第16話 糸前さんと糸前ちゃん
練習が終わり、俺はあらかじめ指定されていた駐車場に向かう。そこには、教員が利用している車のほかに、数台の来賓・来客用の駐車スペースがある。そのスペースの一角に、黒光りするセダンが一台堂々と止まっていた。
見覚えもあるし、どこか怪しい雰囲気を纏う車が母親の趣味であることも知っている。
「やぁ、禅定君。待っていたよ」
「お久しぶりです、糸前さん」
車から降りてきて、片手をあげるやさし気な叔父さんに俺も片手をあげて答える。この人が、糸前裕さん。事故から庇った子供の、父親だ。
「さ、乗ってくれ。娘が家でうるさくて仕方ないよ?」
「それは、またずいぶんとなつかれてしまいましたね」
「ほんと、困ったものだよ。君が帰った途端に、寂しいと言い続けるのだから。まぁ、それよりも一つ困った問題があるんだけどね」
「?」
影を落とし、困ったというよりは悲しみを携えているように見える。この人、時折何があったのか心配になるほど落ち込むから、話すときには注意が必要なんだよね。
「僕は、君よりも娘たちから重要視されていないんだけど」
「それは毎日会えるので、仕方ないのではないですか?本当に大事なものは、いつも近くにあるから気が付かないのですよ」
「そうか、うん。そうだね」
何か悪いことでも言ってしまっただろうか?バツが悪そうにして、「じゃあ、行こうか」という合図で、僕はシートベルトを締めた。
なんだか、ちょっとだけ暗い雰囲気が俺のほうにも伝搬してしまい、どんよりとした車での移動になった。
「じゃあ、禅定君は僕の後に続いてね?危ないから」
帰宅するのに危ないなんて物騒なと思ったが、過去この家にお邪魔した感じ否定ができない。俺が来るとき限定なのか知らないけど、ミサイルが飛んでくるからな。「ただいまぁ」「お邪魔します」とおじさんの後ろに隠れて入っていくと、「いらっしゃーーーーい!!」と、小さなツインテールミサイルが飛んできた。
「うごぉぉぉうっ!!」
「あれ、よけられたね。ごめんね、禅定君」
「いらっしゃい、夏樹君っ!!って、ちょ、加奈っ!?」
「あらあら、相変わらずねぇ、加奈は。雪は、抱き着かなくて大丈夫?」
奥から現れた、おっとりとした雰囲気をしている人が、奥さんの由美さんで、もう一人の俺と同じ年齢の、黒髪ロングの美女が加奈ちゃんの姉の雪さんだ。雪さんは俺とは違う高校に通っている。
雪さんは由美さんに揶揄われて、顔を赤くしてワチャワチャと手を振り回している。なんだ、和む。そして、腹もとに抱き着いてきた加奈ちゃんが、地味に痛い。この子、既に中学二年生なんだが......。
「ほら、二人とも。玄関で停止してないで、中に入りな?加奈も、今日は禅定君とご飯食べるんだって、準備したんでしょ?」
「はっ!そうだった!あのねっ!加奈準備手伝ったんだよっ!今日はお母さんだけじゃなくて、私との合作なの。楽しみにしててね?」
「あはは、ありがと。うん、おいしそうな匂いがしてるし、楽しみだね」
パッと俺から距離をとると、しっかりと右手をつかんだまま「早く早く!」と急かされる。なんだろう、この子。純粋というか、怖いもの知らずというか。でも、しっかりと中学二年生らしく、俺の片足がないことを気遣って急かすことはしても、実際に手を引っ張っていくことはない。
ありがたいけど、できれば急かすのもやめていただきたいな。
加奈ちゃんと仲良く手をつないで廊下を歩き、「手を洗ってきなさいっ!」と由美さんに怒られた俺たちは「あははっ!」と仲良く笑いながら洗面台へ向かった。
うん、俺は確かに手を洗う必要ありそうだけど、加奈ちゃんまで怒られるってことは、俺も菌扱い?ちょっと悲しい。
「料理、おいしかったです。すごいです」
「ふふっ、君はいつもおいしそうに食べてくれてうれしいわぁ~」
「いえいえ、何度もこうしてご相伴に預かってしまい、申し訳ありません。その、いつも本当にうれしくて、助かっています」
「あらあら」
