第22話 運命の果実

 それは樹でした。しかし人の似姿にすがたをとり、憤怒の形相ぎょうそうに角を生やしていました。うなるようにきしみながら、隆々りゅうりゅうとした体躯たいくがねじれました。猛然と突きあげられた腕の先には、オシアンがいました。


 多すぎる指が絡みあって締めあげ、オシアンはもがくことすらままならず、枝葉えだはにまみれていました。

 短剣はオシアンの手を離れ、数多あまた集う樹の傀儡くぐつのひしめきに飲まれ、消えていました。


 暴かれた巨樹きょじゅのねぐらから、男がゆったりと現れました。

 巨樹きょじゅから現れた男は、裸身をさらしていました。肌は土色で、しなびたようにすじ張った四肢ししと、ふくれた腹をしていました。鼻はブタのようにそり返って、耳は長くとがり、髪は草色で――両こめかみに、燃えたつ松明たいまつのようなイトスギの枝葉えだはを生やしていました。


 厚い眼窩がんか上端と、コケたほおの間にある半月型のギョロ目が、オシアンを見あげていました。ニタリとほくそ笑むその男は、賊の頭目とうもくアトロゥでした。


 俎板まないたこいを、煮るか、焼くか――アトロゥが算段を始めようとした、その時でした。

 アトロゥの見あげる視界の下すみで、黄金がしぶきました。黄金はほどけ、糸となって、アトロゥの目から去りました。


 黄金の糸は、アトロゥの目を引きました。我知らず瞳は金糸を追って、うつむいたアトロゥが見たものは金髪の娘でした。娘はアトロゥの胸もとで、祈りをささげるように両手を握りあわせていました。


 アトロゥの冷たい瞳を見かえす娘の瞳は、恐怖に見ひらかれ、怯え、たじろぎ――祈りのこぶしは解かれました。

 アトロゥの胸もとに、木彫りの短剣が突きたっていました。木々の意匠いしょうが細工された短剣は、肉へ深く沈み、女神のおわす刀身を隠していました。


 アトロゥは、胸もとの短剣を無表情に見おろしました。アトロゥに、その光景を理解し、感情を示す猶予ゆうよはありませんでした。


 やにわアトロゥの首が青すじを立て、はち切れんばかりにふくらみました。ほおも風船のように張って、身の内からとどめきれなくなると、口から枝がはみだしました。

 アトロゥの口から、痛苦の呻吟しんぎんがとどろきました。同時に無数の大枝、小枝が、泉のようにあふれ、龍のように立ちのぼりました。


 樹の傀儡くぐつたちは統率を失い、右往左往うおうさおう、押しあいへしあいに乱れました。オシアンは彼らの上で、天地もわからぬほど転げまわされ、いつしか掲げられていました。


 傀儡くぐつたちは、こぞって競いあうようにオシアンへ集い、根を張り、幹をのばしました。かつて、子どもたちの手であった無数の樹の枝が、オシアンを天に昇らせました。


 やがてオシアンは、アトロゥの樹冠じゅかんへと到達しました。枝葉えだはは一様ではなく、多様なしゅが混ざりあい、繁茂はんもしていました。しかしオシアンの心を奪ったのは、目前のひと枝でした。


 それは枝でした。しかし三人の女のなりをしていました。ひとりは少女、ひとりは老婆、もうひとりはふたりの間の年頃でした。女たちのまとう羽衣は、薄削りのかんなくずのように体の線を透かしていました。

 羽衣の女たちは、しなをつくって絡みあっていました。その姿態したいは助けあうようにも、奪いあうようにも見え、少女の右手が天にさしのべられていました。

 羽衣の少女の右手は、小指が弧を描いて立てられ、薬指が優美に伸ばされ、中指が控えめにたたまれていました。人さし指は親指と輪をつくり、ちっぽけな樹の実をつまむようにみのらせていました。

 ちっぽけな樹の実は、爛熟らんじゅくして怪しく照り、匂いたつようでした。樹冠じゅかんにひとつきりでぽつねんと、しかし異彩を放っていました。


 オシアンはさかさになって、羽衣の少女がさしのべる実を眺めました。物見遊山ものみゆさんは許されず、もだえ続ける傀儡くぐつの上で、定まらぬ体勢はさらに崩れました。


 オシアンは、遮二無二しゃにむに手を伸ばしました――転げて、傀儡くぐつの森に落ちました。


 アトロゥの口から伸びた枝々えだえだしおれ、枯れ枝の雨を降らせました。枯れていく口の枝々えだえだとは裏腹に、アトロゥの体は、木の様相をていしはじめました――次に訪れたものは、刹那せつなの大爆発でした。


 アトロゥの脚は根となり、巨大なかぶのように丸くふくれ、地面を爆裂してうがちました。

 根は四方しほうへ踊りだし、怒号とともに突きあがる幹が、大地を爆砕しました。

 枝はぜるように八方はっぽう伸びて、爆煙ばくえんのように葉を広げました。


 おびただしい数の、根が、幹が、枝が、葉が――瞬く間に森の間隙かんげきを埋め、すべてを覆いかくしました。


 アトロゥは、自身が産んだ木々に埋もれ、自身も木になろうとしていました。固まりかけた手をきしませ、胸もとに突きたつ短剣に指をかけました。

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