2 OKWの計画とダンケルクの悲劇

1940年5月の終わりが近づくにつれ、ドイツ国防軍の最高司令部は、次なる一手を打つ準備を着々と進めていた。ベルギー、フランス、そしてイギリスに対する大規模な攻勢は、ヒトラーの野心を反映したものであり、戦況を完全にドイツの側に引き寄せるための鍵であった。


OKWは、慎重に策定された計画に基づき、各国を制圧するための手順を決定していた。まず、フランスとノルウェーを6月末までに完全に制圧し、その後、イギリス侵攻を開始するという流れだ。そのために、7月1日から3段階に分けた侵攻作戦を準備し、北海とイギリス海峡における海、陸、空の戦力増強を進めることになった。


フェーズ1では、イングランド南東部への航空および海上攻撃の成功を左右する要因として、ドイツ空軍が制空権を確保することが求められていた。この段階が成功すれば、次のフェーズに移る準備が整う。


フェーズ2では、ドーバー海峡における海軍の優位性を確保し、さらに橋頭堡を占領することが目標とされた。ここで確立された優位性は、最終的なイギリス本土侵攻の足がかりとなるべきものであった。


フェーズ3では、敵軍を壊滅させ、ドイツ軍が側面から攻撃してロンドンを包囲するという、決定的な一撃が計画されていた。これが成功すれば、イギリスの抵抗はほとんど不可能になり、ドイツの勝利が確実となるはずだった。


しかし、これらの計画が進行する中、イギリス本土では緊張が高まっていた。ウィンストン・チャーチル首相率いる政府は、ドイツからの侵略の脅威を強く認識しており、フランスからの戦況が悪化するにつれて、イギリス国民もその危機感を共有していた。報道機関は、ドイツ軍の猛攻を伝え、海峡沿岸の港町が次々と陥落する様子を報じた。


ドイツ軍の進撃は容赦なく、フォン・クライスト装甲集団はダンケルクの視界に迫っていた。この時点で、ベルギーと北フランスに駐留する連合軍、そしてイギリス遠征軍は絶望的な状況に置かれていた。彼らが頼りにしていた重要な港であるダンケルクは事実上無防備であり、連合軍の撤退はもはや時間の問題だった。


ドイツ軍の装甲師団は、ダンケルクを攻撃する準備を整えていたが、B軍集団司令官のゲルト・フォン・ルントシュテット将軍は、左翼への脅威を警戒し、攻撃の前に装甲部隊を休ませるべきだと主張した。しかし、ヒトラーはその提案を一蹴し、総統命令を発してダンケルクへの突進を命じた。


その結果、33万人以上の連合軍が包囲され、ドイツ軍は大量の兵器と物資を奪取した。さらに、イギリス空軍は必死に脱出を援護しようとしたが、その過程で多くの戦闘機とパイロットを失った。特にスピットファイアとハリケーン戦闘機は急激に減少し、戦力の補充が間に合わない状態に追い込まれた。


イギリス海軍もまた、ノルウェー沖での損失に加え、ダンケルクで多くの船舶を失い、戦力は著しく低下していた。243隻の船舶が沈没し、その中には駆逐艦も含まれていた。イギリスは、さらなる攻撃に耐える力を失いつつあった。


この状況下で、ヒトラーの計画は着々と進んでいた。ダンケルクを制圧したドイツ軍は、次なる標的をロンドンに定め、侵攻の準備を進めていくことになるのだった。

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