「恋する乙女と怪文書の謎」2

部活動終了の時刻を告げる放送があり、それと同時に弓道部員たちは片付けを開始する。

 武村も阿手内とともに、使っていた道具を片付けていた。

「どう、武村さん。部活には慣れてきた?」

「はい。阿手内先輩を始めとしていい人がたくさんいるので」

「そう、それはよかったわ」

 阿手内は武村の返答に満足したらしく、にこりと微笑んだ。

 阿手内がまごうことなき聖人である事は、おそらく百人中百人が同意するだろう。

 しかし、阿手内以外にも素晴らしい先輩方は多くいた。

 それは、やはり弓道という武道をたしなむ人々が在籍しているからだろうか。

 はたまた、逆にいい人、優しい人だからこそ弓道(もしくは他の武道)を選択するのだろうか。

 そのあたりの真実は武村にはわからなかったが、とにもかくにも現時点において、弓道部の活動内容は武村にとって非常に楽しいものだった。

 それに……と、チラリと視線を剣道部の方へとやる。

 剣道部もまた、弓道部同様に片付けに入っているようだった。

「……もしかして噂の彼を探してるのかしら?」

 阿手内が小声で耳打ちしてくる。その事実と図星を突かれた事への動揺から、武村はぐるぐると視線を右往左往させていた。

「ふふ、別におかしな事じゃないのだから、そんなに慌てなくてもいいのよ?」

「そ、そうは言いますが……なんと言いますか……」

 阿手内の言い分もわかる。

 誰かを好きになるというのは悪い事ではない。それは全人類共通の認識だろう。

 しかし当の西村にしてみれば、だからといって恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 理屈ではない。

「あら?」

 武村が心の中で誰に対してかわからない反論をしていると、阿手内が疑問府の付いた声をあげる。

「……どうしたんですか?」

 二人は帰路に付くべく道着から制服へ着替え用と女子行為室に入った時の事だった。

 阿手内は自分のロッカーの中から一枚の紙片を取り出す。それは二つに折られていて、広げると中に何やら書かれていた。

 どうやら、手紙のようだ。

「阿手内先輩?」

 武村は訝しんで、阿手内の名前を呼んだ。

 それというのも、阿手内の表情が曇っていたからだ眉間に皺を寄せ、心の底から嫌がっているという様子だった。

 入部してそれほど期間は経っていないが、こんな阿手内の顔を見るのは初めてだった。

 それほどまでに、その手紙の書かれていた事が彼女にとって嫌悪するべき事だったのだろうか。

 武村はゆっくりと阿手内に近付くと、もう一度彼女の名前を読んでみた。

「……阿手内先輩?」

「ああ、ごめんね。なんでもないのよ」

 振り返った阿手内の顔には、もう皺は刻まれていなかった。

 先刻までの練習中と同様に笑顔を浮かべている。

「先輩、その手紙って……」

「え、ええとね……うーん」

 阿手内は困ったように眉根を寄せた。

 どうしたのだろう、と武村も少し不安になってくる。

「……実はね、ちょっと前から変な手紙をもらうようになって……」

「変な、手紙?」

「こういうのなんだけれど」

 そう言って、阿手内はロッカーに入っていた紙切れを武村に渡す。

 内容を見てもいいものかどうかわからなかったが、武村は恐る恐る二つ折りになっているそれを開き、内容へと目を通していく。

 冒頭の二、三行を読んだだけで、ぞっとした。

 

 

 

  阿手内梢様へ。

   今日もいつも通り、七時ピッタリに起床されましたね。相変わらず時間に厳    格なあなたで安心しました。

   学校でのあなたをずっと見ておりました。同級生や後輩と朗らかに過ごすあ    なたの姿はとても眩しく、わたしはすごく嬉しい気持ちになりました。

   その後のあなたの美しい姿は――

 

 

 

