2 イーグルデイ

7月の嵐が過ぎ去り、イギリスの空は一時的に静けさを取り戻していた。だが、その静寂は長くは続かなかった。8日の夜、ケッセルリンク将軍の指揮の下、ドイツ空軍は再び空を支配しようと動き出した。標的はイギリスのレーダー基地と前線飛行場。これらの拠点は、戦闘機司令部が全力で守るべき最前線であり、イギリスの防空システムの要であった。


夜闇の中、ドイツの爆撃機が低空飛行でイギリス本土に迫った。空には、ユンカースJu 88、ハインケルHe 111、ドルニエDo 17といった、ドイツ空軍の爆撃機が飛んでいた。


最初に標的となったのは、4つのレーダー基地だった。これらの基地は、イギリス空軍が敵の動向を察知し、迎撃のための準備を整えるために不可欠な存在だった。ドイツ空軍の爆撃は正確で、3つのレーダー基地が一時的に機能を停止した。その結果、戦闘機司令部は重要な情報を失い、次の攻撃に対する備えが著しく弱体化してしまった。


9日、ドイツ空軍はこの隙を見逃さなかった。前線飛行場への総攻撃が開始され、イギリス空軍は迎撃を試みたものの、レーダー情報の不足によって対応は不完全だった。ハリケーンやスピットファイアといったイギリスの主力戦闘機が出撃したものの、ドイツ軍のメッサーシュミットBf 109やBf 110に対抗するには数が足りず、いくつかのドイツ軍編隊は抑制されることなく飛び回っていた。


しかし、ドイツ軍の計画は完全には成功しなかった。爆撃機が頻繁に二次目標のみを爆撃し、さらには爆撃機自体がイギリスの対空砲火や、断続的に迎撃してくる戦闘機により大きな損害を被ったため、イギリス側の被害は予想外に軽微であった。さらに、放置されていたレーダーサイトが次第に回復し始めたことで、指揮統制が徐々に復旧し、イギリス空軍は10日に再び立ち上がることができた。


だが、戦いのクライマックスは11日に訪れた。その日、ドイツ空軍は一大攻勢をかけ、イギリス空軍の重要なセクター基地であるミドル・ワロップ、ビギン・ヒル、ケンリーを目標に定めた。第11戦闘機隊は200機の戦闘機を空中に送り込もうとしたが、各地で激しい空中戦が展開され、近隣の戦闘機隊も連日の戦闘に疲弊していた。


ドイツ空軍は、爆撃機と戦闘機を組み合わせた攻撃を仕掛けた。メッサーシュミットBf 109が護衛につき、ハインケルHe 111やユンカースJu 87「シュトゥーカ」が次々と爆弾を投下した。イギリス空軍のスピットファイアとハリケーンは必死に対抗したが、その日の終わりには、彼らは深刻な損害を受けていた。15機の爆撃機と47機の戦闘機が失われ、28人のパイロットが死亡または負傷した。これに対し、ドイツ空軍も54機の爆撃機を失ったが、戦闘機の損失は36機にとどまり、12人のパイロットしか失われなかった。


11日の戦闘は、イギリス空軍にとって一つの転換点となった。戦闘機司令部の損耗が限界に達し、これ以上の消耗戦を続けることが困難になりつつあった。しかし、彼らはまだ立ち上がっていた。ドイツ空軍の猛攻に耐え、次の一手を考え続けていた。








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