3 イタリアの参戦とフランスの降伏

1940年6月、フランスの戦線は最終局面に向かいつつあった。ドイツ国防軍は、5月21日にヒトラーが示した計画を遂行し続けており、その勢いは誰にも止められないように見えた。6月5日、ドイツ軍は再び攻勢(赤作戦)を開始し、フランス軍の防御を一気に突き破った。この時点で、イギリス軍は依然としてフランスに多くの兵力を残していたが、ドイツの迅速な進撃により、その力は急速に消耗していた。


ドイツ軍はアシカ作戦を念頭に置き、イギリスへの侵攻に向けた準備を進めつつ、フランスでの戦闘を継続した。航空支援を抑制しつつも、陸軍は確実にフランスの抵抗を押し返し、パリを目指して進軍を続けた。フランスの防衛線は次々と崩れ、フランス軍は圧倒的な力を前にして退却を余儀なくされた。


フランス内陸部への攻撃が進む中、フランス軍司令官のマクシム・ウェイガン将軍は、すでに持ちこたえることが不可能であると判断していた。6月10日、彼は首相ポール・レイノーに対し、休戦を求めるべきだと進言した。レイノーはその時点でまだ抵抗する意志を見せていたが、戦況が悪化するにつれて、その意志は次第に揺らいでいった。


特に、同じ6月10日、イタリアのベニート・ムッソリーニが大胆に参戦を宣言し、イタリアが枢軸国側に立ってフランスとイギリスに対して戦争状態に入ったことは、フランス政府にとって致命的な一撃だった。イタリアの参戦は、すでに限界に達していたフランス軍にさらに重い圧力をかけ、フランス政府が降伏を余儀なくされる決定的な要因となった。(まあ、国境部での戦いでは準備不足のためぼろ負けであったが…)


フランス国内では、休戦協定の可能性が次第に現実のものとなっていった。パリは無防備都市宣言をしていたため、戦闘は起こらなかったもののドイツ軍によって占領された。レイノー首相は最終的にウェイガンの進言を受け入れ、休戦の準備を始めることを決断した。ヒトラーが5月21日に設定したスケジュールからわずか1週間遅れで、6月22日、フランス政府はドイツとの休戦協定に同意した。


その時点で、イギリスは孤立し、ドイツ軍の次なる標的となった。フランスが降伏したことで、ドイツ軍はイギリスへの侵攻に向けて準備を加速させることができた。ヒトラーはイギリス侵攻を確実視し、その成功の見込みも非常に高かった。イギリス軍は、フランスでの戦いで大きな損失を被り、本国に戻った兵力は史上最低の水準にまで落ち込んでいた。ドイツ軍は、空と陸での圧倒的な優位性を持っており、海上の不利を補うための戦略を練り上げていた。


ドイツ国防軍の士気は高く、兵士たちは勝利を確信していた。これから始まるであろうイギリス侵攻に向けて、彼らは自信に満ちた笑みを浮かべながら、さらなる戦いに備えていた。

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