「恋する乙女と怪文書の謎」1
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折座屋との会話の糸口を見つけられないまま、更に二日が経過した。
武村は現在、弓道部の道場を訪れている。体験入部の期間は既に終わっており、本格的に入部した形だ。
入部の理由はいくつかあった。中学生までは武道なんて授業中に少しだけやった程度で、ほとんど経験はなかったけれど、興味はあった。
更に、剣道部と部室が近いということも理由の一つである。もしかしたら、折座屋との接点を持てるかもしれないという期待も大きい。
ただ、弓道部への入部を決心した一番の理由は、副部長の三年生の存在である。
阿手内梢――弓道部副部長で、部のエース。
黒髪ロングを後ろで一つにまとめた、きりっとした目元が印象的な美人。
男子はもとより、女子の間ですらその流麗な仕草や美しい立ち居振る舞いにうっとりとする者が多くいた。
武村も、その一人である。
阿手内の射は静かだが、それでいてどこか犯しがたい荘厳な雰囲気を纏っていた。
自分もそんなふうになりたいと武村は思った。武村だけではなく、同時期に入学した新入生の大半がそう思った事だろう。
阿手内が在籍中、弓道部の入部希望者はそれまでの年と比べてかなり多くなったのだという。特に女子の割合が多くなったそうな。
途中リタイア者ももちろんいたが、そんな元部員であっても阿手内は優しく接していた。
同じ道場内で練習と雑用をこなす中で、武村は阿手内への憧れの念を強めていく。
「武村さん、上達したわ」
「ほ、本当ですか? 嬉しいです」
武村は阿手内の指導の元、弓を射る練習を繰り返していた。
最初は姿勢や心構えなどをみっちりやっていたが、そればかりではつまらないだろうという顧問の一声で上級生に指導を請うて、実際に矢を射てみる時間を何度か取る事になっていたのである。
最初は弓の弦を引くだけで精一杯で、矢を持つなどまだまだ先の話だと思っていた。実際、今だ弦を引くだけで四苦八苦しているが、それでも多少なりと成長しているようだ。
「ええ、姿勢が最初よりよくなったし、あまり動きも固くない。これなら、近い内に矢を番えてもいいのではないかしら」
「いえ……それは阿手内副部長の教え方が上手だからで、わたしの実力では……」
「いいえ、そんなふうに言ってはダメよ。確かにあなたの言う通りという面もあるかもしれないけれど、それでも武村さん、頑張っているのはあなただわ」
阿手内は小さく手を叩き、嬉しそうにほほ笑んでいる。
こういうところが、このかっこいい先輩が誰からも好かれる部分なのだろう。
武村はうっとりと阿手内の笑顔を見つめていた。
「あの、阿手内先輩」
「どうしたの、武村さん?」
「も、もう一度あの……お手本を見せてもらってもいいですか?」
「え? でも昨日もそう言ってお手本を見せたと思うけれど……」
「お願いします、お願いします!」
武村は両手を擦り合わせ、深々と頭を下げた。
可愛い後輩にこれほど必死にお願いされては、阿手内としても無碍にはできず、苦笑いするしかなかった。
「仕方がないわね。しっかりと見ておくのよ」
「あ、ありがとうございます」
阿手内は武村から弓を受け取ると、道場の後方にまとめられていた中から矢を日本、取り出してきた。
すっと、阿手内の表情が変わる。先ほどまでの優しく、後輩思いの先輩の顔から、真剣で真っ直ぐな表情になった。
どきどきと胸が高鳴る。入部してから、何度か阿手内の射を見せてもらったけれど、何度見てもその壮麗な姿に惚れ惚れとする。
固く引き結ばれた口元、真っ直ぐ的だけを見つめる目元。
何より、武村は阿手内の姿勢が好きだった。ピンと背筋を伸ばし、一つ一つの所作を丁寧に行っている。
いつしか、周囲が静かになっていた。その場にいた誰もが、じっと阿手内を注視していた。
矢を番える。弦を引き絞る。
弓道部員はもちろん、弓道をかじった事すらない人でも、阿手内の姿勢、立ち居振る舞いには見惚れる事だろう。
入部を決意した瞬間の、武村のように。
阿手内は狙いを定め、矢を放つ。
ピュンッ、と一瞬だけ矢が空気を切り裂く音がして、次の瞬間には的を貫いていた。
惜しくも、矢は的の真ん中には当たらず、少しだけ右にヅレていた。
もしこれが試合だったなら、高得点を叩き出していただろう。
けれど、阿手内にとっては悔しかったらしく、僅かに眉間に皺を寄せていた。
その様子を一番近く(とはいえ邪魔にならない程度に離れて)見ていた武村は、更に阿手内の事を好きになった。
誰からも慕われていて、実力もある阿手内だが今だに向上心を失わない姿は尊敬の一言以外にない。
ますます、阿手内梢のようになりたいと武村は思った。
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