第24話 死がふたりを別つまで

 オシアンは、金髪の娘を両腕に抱き、走りました。勇敢ゆうかんに怪物へ立ちむかった少女に背を向け、ただ腕の中の彼女を想い、走りました。どこへ行けば、何をすれば――自身がとるべき道もわからず、ただ走りつづけました。


 やがてオシアンは、たち枯れた雑木ぞうきの根に足をとられ、腹ばいに倒れました。


 金髪の娘は、オシアンの目前へと投げだされました。それに、もうひとつ――コロコロと離れていく、樹の実がありました。

 オシアンは、それが今まで自身の手の中にあったことに、その時気づきました――矢も盾もたまらず、追いかけ跳びつきました。


 娘を置きざりに、オシアンはふたたび樹の実を手のひらにおさめました。そして安堵あんどする自身に、愕然がくぜんと嫌悪しました。それでも実を捨てられず、必死に目をそらし、娘に駆けもどりました。


 うららかな日ざしに、枯れ木はうつを抜けだし、暗影あんえいの指さきで娘の顔をなでていました――樹影じゅえいが揺れる彼女のほおも、くちびるも白くいで、そこに精気はありませんでした。


「ニアヴ!……ニアヴ!!」


 オシアンの呼びかけに、答える者はありませんでした。むなしい響きを、涼やかな葉ずれのささやきが払いました。それは彼にとって、命のを吹きけす死神の息吹でした。


 身じろぎもなく温もりを失っていく娘と裏腹に、オシアンの手のひらは熱く胎動しました。じっとりとにじむ汗に、すべり落とさぬようさらに強く握り、それを見ました。


「……首だけになっても動きまわる、あの生命力……力と、命をつなぐ……!」


 久遠くおんに青葉たたえる古樹こじゅは、神威しんいまといて魔性をはらみ、常若とこわかの奇跡を継ぎ、もたらす神魔しんまなる結実けつじつ――禁断の果実を育むのです。


 オシアンのくちびるが、おもむろに分かたれました。吐息は浅く、熱く――むき出された歯が、獣のように食いこみました――爛熟らんじゅくたる運命の果実へと。


 ジヴウゥゥゥゥ……ゥ…………


 の汁はあかく鮮やかで、血を流すようにふたりを濡らしました。

 彼のあかき口づけは、彼女の白きくちびるへと注がれ――万象ばんしょうに誓いし終生しゅうせいの契りが、ふたりを結びました。 


 常若の樹は時を緩慢かんまんに刻み、残り幾ばくもない彼女の命を猶予ゆうよしました。しかし死は、彼女の鼻さきに――口づけには遠くとも、いだかれて逃れえるものではありませんでした。


 ***


 人と樹――時の流れを異にして、交わらぬはずのふたりは、ひとつでした。


 オシアンが彼女とむつむとき、常若とこわかの力が重ねた歳月を消しさりました。それは青葉が茂るようで、若き日の面影をたたえました。


 彼女がオシアンとむつむとき、わかたれぬ運命が朽ちた自我を補完しました。それは物語にしおりをはさむようで、かつての記憶を取りもどしました。


 自我なき意識は無軌道な夢を見るようで、彼女がひとり恍惚こうこつと森に戯れる姿は、なんじゃもんじゃと呼ばれました。

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