4 危機に瀕して

ドーバーの空は重々しい雲に覆われ、戦闘の音が鳴り響いていた。イギリスの小さな町々、ドーバーとフォークストンの住民たちは、空からの脅威と海からの砲撃に怯えながらも、日常を保とうと努めていた。だがその日、長距離重砲の着弾音はいつも以上に激しく、エンジン音が不気味に響き渡っていた。


イギリス軍の偵察機が報告したところによると、昼間、ドイツの小艦隊が海峡に侵入しつつあるのが確認された。当初、これらの艦船はスペインに向かう通常の沿岸交通と誤解されていたが、諜報部はすぐにその真の意義を察知した。これはただの沿岸交通ではなく、ドイツの侵攻準備が進んでいる兆しだった。


その夜、イギリス空軍は何度かの迎撃を試みたが、ドイツ空軍の攻撃は一層激しさを増していた。12日には、イギリス空軍は26機の戦闘機を失い、18名のパイロットが命を落とした。さらに、いくつかの重要な飛行場が再びドイツの爆撃機による打撃を受け、地上で70機の航空機が破壊された。この損失は大きく、イギリス軍の士気を揺るがすものであった。


参謀総長は、イギリス政府の首相ウィンストン・チャーチルに対して、ドイツ軍の侵攻が差し迫っていることを警告した。夜間には、イギリス海軍と空軍による侵攻港に対する砲撃と爆撃が始まった。海と空からの猛攻により、ドイツ軍の準備を妨害しようとする試みであったが、ドイツ軍の進行は止まる気配を見せなかった。


一方、ドイツ側では、12日にはケッセルリンク将軍が指揮するドイツ空軍が31機の爆撃機と29機の戦闘機を失い、パイロット20名が戦死した。これにより、ケッセルリンクは、イギリス空軍の制圧がまだ不十分であるとして、予定されていたSデーを24時間延期することを要請した。Sデー、すなわちドイツ軍によるイギリス本土侵攻の開始日は、13日に予定されていたが、ケッセルリンクは準備が整っていないと判断したのである。


ケッセルリンクの嘆願は、レーダーに好意的に受け止められた。海峡がまるで池のように穏やかであったにもかかわらず、ドイツ軍の指揮官たちはアシカ作戦、すなわちイギリス侵攻作戦に対する恐れを隠せなかった。ゲーリングもケッセルリンクの意見を支持し、13日の天気予報は曇りと強風を伴うもので、ドーバー降下地帯に向かう空挺部隊が散り散りになる恐れがあると指摘した。


ヒトラーは、「翌日の天気予報が良好であれば」という条件付きで、14日までの延期に同意した。この決定は、ドイツ軍にとってわずかな猶予をもたらしたが、港で砲撃を受けている兵士たちや水兵たちにとっては、まさに苦痛の延長でしかなかった。


13日の朝、予報よりも天候が良く、ドイツ空軍は再び最大限の努力を行うことができた。侵攻海岸に向かう水路の側面には機雷が敷設され、イギリス軍の巡洋艦がシアネスから進路を取るのを妨げた。ドイツのHe 111爆撃機やJu 87スツーカが空を埋め尽くし、彼らはイギリスの戦闘機を一掃しようとした。イギリス空軍のスピットファイアやハリケーンは懸命に応戦したが、圧倒的な数に押され、次々と撃墜されていった。


その一方で、シュペルレ将軍の指揮する第3航空艦隊は、イギリス海軍を釘付けにするため、プリマスとポーツマスへの攻撃を集中させた。港に停泊するイギリス艦艇は、猛烈な爆撃を受け、甚大な被害を被った。


激しい戦闘が一日中続き、空と海は戦火で染まっていた。夜が更ける頃、ケッセルリンクは楽観的に戦況を報告した。彼は、第2航空艦隊の戦闘機が制空権を確保し、空挺部隊と水陸両用部隊が翌日14日に上陸できると確信していた。この確信は、翌日14日と15日を通じて天候が良好であるという予報と一致していた。


その夜、ドイツ軍の指揮官たちは、最後の準備を整えるために各地で動いていた。Sデーは目前に迫っており、ドイツ軍はイギリス本土への侵攻に向けて全力を挙げていた。イギリス側も、全ての部隊を動員し、迫りくる敵に対して準備を整えていた。


そして、14日が訪れようとしていた。

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