気な笑い声。言うまでもなく、俺は彼女にあっさりと翻弄されて、抜き去られてしまった。

視線フェイクだけで、ここまで騙されるとか、初心者なのか俺は。


「まさか、目線だけのフェイクにここまで騙されるとは思ってなかったよ」

「視線は重要だからねぇ」

「はぁー、やばいなぁ」


フェイクというのは、個人技では非常に重要だ。僕のように、速度も高さもない選手は、特にそのフェイクをどのように扱うのかでプレーの幅が変わる。サッと一瞬で抜き去るには、相手にたくさんの選択肢を与えなければならない。

極論、敵の思考を極限まで使わせて虚を突くことができれば完璧に抜き去ることができる。その後、圧倒的な敏捷性で追いつかれたらどうしようもないけど。


「明らかな視線フェイク、細かな視線フェイク、つりようの視線フェイク。俺からしたら全部フェイクだったけど、そのうち偽物なんて実は一つもないんでしょ?」

「うん!さすがは夏樹君だね」


種は簡単だけど、だからって簡単に攻略はできない。確かに、俺に圧倒的な運動量や敏捷性があれば、攻略はできるだろう。これは、そういった類の小さな小手先技術で、彼女のしなやかさが成す技の一つだ。僕のドリブル、シュートフェイクと同じだけど、動作の小ささと切り替えの早さが段違いに違う。

簡単にできるように見えて、フェイクとして使えるまでに昇華するのは至難の業だろう。それこそ、なんでこんな技術を磨いたのか疑問なくらいだ。ただ、決して無駄なものではない。


「で?君は、私のこの技は、簡単に攻略できそう?」

「う~ん、視線でのフェイクをここまで追求したことはなかったからね。でも、うん。素直に称賛できるけど、要は動くのをちゃんと待てばいいんでしょ?」

「それができるといいね?まぁ、次は君の番だよ?」


楽しそうに笑う彼女を前に、俺はどうやって攻略するか思案し続けるのだった。何度も互いに技をぶつけ合い、そのたびに楽しそうに笑いあう。もちろん悔しいし、一瞬でも早く、一回でも早く彼女の行く手を阻んでみたい気持ちが抑えきれない。

自分でも理解している、この闘志こそが彼女の攻略を最も邪魔している要因であると。故に、難しい。


「夏樹君、今日はこれが最後だね」

「うん、ありがとうございました。また明日も、よろしくお願いします」

「あはは、こっちこそだよ。私、全然勝てなかったし」

「いや、最後のほうは何本も止められたんだけど………」


この日、1時間にも及ぶワンオンワンを続けたが、俺はついぞ彼女の技を攻略することはできなかった。対照的に、俺の攻撃は何度も彼女に阻まれることになり、圧倒的な敗北を経験することになった。

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