 そこから先は読み進められなかった。

 手紙の内容もさる事ながら、これが部活動の最中に阿手内のロッカーに入れられていたという事実が殊更嫌悪感を抱かせる。

「……以前から、度々こういう手紙が入っていたの」

 阿手内は悲しそうに目を伏せ、そう告白した。

「最初はラブレターを貰ったんだと思っていたのだけれど、それにしては内容がこんな感じだし、差出人らしき人に話しかけられた事もなかったわ」

「今までにもこういう手紙はあったんですか?」

「ええ、何通も貰ったわ」

「でもその後、告白されたりしたわけではないんですよね?」

「ええ、その通りよ」

 つまり、こういう事だ。

 差出人は阿手内へ告白等をするつもりはなく、これまでにも何通もの手紙を書いては阿手内に渡している。

 それも、弓道部の女子更衣室に白昼堂々、他人の目を気にする事無く侵入し、これを置いて去っているわけだ。

 とても、並の神経の持ち主とは思えなかった。一体全体、何が目的なのだろうか。

 武村は下卑た笑顔を浮かべ、二つ折りの手紙を阿手内のロッカーに置いて去っていく人物を想像して、ぞくりと背筋に悪寒が走った。

 かなり嫌な想像をしてしまった。武村はぶんぶんと頭を振り、浮かんでしまったその想像を振り払う。

 なんだろう……この感覚は。すごく嫌な感じがする。

 武村は自分の中に生まれたその感情を感じて、戸惑う。

 嫌悪感はあった。それはそうだろう。

 こんな手紙を読まされて、何も思わない方が少数派だろうから。

 それはいいのだけれど。そんな事より重要な事があった。

「これ……先輩の一日のスケジュールを把握してるって事ですよね?」

「ええ、そうよ……つまり」

 つまり、だ。差出人は阿手内に付きまといをしているという事になる。

 ぞくりと全身に鳥肌が立った。今この瞬間にも、更衣室の扉を隔てた向こう側で差出人が覗き込んでいるかのような、そんな錯覚に陥る。

 ――その瞬間、コンコンとノックがあった。

 びくりと体が跳ねる。狙われているのは自分ではないのに、武村の瞳に恐怖の色が現れる。

「……道場の鍵を閉めたいんですけど、まだだれかいますか?」

 扉の向こう側から男子の声が聞こえてきた。

 張り詰めたような声だった。緊張しているとは違うが、ゆるみや疲れを感じさせない、お腹の底に響くような声。

 武村には聞き覚えがあった。

 春休みも終盤のあの忌々しいを思い出す。そこから助け出してくれた人の声だ。

「お、折座屋くん」

「む? ああ、そうだ。……道場の鍵を閉めるから時間がかかるようなら言ってくれ。待っているから」

「え? ああ、もうそんな時間なのね」

 阿手内は更衣室に備え付けられている時計を見て、ため息を吐いた。

 いつの間にか三十分も過ぎていたらしい。周りを見回すと、他の生徒はいなかった。

 残っているのは、武村と阿手内の二人だけだ。

「じゃあ道場の出入り口で待ってるので」

 扉の向こう側から人の気配が消えるのがわかった。

 足音はしなかったけれど、武村は折座屋が宣言通りに出入口に向かったのだろうとわかった。

「……あの、阿手内先輩」

「何? どうしたの?」

「えっと、折座屋くんに相談してみるのはどうですか?」

 武村の提案に、阿手内は驚いたように目を見張った。

 けれど、すぐに思案顔になる。考えをまとめているのだろう。阿手内はじっと虚空を見つめたまま、数秒が過ぎた。

「……わかったわ。武村さんの提案に乗ってみましょう」

「はい。そうしましょう」

 話は決まった。武村と阿手内は早速着替えを終え、道場の出入り口へと向かう。

 がらがらがら、と引き戸を開けると、脇の方に一人の男子生徒がいた。

 がっしりとした体躯。刈り揃えられた単発。胴衣の上からでもわかる隆々とした筋肉。

 背丈は武村の倍はあろうかという大男だった。

 武村は彼と目が合うと、どきどきと心臓の鼓動が早くなるのを自覚した。

「……ごめんなさいね、お待たせしてしまって」

「いえ、俺は大丈夫です。別に用事があるというわけでもないですし」

「そう言ってもらえるとありがたいわ」

 阿手内がその男子――折座屋と朗らかに会話を交わしている。

 その最中、武村は自分の心臓の鼓動を抑えるのに精一杯だった。

 相談してみましょう、と阿手内に持ち掛けたのは武村自身だ。

 しかし、いざ本人を目の前にしてみると、非常に緊張する。顔、赤くなってないかな、なんて心配が脳裏を過ぎった。

「あ、ああああの、折座屋くん!」

「ん? どうしたんだ、武村」

 武村……名前を呼ばれ、更に体温が上昇する。

 覚えていてくれたんだ、ろくに話をした事もないのに。

 その事実に感動している自分がいて、しかしそんな場合でない事もわかっていた。

 阿手内が困っているのだ。だから、折座屋に相談するのだ。

 そう自分に言い聞かせ、武村は不覚息を吸い込んだ。

「ちょっと、話があるんだけど、いいかなぁ!」

 ケンカ腰でそう言ってくる武村に対して、折座屋は困ったように眉根を寄せた。

 助けを求めるように阿手内へ視線を送ったのを視界に端に収めながら、武村はなんだか逃げ出してしまいたいような気分に襲われていた。

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