第三話「だいすきなあなたへ」3

          ●●

 

 

「――というような事があったんだ」

「ああ、それは不思議な体験だったねえ」

 柔らかな口調とは裏腹に、生人の表情は冴えなかった。

「なんだかデジャヴを感じるよ」

 生人が何を言いたかったのかわからなかった。が、今はどうだっていい事だ。

 問題はようすけの事。あの少年の抱えるものが何かという点だけだった。

「何をしようとしているのか僕には赤らないけれど、おそらくろくな事じゃないだろうから止める事をおすすめするよ」

 無駄だろうけれど、と言って、生人は肩をすくめた。

 もちろん、無駄だ。もし折座屋が生人のアドバイスに従うような人間だったなら、そもそもここにはいなかっただろう。

「翔吾の言い分も理解はできる。もしその子が何か事情を抱えているのなら、翔吾のように力になりたいというのもさもありなんといったところだろう」

 けれど、と生人は折座屋から視線を外す。

「それは翔吾の役割ではないよ。僕としては、児相なりに相談するのがいいのではないかと思う」

 生人の言い分はもっともだった。仮にようすけに何らかの事情があったとしよう。

 折座屋がその事情とやらを解決できるという保証は全くと言っていいほどない。

 それだけではない。なんだったら、事態を引っ掻き回す事にもなりかねないのだから、ここはしかるべき場所に投げてしまった方がいくらもいい結果を導き出せるだろう。

 そうした理屈はわかる。だが、その手の団体なりに言ったとして、実際に解決に乗り出すのにはそれなりに時間がかかるだろう。

 そうこうしている間に、取り返しの付かない事態になるかもしれない。

 それに、だ。

「もしかしたら、何も起こっていないかもしれない」

 生人の言葉に、折座屋は二の句が継げずに黙り込んでしまう。

 確かに、その可能性は多いにあった。というか、そっちの方がいいに決まっている。

 何事もなかった。なんでもなかった。それが一番だ。

「しかし、万が一という事もある」

 万が一、ようすけが困っているのなら。

 折座屋としては、力になってやりたかった。あの瞬間、ようすけと出会ったのはそのためだとさえ思っていた。

 彼が抱える何かを、解決するために。

「余計なお世話だと思うのだけれど」

 あきれたような生人の視線に、けれど折座屋は動じる事はなかった。

 それよりも、重要視するべき事が多々あるからだ。

「それでだ、俺がおまえに求める事は……」

「そのようすけ君とやらの行動範囲をある程度絞り込めって言うんだろう?」

「……よくわかったな」

 折座屋は虚を突かれたようにきょとんと目を丸くした。生人かしてみれば、話の流れ的にそれしかないのだけれど。

「無駄に長い付き合いだからね。なんとなくはわかるよ」

 生人は溜息を吐き、首を振る。

「しかし僕には無理だ」

「無理って事はないだろう。おまえはこういう事が得意だったはずだ」

「それは翔吾の勝手な思い込みだよ」

 生人はあきれたように言って、背を向ける。

 視線は本棚へと向かう。何を探しているというわけではないが、背表紙をすべっていく。

 その内一冊を手に取って、ぱらぱらとめくってみた。そうしていると、ささくれだった心が少しだけ落ち着いてくるようだった。

 実に無益なやりとりだと生人は思っていた。赤の他人のために骨を折ろうとする降りっ座屋の姿勢に、どこかうすら寒いものさえ感じる。

 折座屋との付き合いもかれこれ十年以上になるが、いつからだろうか。この阿呆がこんなふうになってしまったのは。

 少なくとも、出会った当初はこんな感じではなかったはずだ。

 身体つきもほっそりとしていて、どちらかというと気弱な方だった。

 間違っても、他人の家の事情に首を突っ込もうとする、そういう人柄ではなかった。

「……なんだ、他人の顔をじっと見て」

「いや、なんでもないよ」

 じっと見てくる生人。その視線に耐えられず、折座屋は眉間に皺を寄せて抗議する。

「ただ、昔の事を思い出してね」

「またつまらん事を思い出しているな」

 折座屋は苦々しい表情を作り、辟易として言った。

 彼からしてみれば、過去の自分ほど忌み嫌う存在もなかった。

 弱々しく、自身が正しいと信じた事を押し通す力もない、ただの子供だったからだ。

 今でも、大部分ではそうだ。体は大きく、多少の武道の心得もある。

 けれど、年齢を重ねるにつれ、それだけではダメだと思うようになった。

 正しい事を――すなわち正義を行うには、暴力を振り回すだけではいけない。

 もっと、思慮深くならなければならないのだと。

「俺の話はいいんだ。今はようすけの事だろう」

「わかった、わかったよ。やれるだけはやってみるさ」

 生人はひらひらと手を振ると、気のない返事を返すばかりだった。

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