まるで可愛い子供を見るような目で見られて、どうにも居心地が悪い。でも、この人の作るごはんがおいしいのは本当。そして、温かいご飯というのを食べたのも、初めてで、こうして揶揄われることを理解していても、断り切れずに立ち寄ってしまう。
そんな、自分の弱さが嫌いだけど、自分の素直な心の声に従うことはやめられなくて。そして、一度この味を知ってしまうと、蛇が巻き付いてしまったかのように取ることができない。
底なし沼に匹敵する魅力が、ここにはあった。
「ぶー、私だって料理頑張ったのに」
「いや、、加奈ちゃんが作ってくれた唐揚げと海藻サラダもおいしかったよ?海藻サラダのソースは、初めて食べた味だったけど。あれ、ヨーグルトを基本にした自作でしょ?」
「えっ!?わかっちゃうの?すごいなぁ~。うん、私の好きなやつなんだぁ~」
彼女の作ってくれたヨーグルトドレッシングは、新鮮な味だった。話を聞きだしてみると、「はちみつ、レモン汁、オリーブオイルが決め手だよ~」と、間延びした声で教えてくれた。なるほど、ヨーグルトは生で食べる以外にも食べ方があったのか。
「勉強になったよ、物知りだね」
「あはは、女の子ですからねぇ~」
「とか言いつつ、ものすごく下調べしてたくせに。料理だって、私よりも全然しないじゃない」
「あっ!おねぇちゃん、それは言ったらダメな奴だよっ!!」
「確かに、前食べた雪さんの料理もおいしかったなぁ。二人とも、由美さんの血をちゃんと引いてるだけはあるね」
「あ、ありがとう」
「フフッ。おだててもこれ以上は何も出ないわよ~」
「あはは、二人とも禅定君に手玉に取られちゃってるなぁ。はぁ、うちの娘が家を出ていくのも時間の問題か」
大人二人がどこか変な雰囲気を醸し出しているし、おじさんの発言は聞かなかったことにしよう。うん、絶対に損をするからね、あの二人が。
そこからしばらく雑談を楽しんだ後、その話題は意外にも雪さんから告げられた。
「そういえば、練習試合をしたって聞いたんだけど、本当?」
「あれ、知ってたんだ?うん、本当だよ」
「「「えっ!?」」」
ああ、そうか。そういえば、この人たちにはバスケをしていることを話してなかったなぁ。
「いや、実はバスケなんてどうせできないだろうなって思ってたら、三軍の監督に拾われまして。最悪、マネージャーの仕事してそのあとにボール遊びできればなあって思っていたのですけどね。実際には、この義足とこの体でバスケができることになったんですよ」
「な、な………どうしてそんな大事なことを教えてくれなかったのっ!!」
「す、すみません」
も、ものすごい剣幕で怒られた。そっと隣に視線を向ければ、雪さんも加奈ちゃんも俺のことをジトっとした目で睨んでいた。
「まったく、そういう大事なことは連絡してくれ。僕たちだって、君の心配をしているのだから。君がバスケをしたいことは知っていて、そのためにできる支援は最大限していくつもりだ」
「いやいや、この義足を与えて貰っただけで十分ですよ。本当に、この足をもらえて僕は幸せです。おかげで、こうしてまた飛べる。バスケができるんですから」
「いやいやいや、そんなの当り前だろ?娘の命と比べたら、安いものだ。君の未来は、重たすぎるものだけどね」
「いえ、本当に。この義足、50万はくだらないじゃないですか。僕、そんなものかえるお金持ってなかったですから。バスケどころか、歩けるのか、明日生きる意味を見つけられるのか。そう思っていた俺にとって、この義足は希望でした。本当に。本当に、もう二度とバスケができないんじゃないかって怖かった。でも、この足を恵んでもらえて、これまでの人生が全て無駄になることは防げた。幸運だったんだと思います。義足があって歩けて、それだけで十分なのにバスケを望んでしまって絶望して。でも、実際にはバスケができた。それに、学費だって援助してもらっていますしこうして、時折ご飯を恵んでいただいている。十分すぎますよ」
まっすぐにその意思を伝えると、「君は……」と言って、おじさんは黙ってしまった。なんか、変なことを言っただろうか?親サイドはなんか絶句してるし、なんで加奈ちゃんは泣きそうになってるの?
