第十章

第23話 生への妄執

 オシアンは、金髪の娘に手をとられ走りました。伸びあがる木々と、瓦解する隠し砦をかいくぐり、こけつまろびつ逃げまどいました。


 やがて静けさを取りもどした森で、金髪の娘は乱れる息を落ちつかせました。


 娘の脳裏に、浮かぶものがありました――短剣は骨の抵抗もなく、すんなりと肉へ潜り――娘はかぶりを振って、先の記憶を追いやりました。


 街が襲われた日から、娘の心にはつらい記憶ばかりがつみ重なっていました。けれど、どんな悪夢にさいなまれようと、すべてを失ったわけではない――娘は確認するように、ふり返って語りかけました。


「何もかも、木々に飲まれてしまった……ほかのみんなは、どうしてしまったのかしら……」


 オシアンは、樹下じゅかにぐったりと座りこみ、手もとを一心に見つめていました。

 オシアンの手のひらには、そこにすっぽりとおさまる、ちっぽけな樹の実がありました。爛熟らんじゅくに照り、甘き芳香ほうこうを放つ、妖艶ようえんの果実――疲労に熱くにじむ手の中で、果実は胎動しているかのようでした。


 オシアンは、口の中でつぶやきました。


「……彼奴きゃつの……あの樹の実……次代へと力を継ぎ……命をつなぐ……」


 オシアンは暗い瞳で、ぼう然と樹の実を見つめつづけていました。彼を呼びかける声は、耳に遠く響きました。


「……ン……オシアン! ねぇ、オシアン!」


 ようやく気づいたオシアンは、顔を上げ、ふり向いて声のもとを見ました。


「オシアン!!」


 その声を発したはずの金髪の娘は、ひざだちにうつむいていました。オシアンに視線を送ることもなく、影のさした顔はうつろでした。彼女はかすかに揺れて、身をかばうそぶりもなく、頭から突っぷしました。


 長いまつげは、淑やかに伏せられていました。草むらがほおを圧して、くちびるはわずかに開いていました。それは、すこやかな眠りに見えました。


 金髪が、大地の上で娘を取りまいて、黄金のうずをつくりました。金髪は、うつぶせの背にも流れました。金毛の幾条かをまとわせていたのは、木彫り細工のつかでした――木彫り細工の短剣は、刀身を隠すほど、娘の肉へ深く沈んでいました。


 金髪の娘に、怒気満面のいよりました。


 その頭は、両こめかみからイトスギが突きやぶっていました。イトスギの根もとは放射状に隆起りゅうきして、頭全体へわたり山脈をつくっていました。ひたいの青すじと無数に交差して、血ばしってこぼれ落ちそうな目に根をわせていました。

 イトスギ頭のつけ根から生える無数の枝々えだえだは、大小、長短、不均一で、臓腑ぞうふのように垂れていました。樹のすじをしぼませ、ふくらませ、のたくり動いて、イトスギ頭をもたげていました。


 うごめくイトスギ頭――アトロゥは、金髪の娘にのしかかり、つばきが糸を引く大口を開けました。頭をかしげて、娘の背に突きたつ短剣をくわえ、ずぬりと引きぬきました。赤い目玉が新たな標的に、ギロリと焦点をあわせました。


 にじりよる異形いぎょうに目もくれず、オシアンはただ、娘を見つめていました。


 ……彼女の金髪は、自身のそれよりも澄み、赤子のように清らかで――陽に溶けいって、静かに夜を待つようで――その血統をたどれば、月の女神へと帰着するであろう――……


 ほうけて口を半開きに、そんなことを考えていました。


 自失したオシアンを連れもどしたのは、アトロゥの背後で石くれを掲げる、黒髪の少女でした。


 黒髪の少女――ティタニアは、のたうつ木々を飛び石によけ、アトロゥの背後へ忍びよっていました。人の頭ほどもある石くれを掲げ、力の限りに叩きつけました。


 アトロゥは、短剣をくわえ落としました。脳天から流れる血にも頭は冷えず、青すじをさらに増やして横目ににらみました。

 ティタニアは満身に傷をたたえて、それでも敢然かんぜんとアトロゥを見すえました。


 アトロゥは短剣をくわえ直し、悪鬼の面相でティタニアへと跳びかかっていきました。

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