「いや、うん。君がいいのなら、それでいいんだ。でも、僕らにできることがあれば、何でも言ってくれ。力になるから」
「はい、ありがとうございます」
とはいえ、これ以上お世話になるのは筋違いだと思うけどね。そう思ってのがばれたのか、「ちゃんというのよ?」「ちゃんと言ってね?」「ちゃんと教えてくれるよね?」と、女性陣から莫大な圧がかけられる。う~ん、清々しいまでに信用がないなぁ。
「ところで、実際問題どうだったんだい?」
「ああ、義足に慣れるまでは時間がかかったんですが、すごいですね。力をかけると思ったような動きはできないですが、基礎動作には問題ありません。ぎこちないですけど、走れるし飛べるし止まれるし、着地もできるんですから。やりもせずに勝手に絶望していた自分がばからしいですね。三軍の監督は「一緒に悩む」と言ってくれたのですが、自主練の時間を作ってもらい、練習にも容赦なく参加することでカバーできましたし。体力も、入院中のリハビリや退院後の自主練でかなり取り戻していた事もあって、何とか一試合だけ動ききれました」
話してみれば、スルスルと言葉が出てきた。そっか、俺は自分が思っているよりもこの足に感謝しているんだなぁ。うん、当たり前だよなぁ。おれ、バスケできることが本当にうれしいからな。
「監督には相談しなかったのか?」
「体の微調整をしたり、練習メニューを考えたりするときに相談しました。走り方、止まり方、飛び方、ディフェンスの動き方。動きやすさだけではなく、速度も意識した行動をしなければならないですから、一週間みっちり練習しましたよ。以前よりは数段劣りますが、ちゃんとバスケができたので後は練習あるのみです」
「練習あるのみかぁ。ちなみに、どれくらい練習したの、練習試合までに」
「んー、毎日三時間半の基礎練習かな。シュート、パス、ダッシュ、ディフェンス。どれも、可能な限りギリギリまで練習してたから、実は筋肉痛で死にそうだったよ。若いって便利だね、筋肉痛が数日で治るし」
いやほんと、無理な練習は全身筋肉痛の原因だ。ディフェンス練2時間という狂気の沙汰はもう二度とやらない。おかげで、一日で間隔戻ったし足の動かし方も何となく把握できるようになったけどさ。ダッシュ練習は自主練よりも、全体練習の中でできたし、ペナルティダッシュや筋トレは監督が俺用に考案してくれた。太ももなどの筋肉の鍛え直しして、体力の無駄を使わない方法を考える必要もあったしな。
「あの、それは無理してないの?」
「あはは、大丈夫大丈夫。雪さんも、心配しすぎだよ」
「本当に?君は、放置しているとすぐに無理をするからなぁ」
俺のリハビリを手伝ってくれた彼女は「知ってるんだからね?」と指を立ててアピールする。その立てられた指の数は4本で、一か月半のリハビリで気絶した数である。看護師さんに隠れてリハビリしてたら、気絶して雪さんに拾われたんだよなぁ。
ちなみに、これは二人の間の秘密だ。ばれたら、何をされることやら。
「はぁぁ、深くは聞かないでおいてあげる」
「ありがと、雪さん」
「むぅ、おねぇちゃんだけずるいっ!というか、その流れ絶対に無茶したじゃんかっ!」
「あっ」
あほみたいに分かりやすい墓穴を掘ってしまった………
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